↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
PR
99/139

出立前の宴



 耶馬台国《やまたいこく》への出立《しゅったつ》を目前《もくぜん》に控《ひか》えた宵《よい》――


 投馬《とうま》の宮《みや》は、いつになく熱気《ねっき》に包《つつ》まれていた。


 広間《ひろま》の中央《ちゅうおう》には篝火《かがりび》が据《す》えられ、赤々(あかあか)と燃《も》える炎《ほのお》が、梁《はり》へ揺《ゆ》れる影《かげ》を映《うつ》し出《だ》している。


 火《ひ》の爆《は》ぜる乾《かわ》いた音《おと》は、人々(ひとびと)の話《はな》し声《ごえ》や笑《わら》い声《ごえ》と溶《と》け合《あ》い、宴《うたげ》の賑《にぎ》わいをいっそう深《ふか》めていた。


 篝火《かがりび》を囲《かこ》むように、磨《みが》き上《あ》げられた低《ひく》い膳《ぜん》がいくつも並《なら》べられている。


 その上《うえ》には、さまざまなご馳走《ちそう》が所狭《ところせま》しと並《なら》んでいた。


 炙《あぶ》られた鹿肉《しかにく》からは、じゅう、と脂《あぶら》の落《お》ちる音《おと》が絶《た》えない。


 火《ひ》に落《お》ちた脂《あぶら》が煙《けむり》を立《た》ち上《のぼ》らせ、香《こう》ばしい匂《にお》いが鼻《はな》をくすぐる。


 魚《さかな》は串《くし》に刺《さ》したまま火《ひ》のそばへ並《なら》べられ、弾《はじ》けた皮《かわ》の隙間《すきま》から白《しろ》い身《み》がのぞいていた。


 腹《はら》に詰《つ》めた香草《こうそう》は熱《ねつ》で蒸《む》され、ほろ苦《にが》い香《かお》りが酒《さけ》の匂《にお》いを引《ひ》き立《た》てる。


 そして――果実酒《かじつしゅ》。


 少《すこ》し濁《にご》った酒《さけ》は、火《ひ》の明《あ》かりを受《う》けて鈍《にぶ》く光《ひか》っていた。


 杯《さかずき》を近《ちか》づけるだけで、甘《あま》さと酸味《さんみ》が混《ま》じり合《あ》った香《かお》りが立《た》ち上《のぼ》り、思《おも》わず喉《のど》が鳴《な》る。


 広間《ひろま》のざわめきは絶《た》えない。


 杯《さかずき》が触《ふ》れ合《あ》う音《おと》。


 笑《わら》い声《ごえ》。


 誰《だれ》かの大声《おおごえ》。


 遠《とお》くでは、歌《うた》い始《はじ》める者《もの》までいる。



 その賑《にぎ》わいの中《なか》で――


「アサ! 飲《の》んでるか!」


 ひときわ大《おお》きな声《こえ》が飛《と》んだ。


 振《ふ》り向《む》くと、頬《ほお》を赤《あか》く染《そ》めた浮羽《うきは》が、片手《かたて》に杯《さかずき》を掲《かか》げて立《た》っていた。


 普段《ふだん》の張《は》り詰《つ》めた美貌《びぼう》は影《かげ》を潜《ひそ》め、どこか無防備《むぼうび》な艶《つや》が滲《にじ》んでいた。


 ぐい、と肩《かた》を引《ひ》き寄《よ》せられる。


 思《おも》ったより強《つよ》い力《ちから》に、アサの体《からだ》がよろめく。


「ほら!」


 押《お》しつけられた杯《さかずき》から酒《さけ》がこぼれ、冷《つめ》たい雫《しずく》が指先《ゆびさき》を伝《つた》った。


「遠慮《えんりょ》すんな! 飲《の》め飲《の》め!」


 陽気《ようき》というより、すっかり絡《から》み酒《ざけ》だ。


「今《いま》のうちに精《せい》をつけとけ! 耶馬台国《やまたいこく》までの道《みち》は長《なが》いんだからな!」


 ぐっと顔《かお》を寄《よ》せてくる。


 酒《さけ》の匂《にお》いが濃《こ》く、熱《あつ》い息《いき》がかかる。


「生《い》きて着《つ》けるかもわからんぞ! 今《いま》くらい飲《の》んどけ!」


 冗談《じょうだん》めいた言葉《ことば》。


 けれど、その奥《おく》にある現実《げんじつ》を、ここにいる誰《だれ》もが知《し》っていた。


 その時《とき》――


「物騒《ぶっそう》なことを言《い》うな」


 低《ひく》く落《お》ち着《つ》いた声《こえ》が割《わ》って入《はい》る。


 ミナギだった。


 静《しず》かな口調《くちょう》なのに、不思議《ふしぎ》と逆《さか》らえない強《つよ》さがある。


「お前《まえ》を信《しん》じて預《あず》けるんだ」


 真《ま》っすぐな視線《しせん》が浮羽《うきは》へ向《む》けられた。


「アサの身《み》に何《なに》かあれば――承知《しょうち》せんぞ」


 その低《ひく》い声《こえ》は、賑《にぎ》やかな広間《ひろま》の中《なか》でも、不思議《ふしぎ》なほどはっきりと響《ひび》いた。


 火《ひ》の爆《は》ぜる音《おと》の合間《あいま》を縫《ぬ》うように、重《おも》く静《しず》かに落《お》ちていく。


 浮羽《うきは》は一瞬《いっしゅん》、きょとんと目《め》を丸《まる》くした。


 言葉《ことば》の意味《いみ》が遅《おく》れて届《とど》いたような顔《かお》だった。


 だが、次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》。


「はあ?」


 ぐっと眉《まゆ》を吊《つ》り上《あ》げる。


 芝居《しばい》がかったほど大《おお》げさに、わざとらしく。


「誰《だれ》に向《む》かって言《い》ってるんだ、ミナギ!」


 掲《かか》げた杯《さかずき》が火《ひ》を映《うつ》して揺《ゆ》れる。


 中《なか》の酒《さけ》は縁《ふち》ぎりぎりまで波打《なみう》ち、今《いま》にもこぼれそうだ。


 体《からだ》もぐらりと揺《ゆ》れる。


 足元《あしもと》は頼《たよ》りなく、それでも倒《たお》れないのは、妙《みょう》な体幹《たいかん》の強《つよ》さゆえか。


「この私《わたし》がついてて、どうにかなるわけないだろ!」


 言《い》い切《き》る。


 堂々(どうどう)と。


 何《なん》の迷《まよ》いもなく。


 つい先《さき》ほどまで「生《い》きて帰《かえ》れるかわからん」と言《い》っていた口《くち》とは思《おも》えない。



 アサは思《おも》わず、ぽかんと浮羽《うきは》を見《み》つめる。


(……こんな人《ひと》だったんだ)


 もっと冷《つめ》たく、隙《すき》のない人《ひと》だと思《おも》っていた。


 それが今《いま》は、酒《さけ》に頬《ほお》を染《そ》め、大声《おおごえ》で笑《わら》い、子《こ》どものように怒《おこ》っている。


 その意外《いがい》な姿《すがた》に、アサの胸《むね》から少《すこ》しだけ力《ちから》が抜《ぬ》けた。


 だが――


「……命《いのち》に代《か》えても、連《つ》れて帰《かえ》る」


 ふいに落《お》ちた浮羽《うきは》のひと言《ひとこと》で、空気《くうき》が変《か》わる。


 酔《よ》った勢《いきお》いの言葉《ことば》に聞《き》こえるはずなのに。


 なぜか、その重《おも》みだけは消《き》えなかった。


 火《ひ》の爆《は》ぜる音《おと》が、急《きゅう》に遠《とお》く感《かん》じられる。


 浮羽《うきは》は笑《わら》っている。


 口元《くちもと》はさっきと変《か》わらない。


 けれど、その瞳《ひとみ》だけは少《すこ》しも揺《ゆ》れていなかった。


 冗談《じょうだん》では終《お》わらない覚悟《かくご》が、そこにはあった。


 アサの胸《むね》が、じんわりと熱《あつ》くなる。


 広間《ひろま》は相変《あいか》わらず騒《さわ》がしい。


 笑《わら》い声《ごえ》も、酒《さけ》の匂《にお》いも、篝火《かがりび》の熱《ねつ》も変《か》わらない。


 けれど――その中心《ちゅうしん》にあるのは、ただの浮《う》かれた宴《うたげ》ではなかった。


 別《わか》れを前《まえ》にした、わずかな猶予《ゆうよ》。


 そして、それぞれが抱《かか》える覚悟《かくご》の気配《けはい》。



 ごくり、と小《ちい》さく喉《のど》が鳴《な》る。


 アサは杯《さかずき》を見下《みお》ろした。


 濁《にご》った果実酒《かじつしゅ》が、火《ひ》の赤《あか》を映《うつ》して静《しず》かに揺《ゆ》れている。


 そのまま、迷《まよ》いを振《ふ》り切《き》るように――


 ぐい、と杯《さかずき》を傾《かたむ》けた。


 酒《さけ》が一気《いっき》に流《なが》れ込《こ》む。


 舌《した》に触《ふ》れた瞬間《しゅんかん》、強《つよ》い酸味《さんみ》が弾《はじ》けた。


 少《すこ》し遅《おく》れて、発酵《はっこう》した甘《あま》みと、かすかな渋《しぶ》みが広《ひろ》がる。


 それらが混《ま》ざり合《あ》い、容赦《ようしゃ》なく口《くち》いっぱいに満《み》ちた。


 思《おも》わず目《め》を細《ほそ》める。


 それでも止《と》めない。


 熱《あつ》い酒《さけ》が喉《のど》を焼《や》くように落《お》ちていく。


 最後《さいご》の一滴《いってき》まで飲《の》み干《ほ》した。


 杯《さかずき》の底《そこ》が見《み》える。


 アサは、ふう、と息《いき》を吐《は》いた。


 胸《むね》の奥《おく》がじんわりと熱《あつ》い。


 少《すこ》し遅《おく》れて、頭《あたま》がふわりと軽《かる》くなる。


「……ッ……」


 かすれた声《こえ》が漏《も》れた。


 けれど。


 口元《くちもと》には、ほんの少《すこ》し笑《え》みが浮《う》かんでいた。


 さっきまで胸《むね》を締《し》めつけていた緊張《きんちょう》が、少《すこ》しだけほどけていく。


 火《ひ》の揺《ゆ》らぎも、人々(ひとびと)の笑《わら》い声《ごえ》も、どこか柔《やわ》らかく遠《とお》く聞《き》こえた。


 その様子《ようす》を見《み》て、浮羽《うきは》が声《こえ》を上《あ》げて笑《わら》う。


「はは! いい飲《の》みっぷりだ!」


 ばしん、と遠慮《えんりょ》なく背中《せなか》を叩《たた》かれる。


 その衝撃《しょうげき》で、視界《しかい》がまた少《すこ》し揺《ゆ》れた。


「そうでなくちゃな! もっと行《い》け! もっと!」


「無茶《むちゃ》を言《い》うな」


 すぐさまミナギが口《くち》を挟《はさ》む。


 そのやり取《と》りに、周囲《しゅうい》からどっと笑《わら》いが起《お》こった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。