エピローグ
“ピッピッピッ”と等間隔で音が鳴っている。瞼が重い。徐々に意識がはっきりすると全身が重く、所々に痛みを感じる。ここはどこだろう。何とか目を開けると白い天井が見えた。見知らぬベッドに自分が寝かされている事が分かる。多分点滴と思われる物がぶら下がっており、そこから伸びたコードが自分に繋がれていた。
「木崎さん?意識はありますか?」
「は、はい」
私が起きたのに気付いてやってきた白衣の女性に返事をする。彼女は看護師で、自分はどこかの病院にいるのだろう。ようやく脳が動き始める。
(病院?という事は、ここは元の世界?え?私は死んだんじゃないの?)
その後は中年の医者が来て色々聞かれ、家族に連絡を入れたからもうすぐ来ると説明された。医者の話では十日前に車に轢かれ、一命は取り留めたもののずっと意識不明だったそうだ。十日間。向こうの世界での十日間はもしかして夢だったのだろうか。命を賭けた行動が夢オチだったなんてあまり笑えない。
「希蘭!本当に良かった……。二度と目が覚めないんじゃないかと……」
少しして両親と弟が病室にやって来た。母はベッドの横で涙を流し、普段あまり感情を見せない父もその後ろで涙ぐんでいた。でも、私はあまり感情を動かされなかった。最近家で家族との距離感が分からなくなり、あまり会話をしていなかったのもある。
「姉ちゃん、これ。事故にあった時に手に握ってたって。大切な物なんだろ」
弟が近付いて来て、何かを私の手の平の上に乗せた。それは赤石と青石だった。もう光は発せず、ただのガラス玉みたいになっている。瞬間私は目から涙がこぼれ、止まらなくなった。夢じゃなかったんだ。私はあの世界の人達を救えたんだ、と。その後の家族と話をしたが、正直頭に入ってこなかった。
翌日、病室で私はボーっと考えていた。どうして私は消えなかったんだろう、と。神様みたいな存在が私の行いを見て、ご褒美をくれたのだろうか。ベッドの横の机に置いてある二つの石を見る。光は放たないけれど、形はあの世界で見た物と同じだ。そもそもこっちの世界で私が拾った覚えは無いし、こっちの世界に戻ってきた時に持ってきたとしか思えない。
「失礼します」
病室に誰か入ってくる。聞き覚えのある女性の声だった。
「先輩。わざわざ来てくれたんですか?」
「良かった、本当に意識が戻ったのね」
病室に見舞いに来たのは私が好きだった先輩だった。その顔を見て、やっぱり素敵だ、とは思う。でも、あの時の恋心はもう残っていなかった。胸のときめきはもう無い。
「あの日、わたしがあんな事を言ったから、木崎さんが傷付いて、その、自殺でもしたんじゃないかって、気が気じゃなくて……」
「いえ、違います。たまたまボーッとしてたら車に轢かれただけで。私の不注意で先輩が気にする事はありませんよ」
事実は違うけど、別に先輩に負い目を感じて欲しい訳ではない。それに事故は本当に私の不注意だし、先輩に責任なんて無い。
「ありがとう、嘘でもそう言ってもらえて。早く怪我を治して部活に戻って来てね。何かして欲しい事があれば協力するから」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。先輩は部活で忙しいと思いますし、そちらに集中して下さい。お見舞いに来てくれて本当に嬉しかったです」
先輩は申し訳なさそうな顔をして帰っていった。これでいい。もう先輩と話す事も無いだろう。今私の胸を満たしているのは向こうの世界での記憶なのだから。
結局夏休み一杯は病院で過ごす事になってしまった。リハビリを除いては特にやる事も無く、自分の気持ちの整理をするにはいい時間だったかもしれない。運良く後遺症が残るような怪我はしておらず、しばらく歩くのがやや不自由な位で済んだのだった。
2学期が始まり、また学校での日常が始まる。でも、学校の勉強も、クラスメイトとの会話も何もかもが味気なく感じた。安全で、平和で、生きるのに困らない世界。幸せな生活な筈なのに、私は生きている感じがしなかった。
バドミントン部は辞め、帰宅部になった。怪我を理由に辞めるのは簡単だったので後腐れは無かった。私は毎日放課後になると学校周辺を門限ギリギリまで散策した。あの日石段を昇った神社を探してだ。意外と学校の周りに神社はあり、それを一つ一つ確認したが、あの日の神社は見つからなかった。あくまで事故の後に幻覚で見た景色で、そんな神社は存在しないのかもしれないと思い始めていた。
散策を始めて2週間が経った時、私は気まぐれに学校の北側を散策していた。地図アプリではこの辺に神社の表示は無いれど、何か気になったからだ。
空は日が沈み始め、夕日になっていた。風が吹いていて、それに誘われるように路地を進んで行く。雑木林が見え、狭い路地を抜けると、そこにはあの日見た鳥居が立っていた。私の鼓動が速くなる。石段を昇り始めるが、怪我の後遺症でそこまで速く昇れず、とてももどかしい。私はぜいぜいと呼吸を荒くしながら石段を昇っていく。石段の終わりにも鳥居がある。そこを抜ければ……。
そこには寂れた境内と小さな神社があった。神主がいるような大きな神社ではなく、あまり人が訪れない場所みたいだ。辺りを見回すがそこは何の変哲もない普通の神社でしかなかった。壊れかけた街灯が点滅しながら周囲を照らしている。
何となく分かってた。もしあの世界が本当にあったとしても、向こうへ行く方法は失われてしまったと。あの日の自分は死んでも構わないと思っていた。でも、今はそうじゃないから回廊は現れない。それに本当に私が作った世界があったとしても、あそこには外からの回廊は無いのだと。
私はすがるように赤石と青石を取り出したが、それは変わらず光を失っていた。力を使い切ったのだから当然だ。こうしてここで生きている事が奇跡なだけだ。でも、でも……。
私は脱力してしゃがみ込んだ。涙が溢れてくる。もしかしたら向こうの世界に行けるかもしれない。そんな小さな希望を胸に目覚めてからの日々を過ごしていた。我儘だって分かってる。それでもレレリとシシルに会いたかった。
「キラン、泣かないで下さい」
「本当にあたし達がいないとダメだな、キランは」
幻聴だろうか。シシルとレレリの声が聞こえてくる。私は涙をぬぐって周りを見回す。でも、誰もいない。私は寂しさにおかしくなってしまったのだろうか。
「ここだよ。ほら、手の上だ」
言われて手の平を開く。すると赤石と青石がほのかに光り、そこからレレリとシシルの映像が空中に映し出された。
「レレリ、シシル!!」
「元気にしてたか?髪が伸びたな。その髪型も可愛いと思うぞ」
病院では前髪だけ切っていて、退院後も結局後ろ髪は切らず、私の髪型はセミロングになっていた。レレリの何気ない言葉がとても嬉しい。
「ご無沙汰しています。キラン、身体は大丈夫でしたか?」
「うん、今は普通に生活出来る位には回復したよ。それより、これはどういう事?」
「賢者と双子が色々考えてくれてな。今はキランがいるその場所だけは念話の魔法が届くようになったんだ。賢者もたまには役に立つな」
「ミミトとミミコはキランが消滅せずに元の世界に戻る可能性を予測していました。ただそれを知らせてしまうと覚悟が鈍り、世界の創造が失敗する可能性があったので知らせなかったそうです」
シシルの話に何か釈然としない部分もあるけど、こうしてまた生きて話せるのだから文句は無かった。
「そうだ、そっちの世界は大丈夫?ちょっと急ごしらえみたいになっちゃったから」
「大変だったぞ。今まで通り力は使えないし、凶獣や変獣は暴れるわ、異世界の奴らは言う事聞かないわで大忙しだったぞ」
「レレリっ!ですが、そのおかげでアギ族とデオ族は自然と手を組み、セダの民とも賢者を通じて力を合わせるようになりました。機械もゴゴシさんの努力で一部は使えるようになり、今はみんな一丸となって世界の安定の為に頑張っています」
「そうなんだ。ごめんね、苦労させて。でも、アギ族とデオ族が仲良くなれたんなら嬉しいな」
私は向こうの世界で会った人達の顔を思い出す。みんな癖はあってもいい人達だったし、向こうの世界は大丈夫な気がした。
「ねえ、直接会う事って出来るのかな?」
「今は無理だ。でも、双子と賢者が研究してくれてる」
「装置を作って、魔力が溜まれば出来るとは言っています。ですが、1年か2年ぐらいかかるという話です」
「本当?それぐらい待つよ。私はまたみんなと会いたい!」
正直今すぐ直接会いたいが、いずれ会えるのなら我慢出来る。
「あたしもだよ。だって、さ、あの、途中で終わってるしな……。
キランがこっちに来ないと一生処女なんだぞ」
「わたくしも早く会いたいです。キランさえ良ければ全てを捧げる覚悟は出来ております」
「お前は最近ササトといい感じだろ。そっちで我慢しとけ」
「違います、あれはササトが頑張ってるから労ってるだけで。それに貞操はキランと再会するまで守り通します」
「二人ってそんなに仲良かったっけ?私がいない間に何かあったとか?」
二人のやり取りが嬉しく、ちょっと羨ましかったので少しだけ意地悪したくなる。
「そんな訳あるか。ただ、お互い代表同士で一緒にいる事が多いだけだ」
「そうです、こんな小柄な身体に興味はありません」
「なんだと。そうだ!見てくれ、赤石が無くなったからか、あたしも成長が再開したんだ!」
レレリが胸を張って身体を強調する。が、以前から成長したようには見えない。
「そんなに変わったようには見えないけど?」
「馬鹿を言え。身長だって0.5センチは伸びたし、胸だって0.2センチ大きくなったんだ。今に見てろ、あの大人の姿に変わってるからな」
レレリは自信満々に言うが、あくまであの姿はレレリの理想で、そこまで大きくなるとは思えなかった。それに今のままでも十分魅力的だ、とは言わないでおく。
「すみません、そろそろ時間切れです。30日後にまた念話が繋がると思うので、同じ時間にここに来て貰えますか?」
「あたしの成長を30日毎に見られるんだ。浮気するんじゃないぞ」
「分かった。浮気なんてしないよ。楽しみに待ってる」
頻繁に連絡が取れる訳じゃ無い。でも定期的に話せる事は十分嬉しかった。
「じゃあ、またな。愛してるぞキラン」
「またお話ししましょう。わたくしも愛してますよ、キラン」
「うん、待ってる。大好きだよ、レレリ、シシル」
そして石の光が消え、二人の姿も消えた。寂しさを感じつつも、私に生きる気力が湧いてくる。私も出来る事をやろう。体力も、知識も、二人と直接会った時に自慢出来るように。何より、もっと自分を磨いて、二人が惚れ直すような美人になってやるんだと心に誓った。
夜風が冷たくなり、秋の気配を感じさせる。二つの石から二人の温もりを感じ、大事に袋に入れポケットにしまう。見上げると空には満月が昇っていた。私はもう見る事の無い赤い星と青い星を思い浮かべながら石段をゆっくりと降りて行くのだった。
[完]