第25話 花嫁を探して①
王都を二つに割った戦いが終わって、三年が過ぎた。
かつて王族と貴族だけのものだった議事堂には、今では商人や農民、獣人の代表も席を持っている。
獣人というだけで証言を退けることは禁じられ、様々な場所での発言の権利が与えられた。
人間と獣人の子どもが、同じ学校で机を並べる町も増えた。
もちろん、まだ差別意識の残る部分も無いわけではない。
それでも、国は変わろうとし、それを後押しする動きはあちこちで起こった。
それは、ロイドとビアンカが望んだ未来だった。
けれど、この国にロイドが望んだ日々は無かった。
彼が国境を越えたのは、戦いが終わって間もない頃だった。
表向きは、新しい国づくりの参考にするため、隣国の政治や制度を見て回ることになっていた。
ヨナスが用意した役目だった。
ロイドを生かすために与えた、半ば無理やりの理由でもあった。
だが、ロイド自身は何かを学ぼうと思って国を出たわけではない。
ビアンカと過ごした場所で、これ以上生きていくことができなかったのだ。
森へ戻れば、彼女の遠吠えが聞こえる気がした。
宿の食堂に入れば、仲間たちに笑いかける声が蘇った。
教会の礼拝堂には、子どもたちに囲まれる白銀の姿があった。
川沿いの道を歩けば、赤毛のかつらを被った彼女が、自分の肩へ頭を預けてくる。
どこを見ても、ビアンカがいた。
なのに、手を伸ばせば何もない。
『黒牙の群れ』は、獣人が中心となる国家公認の部隊となった。
身体能力の高い獣人にしかできない役目を果たす。
その中には、表に出せないような仕事もあった。ロイドは、黙々とそれをこなし続けた。
国が後ろ盾になることが決まってすぐに、群れの首領をグルドに譲った。
そして、ここを去ることを皆に告げた。
テルマとネイサは、最後まで納得しなかった。
出立の日、泣き腫らした目でロイドを睨みつけた。
――姐さんを探すなら、私たちも連れていって。
――一人で勝手に消えないでよ。
ロイドは、どちらにも答えなかった。
探すために旅へ出るのか。
逃げるために国を捨てるのか。
自分でも、わからなかった。
ただ、足を止めれば息ができなくなる。
彼女の匂いのする場所でこれ以上生きていることはできなかった。
だから歩き続けた。
国から国へ。町から町へ。村から村へ。
港へ行き、山を越え、国境沿いを歩き続けた。
白銀の髪を持つ狼獣人の女を知らないか。
青い瞳で、尾を失い、大怪我を負っていたはずだ。
同じ問いを、何百回繰り返したかわからない。
手がかりらしい噂を聞くたび、何日もかけて確かめに行った。
白い髪の女はいた。狼獣人もいた。
怪我を負った旅人が運び込まれた治療院もあった。
けれど、どれもビアンカではなかった。
三年という時間は、希望を削るには十分すぎるほど長かった。
それでもロイドは、探すことをやめられなかった。
探すことをやめた時、自分の中のビアンカが本当に死んでしまう気がしたからだ。
◇◇◇
その日、ロイドが立ち寄ったのは、隣国ケルナス共和国の国境近くにある小さな村だった。
翌日から夏祭りが始まるらしく、広場には色鮮やかな布が張られ、街路樹には花飾りが巻かれている。
村の外れには何台もの幌馬車が並び、旅芸人一座の大きな天幕が建てられていた。
『コーベッツ一座』
そう書かれた幟が、風に鳴っている。
留まるつもりはなかった。
水と食料を補給したら、次の町へ向かうはずだった。
広場を横切り、井戸へ向かう途中で、ロイドの足が止まった。
子どもたちの笑い声が聞こえる。
玉の上に乗った猫獣人が、両手を広げてくるくると回っていた。
離れた場所では、火のついた棒を操る女が明日の演目の稽古をしている。
犬獣人の男が大声で客を呼び込み、若い人間の男が板へ向かって投げナイフを放っていた。
平和な風景だった。そのまま通り過ぎるはずだった。
けれど、ふいに、丘を抜ける風が吹いた。
花。薬草。舞い上がった土埃。乾いた木。天幕に染みついた煙。
その中に、ごく微かに混じった匂いがあった。
ロイドの全身から、血の気が引いた。
――この匂いを知っている。
どれだけ遠くにいても。
どれだけ離れていても。
どれだけの匂いに紛れていても、決して間違えるはずがない。
「……ヴィー」
声が、勝手に喉からこぼれた。
ロイドは風上へ顔を向けた。
一座の天幕の端。
木陰になった場所に、車椅子が置かれていた。
そこに、一人の女が座っている。
白銀の髪。
細い肩。
膝には薄い毛布がかけられ、その上には色とりどりの花が置かれていた。
女は細い紐へ花を結びつけ、小さな冠を作っている。
完成したものを差し出すと、目の前にいた少女が嬉しそうに受け取った。
女が笑う。
長い睫毛が伏せられ、青い瞳が柔らかく細められる。
ロイドの世界から、音が消えた。
足元の感覚がなくなる。
息の仕方を忘れる。
胸の奥で、三年前から凍りついていた何かが、音を立てて砕けていく。
――ビアンカ。
探し求めていた花嫁が、そこにいた。




