第3話 七つ
放課後。
教室に残っているのは数人だけだった。
窓の外では、部活動へ向かう生徒たちが校庭を横切っている。机を引く音も、廊下を走る足音も、昼間より遠く聞こえた。
一ノ瀬麗は窓際に立っていた。
朝からずっと人に囲まれていたのに。
今は一人。
透は席を立たない。
向こうが来るのを待つ。
予想通り。
一ノ瀬がこちらへ歩いてきた。
「話、しない?」
「ここでなら」
「二人きりの方がよくない?」
「よくない」
即答すると、一ノ瀬は少し笑った。
「警戒してる?」
「昨日会ったばかりだからな」
「私の能力が怖い?」
透は一ノ瀬を見る。
「条件も分からないものに近づく理由がない」
一ノ瀬は一瞬だけ黙った。
それから。
透の前の席へ腰を下ろす。
机一つ分。
近すぎず。
遠すぎず。
「じゃあ情報交換」
「先にそっち」
「ずるい」
「話しかけてきたのはそっちだろ」
一ノ瀬は頬杖をつく。
軽い調子。
でも。
透はその表情を見ていた。
昨日。
人を好きにさせられる。
そして。
自分と同じような人間がいる。
そこまでしか出していない。
まだ何か知っている。
「私みたいなの。他にもいるよ」
「根拠は」
「ある」
「何人」
「多分。七種類」
透の目が止まる。
七人ではなく。
七種類。
言い方が引っかかる。
「能力が?」
「そう」
「なんで七つ」
一ノ瀬は少しだけ視線を外した。
答えるか迷っている。
その間。
透は口を挟まなかった。
待った方がいい。
黙っている人間は、相手が沈黙を嫌えば勝手に喋る。
案の定。
一ノ瀬が口を開いた。
「七つの大罪って知ってる?」
透は数秒考える。
「傲慢。強欲。嫉妬。憤怒。色欲。暴食。怠惰」
「ちゃんと知ってるじゃん」
「名前だけ」
一ノ瀬は自分を指す。
「私は多分、色欲」
透はその言葉を頭の中で転がす。
色欲。
人を惹きつける。
確かに。
単純な連想なら合う。
ただ。
「多分?」
「誰かに正式認定されたわけじゃないし」
「じゃあ仮説」
「そう」
「七つあるっていうのも?」
「半分は仮説」
「残り半分は」
一ノ瀬の表情が少しだけ変わる。
透はそれを見逃さない。
「誰かから聞いた」
一ノ瀬は答えない。
それで十分。
情報源がいる。
本人より詳しい誰か。
「誰」
「それは秘密」
「じゃあ交換になってない」
「あなた何も出してないけど」
「出すって言ってない」
一ノ瀬が目を細める。
透は気にしない。
能力の内容を話す必要はない。
触れる必要があることも。
何が聞こえるかも。
相手がどこまで知っているのか分からない以上。
自分から条件を渡すのは馬鹿らしい。
「あなた、何ができるの?」
「分からない」
「昨日、聞こえたって言ったじゃん」
「聞こえた。それだけ」
嘘ではない。
全部でもない。
一ノ瀬は透の顔をしばらく見る。
見透かそうとしているようだった。
透は視線を外さない。
先に折れたのは一ノ瀬だった。
「ほんと話しづらい」
「そう」
「普通、もうちょっと興味持つでしょ」
「持ってる」
「全然見えない」
「見せる必要ないから」
一ノ瀬が小さく息を吐く。
でも。
怒ってはいない。
むしろ。
面白がっている。
それが少し面倒だった。
「能力って、強くなることもあるみたい」
「どういう意味」
「最初から全部できるわけじゃないってこと」
透は黙る。
それは重要だった。
自分の力も。
今見えているものが全部とは限らない。
「誰から聞いた」
「だから秘密」
「そいつも能力者?」
一ノ瀬は答えない。
また。
沈黙。
透は頭の中で整理する。
七種類。
七つの大罪。
能力の成長。
情報源。
一ノ瀬以外に。
知っている人間がいる。
「じゃあ、あなたは何を知りたいの?」
一ノ瀬が聞く。
透は少し考える。
「全部」
一ノ瀬が笑った。
「欲張り」
「そうかもな」
言ってから。
透は自分の言葉に少し引っかかった。
欲張り。
ただの言い回し。
それだけのはずなのに。
妙に残った。
◇
校門を出る。
夕方の空気は昼より冷たい。
一ノ瀬は隣を歩こうとした。
透は歩幅を変えない。
「一緒に帰らない?」
「帰らない」
「即答」
「家知られたくない」
「そこまで警戒する?」
「知り合って二日」
一ノ瀬が笑う。
「じゃあ途中まで」
「別々で」
「冷たいなあ」
「普通」
交差点。
信号が赤になる。
透は立ち止まる。
一ノ瀬は横にいる。
道路の向こうでは、仕事帰りの人間が駅へ流れていく。
自転車。
バス。
車。
どこにでもある夕方。
でも。
透は少し前から違和感を感じていた。
黒い車。
交差点の向こう。
さっきから位置が変わっていない。
エンジンはかかっている。
運転席。
人影。
透は直接見ない。
窓ガラスの反射だけで確認する。
一ノ瀬も。
一瞬。
そちらを見た。
気づいている。
透は何も言わない。
信号が青になる。
「じゃあ、また明日」
一ノ瀬が手を振る。
透は頷かない。
そのまま別の方向へ曲がる。
一ノ瀬も反対へ歩き出す。
数十メートル。
透はコンビニのガラスへ視線を移す。
黒い車。
動かない。
一ノ瀬を追っている。
少なくとも。
自分ではない。
透は歩き続ける。
助ける。
そういう発想は浮かばなかった。
一ノ瀬自身も気づいている。
能力もある。
今すぐ介入する理由はない。
ただ。
誰が見ているのか。
そこは気になった。
◇
黒い車の中。
助手席の男がスマートフォンを耳へ当てる。
「対象を確認」
短い返事。
男は少し離れた歩道を見る。
一ノ瀬麗が一人で歩いている。
「色欲。単独です」
通話の向こうから何か聞かれる。
男は辺りを見渡した。
会社帰りの人間。
学生。
自転車。
タクシー。
特に不審な人物はいない。
「問題ありません」
『引き続き監視を』
「了解」
通話が切れる。
男は前を見る。
色欲と呼ばれた少女は。
何も知らないように歩いていた。
少なくとも。
男には。
そう見えていた。




