第4話 教団
夜の駅前は明るかった。
白い街灯。
コンビニの看板。
信号待ちの車列。
人通りもまだ多い。
だから。
近づかない。
黒世透は北口から少し離れた歩道橋の上にいた。
濃い色のパーカー。
フードを深く被る。
別に変装のつもりはない。
顔を覚えられなければ、それでいい。
昼間と同じ制服で動く気にもならなかった。
学校と。
今からやることを。
わざわざつなげる必要はない。
時刻は二十一時を少し過ぎたところ。
透は手すりに寄りかかるふりをして、駅前を見下ろした。
人の流れの中に。
一ノ瀬麗がいた。
一人。
普通に歩いている。
誰かを待っているようにも見えない。
透は声をかけない。
約束した覚えもない。
ただ。
昨日。
一ノ瀬を追っていた黒い車。
あれが何者なのか。
それだけを確認しに来た。
しばらくして。
少し離れた路肩に黒い車が止まった。
中に二人。
運転席。
助手席。
透は視線を固定しない。
見ていると気づかれる。
反射したガラス。
停車中のバス。
歩道橋の柵。
使えるものを使って見る。
五分。
車は動かない。
一ノ瀬が歩き出す。
少し遅れて。
助手席から男が一人降りた。
さらに。
反対側の路地から別の男が出てくる。
二人とも。
一ノ瀬の進行方向へ歩く。
透は歩道橋を降りた。
追うのは一ノ瀬じゃない。
男たちだ。
距離を取る。
角を一つ。
二つ。
駅前の光が少しずつ遠ざかる。
繁華街を外れると、人通りが急に減った。
細い路地。
古い雑居ビル。
閉まったシャッター。
自動販売機の光だけが妙に明るい。
前を歩く男の一人が小さく話す。
「色欲、北へ移動」
色欲。
透の足がわずかに止まりかける。
昼間。
一ノ瀬が自分で使った言葉。
七つの大罪。
ただの思いつきじゃない。
別の人間も。
同じ呼び方をしている。
もう一人の男が答える。
「接触は避ける。まだ観察だけだ」
透は歩く速度を落とす。
観察。
つまり。
一ノ瀬は監視されている。
何のために。
誰が。
「上からは?」
「大罪保持者として記録継続」
大罪保持者。
透はその言葉を頭の中で繰り返した。
記録。
継続。
この連中は。
今日初めて一ノ瀬を見たわけじゃない。
もっと前から。
知っている。
一ノ瀬はその先で地下街へ入った。
男たちのうち一人が後を追う。
もう一人は。
立ち止まった。
透も止まる。
距離は十数メートル。
男が振り返る。
透は顔を少し伏せた。
フードの影。
街灯は後ろ。
顔は見えにくい。
男の目がこちらへ向く。
数秒。
「誰だ」
透は答えない。
男が近づく。
靴底が濡れた路面を踏む音だけが響く。
「さっきからついてきてるな」
透は男を見る。
『邪魔だ』
聞こえた。
弱い。
でも確かに。
この男も。
抑えている。
表には出していない。
「別に」
「何が目的だ」
「そっちが何してるか気になっただけ」
男の表情が硬くなる。
「帰れ」
「色欲って何」
空気が変わった。
男の目がわずかに細くなる。
今ので。
知られてはいけない言葉だと分かった。
「誰から聞いた」
「今」
透は答える。
男が一歩近づいた。
透は下がらない。
「大罪保持者って?」
「黙れ」
「七つ全部いる?」
男の肩がわずかに動く。
反応。
透はそれだけを見る。
質問の答えは。
言葉じゃなくても取れる。
「前から記録してる?」
男が踏み込んだ。
速い。
透は反射的に半歩下がる。
手が伸びる。
腕を掴まれる前に。
透は男の中の声を探す。
『捕まえろ』
違う。
それは意識している目的だ。
もっと奥。
『逃がしたくない』
まだ違う。
さらに。
『こいつ、何者だ』
聞こえる。
でも。
これだけじゃ使えない。
透は男の手をかわす。
壁際へ追い込まれる。
「止まれ」
男の手が透の肩へ伸びる。
触れられる。
その寸前。
『面倒だ』
透はその言葉に意識を向ける。
その下。
『帰りたい』
小さい。
でも。
確かにあった。
透は男の手首へ触れた。
一瞬。
男の身体が止まる。
眉が寄る。
「……」
次の瞬間。
男は透から目を逸らした。
数歩下がる。
呼吸が乱れる。
「何をした」
透は答えない。
男の視線が出口へ向く。
『帰りたい』
今度は。
はっきり聞こえる。
男は舌打ちすると。
突然。
路地の外へ走り出した。
透は追わない。
見送る。
やっぱり。
触れる。
その欲が表へ出る。
条件は同じ。
ただ。
今までより。
強く出た。
透は自分の手を見る。
その時。
後ろから足音がした。
もう一人。
一ノ瀬を追っていた男が戻ってくる。
こちらを見て。
走る。
透は距離を取る。
男が通信機へ手を伸ばす。
「未確認接触者。男。能力使用の可能性」
能力。
この連中は。
知っている。
かなり。
男が透を見る。
「何者だ」
「そっちが教えて」
「ふざけるな」
『殴りたい』
今度は。
分かりやすかった。
表情は抑えている。
でも。
奥では。
苛立っている。
透は男の拳を避ける。
腕が肩をかすめる。
近い。
触れられる距離。
透は男の肘へ手を当てた。
『殴りたい』
その欲が。
一気に膨らむ。
男の視線が横へ動く。
戻ってきた最初の男。
何が起きたのか分からず。
立ち尽くしている。
次の瞬間。
二人目の男が。
味方の胸ぐらを掴んだ。
「お前が勝手に逃げるからだろ!」
「は?」
「ふざけんな!」
拳。
鈍い音。
最初の男がよろける。
「何してる!」
二人の間に混乱が広がる。
透はその隙に距離を取る。
男の一人が。
こちらを見る。
その目に。
初めて。
明確な警戒が浮かんだ。
「衝動を……表に出してる?」
透は足を止めない。
もう一人が息を呑む。
「まさか」
短い沈黙。
「強欲……」
透はその言葉を聞いた。
強欲。
一ノ瀬が言っていた七つの一つ。
傲慢。
強欲。
嫉妬。
憤怒。
色欲。
暴食。
怠惰。
自分は。
強欲。
まだ確定じゃない。
でも。
この連中は。
そう判断した。
つまり。
似た能力の記録がある。
透は路地の角で一度止まる。
後ろでは。
男たちが通信している。
「推定、強欲」
「対象の顔は?」
「確認できません。フードで不明」
「年齢は」
「不明」
「追え」
透は口元だけで息を吐いた。
顔。
名前。
学校。
まだ割れていない。
向こうが知ったのは。
強欲という能力者がいる。
それだけ。
十分だった。
こっちも手に入れた。
七つの大罪は実在する。
一ノ瀬の作り話じゃない。
そして。
この連中は。
能力者を知っている。
記録している。
過去から。
透は歩き出す。
あいつらは。
使える。
情報源として。
その時。
前から足音がした。
一定の間隔。
急いでいない。
逃げ道を塞ごうともしていない。
透は止まる。
路地の出口。
一人の男が立っていた。
さっきの二人とは違う。
姿勢。
視線。
立ち方。
何より。
静かだった。
透は意識を向ける。
欲の声。
何も聞こえない。
いや。
ないわけじゃない。
薄い。
深く押さえ込まれている。
透はフードの影から男を見る。
男も。
こちらを見ていた。
顔は見えていないはずだ。
それでも。
まっすぐ。
「強欲」
男が言う。
低い声。
透は答えない。
「やっと見つけた」
「誰」
「お前が知る必要はない」
「じゃあ俺も話す必要ないな」
男の目がわずかに細くなる。
後ろから。
さっきの二人の足音が近づいている。
前。
一人。
後ろ。
二人。
透は周囲を見る。
逃げ道はある。
細い脇道。
フェンス。
建物の裏。
走れば。
多分抜けられる。
でも。
目の前の男だけは。
少し気になった。
何も聞こえない。
さっきまでの連中とは。
明らかに違う。
「帰るなら今のうちだ」
透が言う。
男は笑わなかった。
「それはこっちの台詞だ」
一歩。
距離が縮まる。
街灯の光が、男の顔を半分だけ照らした。
それまで自然に下ろしていた両手が、わずかに上がる。
右足が半歩後ろへ引かれた。
重心が落ちる。
さっきまでとは違う。
会話のための立ち方じゃない。
透はフードの奥で目を細める。
男が低く言った。
「強欲」
短い沈黙。
「能力を使え」
さらに腰が落ちる。
「使わないなら――ここで終わる」




