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天国より野蛮  作者: らら
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天国より野蛮02

天国より野蛮02


同情じゃない、と鶴田は言い切ったけれど純は信じることが出来なかった。でも一年過ぎ、二年過ぎ、三年過ぎて、高校から大学に進学し二年へとあがる今でも鶴田は純の傍を離れようとはしなかった。当時は別れたばかりでぎこちなかった関係も今ではすっかり良好でルームシェアまでしている。これは大学進学を期に一人暮らししたいと両親に願い出たのだが、取り付く島もない返事で却下されたので鶴田に愚痴ったところ両親はあっさり意見を翻した。


「瑛くんと一緒に住むというならいいぞ」

「それが嫌なら諦めなさい」


どうも純の預かり知らぬところで鶴田が掛け合ってくれたらしく、両親は妥協案を提示してきた。このまま実家でいるか。実家を出るなら鶴田と住むか。純に出された選択肢のカードはその二枚のみだった。純は少しだけ迷ったが後者を選んだ。高校在学中もこんな調子でそれは成人を迎えた今も変わらない、息子に対して過保護すぎるのだ、うちの両親は。理由は分かっている。気付けば病院のベッドに寝ていたあの日──未だ何故入院することになったのかは思い出せないが、あの頃を境に純を取り巻く環境は明らかに変わった。放任主義でそれまで家族サービスのかの字も見せなかった仕事人間の両親がことあるごとに純を心配するようになったのだ。純をこっぴどく振った鶴田から復縁したいと言ってきたのも丁度この頃で。だから入院中、不治の病に掛かってしまったのかも知れないと勘違いしたのも無理もない話だ、と純は楽しそうに口角を上げた。こんな風に穏やかな気持ちで過去を振り返られるのは、今が健康そのものだからだろう。声だってしっかり出るようになったのだ。


失った声だけは退院してからもしばらくは出なかった。幸い、周りの助けと理解が合ったおかげで復学し、入院前と変わらない日常生活を送ることが出来た。そのうち少しずつではあるが声を絞り出せるようになり、今では何の苦もなく喋ることが出来る。気付いた頃には何もかもすっかり元通りだった。


(なんであの頃、声が出なかったんだろう。それに……)


いくら考えても行き着く先はいつも同じ。よく分からない、である。疑問を疑問のままにしておくのは心の中がむずむずして落ち着かないが、両親や友人達に入院中の話題を出せば途端に影を落としてしまう。勿論あからさまではなく、表情はそれなりに取り繕っているのだが纏う雰囲気が一変して暗くなってしまうのだ。そうなれば純も無理矢理聞き出そうとはしない。いや、出来なかった。これは入院中も散々感じたことで、やはり触れてはいけないことなのだと純は改めて学習した。両親や友人達にはこれ以上聞けない。だとすれば残るは──鶴田との仲も大分修復された頃、彼に疑問をぶつけた。


「俺、入院する直前の記憶がないんだよな」

「……純は、あの日階段の上から落ちたんだよ」

「そうなのか? 全然覚えてない」


自分のことなのに他人事のように呟く。どれだけ記憶の糸を探ってもあの日のことは何一つ思い出せない。


「今だから言えるけどさ、一部とはいえ記憶がないっていうんでお前の両親大分心配したみたいだよ。脳のことだし、もし打ち所が悪くてそうなったんだったらって……」

「あー」


入院中、ほぼ毎日顔を見せて甲斐甲斐しく純の世話をしてくれた両親の顔が脳裏に浮かんで純は申し訳ない気持ちになる。


「だからこの話はお終い。皆、悲しくなるからね。これからは心配掛けんなよ」

「うん」

「まっ幸い記憶障害は一部だけだったしめでたしめでたしってことで」

「んーでも何で一部だけ抜け落ちゃったんだろ?」


何の気なしに呟いた疑問は。


「一生思い出さなくてもいい、“いらない記憶”だからね」


驚くほど冷たい鶴田の声により一蹴された。




大学から部屋へと帰ってきた純を迎えたのは仁王立ちした鶴田だった。不機嫌さを隠そうともせず「飲み会に参加するのは許さないからね」と開口一番にそう言うや否や話は終わりとばかりに違う話題へとシフトしようとする。あまりに一方的な物言いに呆気に取られた純だったが、直ぐに我に返って反論した。


「いきなり何だよ? 折角二十歳になった祝いにって皆が企画してくれたんだぞ」


純はつい先日二十歳になったばかりだ。サークルの仲間達が純の初飲みを見届けてくれるという。それをサークル仲間でも何でもない鶴田に邪魔する権利があるはずがない。鶴田とはよく笑い合うし、一緒に食事したり、テレビを見たりと本当に仲良くルームシェアしている。しかし彼との関係はあくまで幼なじみで恋人ではないのだ。それなのに鶴田はこうやって独占欲を隠そうともせずぶつけてくるのだから呆れるしかない。鶴田が初めて見舞いに来てくれたあの日、同情ではないと言った。三年も傍で一緒にいてくれた今、その言葉を疑う気にはなれないけれどそれとこれとはまた別の話だ。


「とにかくダメだよ」

「なんだよそれ!? 俺は行くからな! 大体なんで瑛が飲み会のこと知ってるんだよ! お前には関係ないだろ!?」

「純っ!!」


噛みつくように叫ばれ、純よりもずっと体格の良い鶴田の影が威圧の様に覆い被さった時、純はびくりと身を竦めた。相手は幼い頃からよく知っている鶴田だ。自分でも何故身体が硬直してしまうのかは分からないが、すーっと血の気が引いていくのが分かる。可哀想なくらい青白くなった純の瞳にはじわり、と涙の膜が張り震え始める。


──コワイ。コワイヨ。タスケテ。オネガイタスケテ。  !


また頭の中で誰かが形振り構わず泣き叫んでる。入院してからというものごく稀にではあるが、この奇妙な症状が沸き上がってしまう時があるのだ。声の正体は分からない。声は小さい男の子のようにも、中学生の少女のようにも、妙齢の女性のようにも聞こえた。果たしてどれが正解でどれが間違ってるのか、純の中で明確な答えはずっと導き出せていない。


(なんであの頃、声が出なかったんだろう。それに……)


──何故、瑛のことが恐いんだろう。


声が出なくなった頃を思い出す。あの頃は声が出なかっただけでなく、鶴田が恐かった。鶴田に怒鳴られたり、思いがけず見下ろされたりした時は決まって身体が震えてしまうのだ。理由は分からない。少なくとも入院前は、鶴田に酷く怒られても恐いなんて感じたことはただの一度だってなかったのに。はらはらと純の頬に涙が伝った。


「純」


いつの間にか床へとへたり込んでしまった純の目線に遭わせて鶴田が覗き込んでくる。蜂蜜を溶かしたような甘い視線がそこにあった。いつもと変わらない鶴田の姿に純は心底安堵して「御免なさい」とうなだれるように呟いた。


「謝らないで。大丈夫だから。こっちこそ御免ね。飲み会には俺も行くことにしたから参加していいよ」

「ん」


サークルに所属していない部外者である鶴田の独断で参加を決めていいのか、という思いが脳裏を過ぎったがそれは一瞬のことで直ぐにどうでもよくなり小さく頷いた。鶴田の心底優しい声色を聞いていると純の涙はいつの間にか渇いて、変わりに日差しのようにあたたかいもので全てが満たされていく。確かに鶴田を恐いと感じることはある。けれどその恐怖を払拭してくれるのもまた鶴田だった。だから純は鶴田から離れられない。本当に離れられないのは鶴田ではなく、自分の方なのだきっと。純はゆっくりと鶴田を見上げる。あれから三年、鶴田は変わった。


「純は今度こそ俺が守るから」

──御免。守ってあげられなくて御免。


あの日、病室で泣いていた鶴田はもうどこにもいない。

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