表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の王は花嫁にもう一度恋をする  作者: けもこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

第3話 白銀狼の花嫁

翌朝、宿の食堂は遅い朝食を取る狼獣人たちで騒がしかった。


夜の仕事が成功した翌朝は、誰もが少しだけ気を抜く。硬い黒パンをスープに浸し、骨つき肉にかぶりつき、眠たげな目で冗談を飛ばす。


「最近、どこに行っても主の顔を見るよなぁ」


若い狼獣人が、壁に貼られた手配書を見ながら言った。


「この人相、悪すぎないか? 主、こんな顔してたら子どもが泣くだろ」


「いや、黙って立ってる時はだいたいこんなもんだろ」


「殺されたいのか、おまえ」


仲間たちが笑う。


そこへ、太い三つ編みを前に垂らしたテルマが、得意げな顔で一枚の紙を広げた。


「じゃじゃーん。今朝、役人が貼ってる横から拝借してきた」


「またかよ」


グルドが呆れる。


だが、テーブルに置かれた手配書を見た瞬間、若い連中の声が止まった。


描かれていたのは、ビアンカだった。


白銀の髪。澄んだ青い瞳。小さく整った耳。口元に浮かぶ、かすかな笑み。


手配書というより、聖女画に近い。


「……姐さん、女神じゃん」


「いや、知ってたけど。知ってたけどあらためて見ると破壊力すごいな」


「主の手配書なんて、山賊の親玉みたいなのに」


「俺、姐さんのためなら死ねる」


「死ぬ前に皿は片づけといてよ」


テルマが即座に突っ込むと、食堂に笑いが起きた。


その空気の端で、ネイサだけが少し顔を曇らせる。


「でも、変ですよね。仕事の時、姐さんは顔を隠してるのに。どうしてここまで正確に描けるんですか」


笑いが、すっと引いた。


誰もが同じ疑問を抱いていた。


ビアンカの顔を知っている者は、限られている。孤児院、教会、群れの仲間、そして――過去に彼女を知る者。


「その話は後だ」


グルドが低く言った。


「主と姐さんは?」


「教会だ。昨夜の証拠をヨナスへ届けに行った」


テルマは手配書を折り畳み、胸元にしまった。


「……嫌な感じがする」


ネイサの呟きに、誰も笑わなかった。


◇◇◇


草の海のような高原を、幌馬車が進んでいた。


赤土の道の向こうに風車が回り、その奥の木立に小さな教会が見える。朝の光はやわらかく、遠くでは羊の鈴が鳴っていた。


「いい天気だな」


農夫の格好をしたロイドが手綱を握る。深くかぶった帽子と眼鏡で、黒狼の鋭い目元を隠していた。


その隣で、赤毛のかつらを頭巾から少し覗かせたビアンカが、彼の肩に頭を預けている。


「本当にいい風。もうすぐ夏が来る匂いがするわ」


「疲れてるなら、荷を運ぶのは俺一人でよかったのに」


ロイドが言うと、ビアンカは不満そうに鼻を鳴らした。


「いやよ。宿にいたら、こんなふうにロイに甘えられないもの」


「昨夜あれだけ甘えておいて、まだ足りないのか」


耳元に落とされた低い声に、ビアンカの首筋がほんのり赤くなる。


「そ、そういうのとは別なの。こういう、普通の夫婦みたいなのがいいのよ」


普通の夫婦。


その言葉に、ロイドの胸の奥がわずかに痛んだ。


彼らは夫婦であり、番だった。


けれど法の上では、獣人同士の結びつきなど、いつでも踏みにじれるものとして扱われる。ましてロイドはお尋ね者で、ビアンカもまた追われる身だ。


普通の未来など、今のこの国ではあまりにも遠い。


それでもビアンカは、そんな未来を口にする。


ロイドの隣で、当たり前のように。


「なあ、ヴィー」


「なに?」


「いつか、この仕事から離れたいと思うか」


ビアンカは視線を組んだ手に落とした。


「急にどうしたの」


「聞きたいだけだ」


馬車の車輪が、乾いた道を音を立てて進む。


ビアンカはしばらく考えてから、ロイドの腕に頬を寄せた。


「思わないわけじゃない。朝起きて、あなたとご飯を食べて、洗濯して、畑を見て、夜になったら同じ寝台で眠る。そういう暮らしを想像することはある」


ロイドは黙って聞いた。


「でも、私たちだけが安全な場所へ逃げても、子どもたちは貧しいままだわ。だから今は、まだ」


「……そう言うと思った」


「嫌だった?」


「いや」


ロイドは手綱を片手に持ち替え、空いた手でビアンカの腰を引き寄せた。


「そういうところが、俺の最愛の嫁さんだなって思っただけだ」


ビアンカは首筋まで赤くして照れた笑い浮かべ、彼の肩を軽く叩いた。


「そういう言い方、ずるい」


教会が近づくと、建物の前から尼僧が子どもたちを連れて出てきた。


ビアンカは大きく手を振る。


「マチルダ!」


年配の尼僧――マチルダは、ロイドの母だった。かつて貴族の屋敷で働いていた頃、母を失った幼いビアンカを引き取り、ロイドと共に育ててくれた人でもある。


馬車を降りると、ビアンカはマチルダと手を取り合った。


「この間来たときは、巡礼に出ていて会えなかったもの。二か月ぶりね」


「元気そうで安心したわ、ビアンカ」


マチルダは優しく微笑み、ビアンカの頬に挨拶の口づけを落とした。


ロイドが馬を繋ぎ終えて傍へとやって来る。


「母さんはいつもヴィーを大歓迎するよな」


「あなたは荷物をもってきて頂戴」


「母さん、息子の扱いが雑じゃないか」


「あなたは昔から丈夫だから多少雑でもいいのよ」


ビアンカが吹き出した。


教会の中へ入ると、司祭室では片腕のない男が書類に目を通していた。顔の真ん中には古い刀傷。片方の目は白く濁っている。


ヨナス。


今は司祭だが、ただの聖職者ではない。ロイドたちが集めた証拠を、国の在り方に不満を持つ貴族や教会、国外の支援者へ繋ぐ窓口だった。


「久しぶりだな、ビアンカ」


「元気だった? 巡礼の旅、船に酔わなかった?」


ビアンカが近づいて抱きしめると、ヨナスは穏やかに笑った。


その頬へ挨拶をしようとした瞬間、ロイドが彼女の腰をさらうように引き戻す。


「近い」


「相変わらず心が狭いな、黒狼王」


「その名で呼ぶな。俺のヴィーに触るな」


「はいはい」


ヨナスは肩をすくめた。


マチルダが心配そうに荷を見やる。


「来るたびに、荷が増えるわね。危なくないの?」


「それだけ不正が明るみになってるってことだ」


ロイドは袋を机に置いた。


中には、昨夜持ち出した帳簿と名簿が入っている。


ヨナスは一枚目を見た瞬間、表情を消した。


「……保安官事務所に引き取られた子どもたちか」


「三か月で十二人。記録上は保護。だが、その後がない」


ビアンカが静かに言う。


「書類に、例の手配書と同じ香水の匂いが残っていたわ」


ヨナスは目を細めた。


「やはり、あの保安官は危ない」


ロイドの視線が鋭くなる。


「知っているのか」


「噂だけだ。だが、あの目はまともな人間のものじゃない。正義の言葉を使って、自分の欲を隠す類の男だ」


ロイドは低く息を吐いた。


「ビアンカの手配書が出回っている。顔が正確すぎる」


その一言で、司祭室の空気が沈んだ。


マチルダが胸元で手を握る。


「ビアンカ……」


「大丈夫よ、マチルダ」


ビアンカはすぐに笑った。


その笑顔が、心配させまいとして作られたものだと、ロイドにはわかる。


「子どもたちにお土産を持ってきたの。一緒に配ってくれる?」


ビアンカはマチルダの手を取り、部屋の空気を変えるように明るく言った。


マチルダは迷ったようにロイドを見たが、やがて頷く。


「ええ、行きましょう」


二人が出て行くと、扉が静かに閉まった。


ヨナスは机の上の書類を見つめたまま、低く言った。


「ロイド。おまえは、どこまでやるつもりだ」


「子どもたちを取り戻す。ジェラルドの背後にいる貴族も暴く」


「それはいい。だが、あの男の本当の狙いは、たぶん子どもではない」


ロイドは返事をしなかった。


わかっていた。


ビアンカの手配書。異常な報奨金。ただの保安官が、彼女の絵姿を町中へ貼るのは何故か。


「奴は、ビアンカを知ってる」


ヨナスの声が重く落ちた。


「黒狼王を捕まえるための餌としてではなく、一人の女としてな」


ロイドの指が、机の縁を軋ませる。


「ロイド」


「わかってる」


「本当にわかっているか? 守りたいなら、ビアンカを遠ざけることも考えろ」


その言葉に、ロイドは低く笑った。


「それを言ったら、あいつは俺に戦いを挑むよ、きっと」


「だろうな」


ヨナスは苦く笑った。


「ビアンカは強い。だが、強い女だからって傷つかないわけじゃない」


ロイドは窓の外へ目を向けた。


礼拝堂の方から、子どもたちの歓声が聞こえる。ビアンカの明るい声も混じっていた。


「……知ってる」


その声は、ひどく静かだった。


「だから、こんな国のままではダメなんだよ」


ヨナスは何も言わなかった。


◇◇◇


礼拝堂には、色とりどりの光が落ちていた。


ステンドグラスの下で、子どもたちがビアンカの周りに集まっている。小さな手が彼女の袖を引き、誰かが菓子袋を覗き込み、別の子が花籠を抱えて走っている。


「順番よ。みんなにあるから」


ビアンカは笑いながら、ひとりひとりに菓子を渡した。


その奥で、大きなお腹を抱えた尼僧ミルバが立ち上がろうとしている。


「ミルバ、無理しないで」


ビアンカは慌てて駆け寄った。


「平気よ。最近、この子がよく動くの」


ミルバはそう言って、ビアンカの手を自分のお腹に当てた。


掌の下で、小さな命がぽこりと動く。


ビアンカの目が見開かれる。


「わ、すごい」


「ふふ。元気でしょう?」


ミルバが笑う。


ビアンカは、大きなお腹に手を触れながら、しばらく言葉を失っていた。


温かい。


こんなにも小さくて、こんなにも確かな未来が、ここにある。


「ビアンカも、いつかこうなるわよ」


ミルバがからかうように言うと、マチルダがやんわりと止めた。


「子どもは授かりものよ。急かすものではないわ」


「わかってますよ。でも、ビアンカとロイドの子なら、きっと可愛いでしょう?」


ビアンカの耳が赤くなる。


「も、もう。そういう話は……」


困ったように笑いながらも、その顔には少しだけ柔らかい夢が浮かんでいた。


その様子を、礼拝堂の入口からロイドが見ていた。


ビアンカは気づくと、照れ隠しのように笑って手を振る。


ロイドも小さく手を上げた。


この時間だけは、まるで普通の夫婦のようだった。


奪う者も、狩る者も、手配書もない。


ただ、愛する女が子どもたちに囲まれて笑っている。


それだけで、胸が満たされる。


けれど、その穏やかさの外側では、すでに罠が口を開けていた。


夕暮れ。


教会の裏手で、役人が新しい手配書を壁に貼っていた。


白銀狼の女。


報奨金は、前よりもさらに跳ね上がっている。


その紙の隅には、保安官ジェラルド・ワトキンの印が押されていた。

もし、このお話を好きだ!と思ったらイイねやブックマークを!

気になる、気に入ったと思ったらコメントや評価☆☆☆☆☆,をお願いします。

定期更新を心がけてます。ぜひブックマークを!大変喜びます♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ