↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の王は花嫁にもう一度恋をする  作者: けもこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/26

第21話 渓谷に消えた花嫁③

※毎週月曜日更新(予定)

◇◇◇


「逃がすな!撃ち殺してもいい!とにかく捕まえろ」


ジェラルドの叫びが背後から響く。


山荘の裏手は細い道だった。


左は岩壁。

右は低い柵。

その向こうは、黒い谷。


ビアンカは革筒を抱えて走った。


足が重い。

尾を失ったせいで、身体の均衡がいつもと違う。曲がるたびに感覚が狂う。痛みが背中から腰へ広がり、膝が笑う。


それでも、止まらなかった。


前方に吊り橋が見える。


古い作業用の橋だ。

向こう岸へ渡れば、森へ入れる。森へ入れば、少しは逃げられる。


だが、橋の手前でビアンカは足を止めた。


聞こえたのだ。遠吠えが。

ロイドの私を呼ぶ声。


橋の向こうに仲間がいる。まだ、遠いけれどこちらへと近づいている。

ビアンカの喉が鳴った。


それと同時に違う方向から兵の匂いもした。


油。

火薬。

新しい金属。

人間の汗。


ロイドを。黒狼の群れを反逆者にする為の罠。


失われた獣人たちの名前を取り戻すためには、この証拠を確実に仲間に渡さなくてはならない。

そして、彼らを反逆者にする罠から遠ざけなくてはならない。


ビアンカは目を閉じた。


ロイドの顔が浮かんだ。


朝、寝起きの自分の髪を撫でる手。

馬車の上で、遠吠えの途中に首筋へ口づけた意地悪な笑み。

地下室で震える自分の手を握ってくれた温かさ。

「一人で行くな」と言った低い声。


ごめんね、ロイ。

いつも身勝手な行動ばかりする女で。


でも、あなたを罠には渡さない。


橋のたもとに、来た時に乗せられてきたであろう馬車が止められていた。

馬の装具を外す。


背後からジェラルドが近づいてくる。


「そこまでだ、ビアンカ」


彼の息が荒い。


「書簡を返せ」


ビアンカは、馬を背にして振り返った。


「君は自分の立場がわかっていない。馬で逃げたところですぐに掴まる」


「わかっていないのは、どっちかしらね」


ビアンカは笑った。


唇が切れているせいで、笑うだけで痛い。


「いったでしょう。私は飾りになんかならないって」


ジェラルドの表情が歪む。


「この後に及んで強がりだな」


「そうかしら」


ビアンカは、馬の鼻面を吊り橋の方に向け、その耳元に囁いた。


「前だけを向いて走るのよ」


そして、馬の胴から緩めた腹帯で、その尻を強く叩いた。

馬ははじかれたように走り出し、吊り橋の方へと駆けていく。


不安定に繋がった荷馬車は、橋の入口の吊り縄に引っかかり、一瞬バタバタと馬の脚が空を掻いたが、すぐに馬具から抜け出し、橋の向こうへと姿を消した。


「おい!馬を追え」


男たちに指図をだす、ジェラルドの声が響く。

しかし、橋の入口は荷馬車が挟まり通れない。


男の一人が上に乗り、縄に絡まった荷馬車をどけようとし始めた瞬間、吊り橋の支柱は、鈍い音を立てて渓谷の方へと傾き始めた。


「うわぁぁ――」


男は、傾いた橋から壊れた荷馬車とともに、水しぶきを上げる渓谷へと姿を消した。


「まったく。おまえのような女が獣人であることが恨めしいよ」


ジェラルドが一歩踏み出す。


ビアンカは、渓谷を背にして、近くの木に寄りかかるようにして立っていた。

そして、細く長く遠吠えを発した。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


遠吠えを終える前に、銃声が響き、腰に熱を感じる。

銃を構えたジェラルドが歪んだ表情で近づいていた。


「耳障りで仕方がないんだよ。どうしようもない獣め」


熱を感じた部分に手を当てると、ぬるりと生暖かいものを感じた。

撃たれたのだ。


しかし、このままここで死ぬわけにはいかない。


ジェラルドにとって、自分はまだ必要だろう。

ロイドを呼ぶ餌として。

彼の歪んだ勝利の証として。


だからこそ。


渡さない。私自身を。


ビアンカはよろめく体を奮い立たせ、渓谷の方へと足を進めた。


「あんたはこれで終わりよ」


そう言うと、道の端からためらうことなく、その身を宙へと置いた。


「おい!待て――」


一瞬、世界が止まった。


山荘の灯り。

ジェラルドの歪んだ顔。

男たちの叫び。

渓谷から吹き上がる冷たい風。


そのすべてが、遠くなる。


白銀の髪がほどけ、夜の中へ広がる。


――ロイ


ロイドは、きっと怒るわね。

誰にも見られないところで、泣くかもしれない。

慰める私がいないから。


でも、彼は壊れたりはしない。

私の愛した唯一の王だから。


死ぬことよりも。

痛みよりも。

自分が飾られることよりも。


ロイドを一人にすることが、何より辛い。


――ロイ。ごめんね


唇だけが、彼の名を呼んだ。


濁流の音が近づいてくる。


あなたを守りたかった。


あなたが作ろうとしている未来を、守りたかった。


死者たちの名前を取り戻す火を、消したくなかった。


だから。


――どうか許して


次の瞬間、冷たい水が世界を呑み込んだ。


◇◇◇


渓谷の上に、長い沈黙が落ちた。


岩肌にぶつかりながら、水しぶきを上げる濁流の音だけが響いていた。


誰も、すぐには動けなかった。


ジェラルドは崖の縁に立ち、闇の底を見下ろしていた。


手袋の中の指が震えている。


怒りか。

恐怖か。

それとも、惜しさか。


自分でもわからなかった。


背後で部下の一人が言う。


「保安官殿……女は」


「黙れ」


低い声だった。


男は口を閉じた。


ジェラルドはゆっくりと振り返る。


「向こうの橋から回り込んで馬を探せ」


「は、はい」


「それから、白銀の尾を持ってこい」


誰も返事をしなかった。


ジェラルドは静かに、歪んだ笑みを浮かべた。


「黒狼王はすぐそばにいる」


渓谷の底から、濁流の音だけが響いている。


「たとえ死体になっても、あの女はまだ使える」


その時、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。


一つ。

また一つ。

水底へと消えた女の遠吠えに応えるように。

森の奥から、山を越えて、夜を裂くように。


ジェラルドの笑みが、ほんの少しだけ強張った。


黒狼王が、近づいている。


そして、白銀の花嫁はもう、そこにはいなかった。

もし、このお話を好きだ!と思ったらイイねやブックマークを!

気になる、気に入ったと思ったらコメントや評価☆☆☆☆☆,をお願いします。

定期更新を心がけてます。ぜひブックマークを!大変喜びます♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。