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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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知らぬ過去




 宴《うたげ》は相変《あいか》わらず続《つづ》いていた。


 誰《だれ》かが太鼓《たいこ》のように器《うつわ》を叩《たた》き、別《べつ》の誰《だれ》かが調子外《ちょうしはず》れの歌《うた》を乗《の》せた。



 火《ひ》の揺《ゆ》らぎを背《せ》に受《う》けて、ミナギの瞳《ひとみ》がこちらを捉《とら》えていた。


 騒《さわ》がしさの中《なか》にあって、その視線《しせん》だけが妙《みょう》に静《しず》かで、まっすぐに落《お》ちてくる。


「飲《の》みすぎるなよ」


 優《やさ》しい声《こえ》。


 それだけで胸《むね》の奥《おく》が、わずかに熱《ねつ》を帯《お》びる。


 アサは小《ちい》さく頷《うなず》く。


 何《なに》かを言《い》おうとして、言葉《ことば》が喉《のど》に引《ひ》っかかる。


 伝《つた》えたいことはあるはずなのに、うまく形《かたち》にならない。



 その時《とき》――


「なーに神妙《しんみょう》な顔《かお》してんだ、お前《まえ》ら」


 ずい、と横《よこ》から顔《かお》が割《わ》り込《こ》んできた。


 浮羽《うきは》だった。


 頬《ほお》を赤《あか》く染《そ》めたまま、にやりと口元《くちもと》を歪《ゆが》める。


 明《あき》らかに、面白《おもしろ》がっている顔《かお》だ。


「こういう時《とき》はな、もっとこう――」


 と、言《い》いながら、二人《ふたり》の肩《かた》にそれぞれ腕《うで》を回《まわ》そうとする。


「……寄《よ》るな」


「固《かた》い固《かた》い!」


 ミナギの即座《そくざ》の拒絶《きょぜつ》を、浮羽《うきは》はまるで意《い》に介《かい》さない。


「ほら、まだ全然《ぜんぜん》減《へ》ってないじゃないか。飲《の》め飲《の》め」


「余計《よけい》な世話《せわ》だ」


 間髪入《かんぱつい》れず、ミナギが素《そ》っ気《け》なく返《かえ》した。


 だが浮羽《うきは》は、むしろ楽《たの》しげに片眉《かたまゆ》を上《あ》げた。


「余計《よけい》な世話《せわ》、ねえ……」


 くっ、と喉《のど》で笑《わら》う。


「昔《むかし》はあんなに甘《あま》えてきたくせに」


 ぴたり、と空気《くうき》が止《と》まる。


「……何《なに》を――」


 ミナギの声《こえ》が、ひときわ低《ひく》くなる。


「決《き》まってるだろ。夜《よる》だよ、夜《よる》」


 浮羽《うきは》は、ひらひらと指先《ゆびさき》を遊《あそ》ばせながら、にやりと笑《わら》った。


「雷《かみなり》が鳴《な》った夜《よる》だったか? それとも風《かぜ》の強《つよ》い夜《よる》だったか――」


「浮羽《うきは》」


 低《ひく》い声《こえ》。


 明確《めいかく》な制止《せいし》。


 だが、浮羽《うきは》は止《と》まらない。


「怖《こわ》い怖《こわ》いってベソかきながら――」


 わざとらしく声《こえ》を潜《ひそ》める。


「私《わたし》の寝床《ねどこ》に潜《もぐ》り込《こ》んできてたじゃないか」


 空気《くうき》が、一瞬《いっしゅん》止《と》まった。



「――いつの話《はなし》をしている!」



 ミナギの声《こえ》が鋭《するど》く跳《は》ねた。


 珍《めずら》しく、感情《かんじょう》が露《あら》わになっている。


 普段《ふだん》の揺《ゆ》るがぬ冷静《れいせい》さが崩《くず》れていた。


「可愛《かわい》かったなあ。あの頃《ころ》はまだ――」


「……黙《だま》れ」


 低《ひく》く、押《お》し殺《ころ》すような声《こえ》。


 だがその声音《こわね》には、どこか居心地《いごこち》の悪《わる》さが混《ま》じっていた。



 アサは――


 ただ、固《かた》まっていた。


 視線《しせん》が、思《おも》わずミナギへ向《む》かう。


 ミナギは、わずかに顔《かお》を背《そむ》けていた。


 火《ひ》の光《ひかり》が横顔《よこがお》を照《て》らす。


 その表情《ひょうじょう》は読《よ》み取《と》りにくい。


 だが、耳《みみ》のあたりが――ほんのわずか、赤《あか》いように見《み》えた。


 「……子《こ》どもの頃《ころ》の話《はなし》だ」


「へえ?」


 浮羽《うきは》が、さらに追《お》い打《う》ちをかけるように口《くち》を開《ひら》く。


「じゃあ今《いま》は怖《こわ》くないのか?」


「浮羽《うきは》」


「夜《よる》、一人《ひとり》でも平気《へいき》か?」


「いい加減《かげん》に――」


「雷《かみなり》鳴《な》ったらどうする?」


「貴様《きさま》……!」


 とうとうミナギが一歩《いっぽ》踏《ふ》み出《だ》す。


 その様子《ようす》に、周囲《しゅうい》からまた笑《わら》いが起《お》こる。


 完全《かんぜん》に、からかわれている。


 火《ひ》の周《まわ》りの空気《くうき》は、さっきまでよりもさらに軽《かる》く、ほどけていた。


 ――その中《なか》で。


 アサだけが、ほんのわずかに取《と》り残《のこ》されたような感覚《かんかく》を覚《おぼ》えていた。


 浮羽《うきは》は遠慮《えんりょ》がない。


 ミナギも、それを本気《ほんき》で拒《こば》んでいるわけではない。


 あそこまで、無防備《むぼうび》な過去《かこ》を口《くち》にされても。


(……知《し》らない)


 そんな話《はなし》。


 夜《よる》が怖《こわ》くて眠《ねむ》れなかったことも。


 誰《だれ》かの寝床《ねどこ》に潜《もぐ》り込《こ》んでいたことも。


 自分《じぶん》は、何《なに》ひとつ知《し》らない。


 ぐ、と指先《ゆびさき》に力《ちから》が入《はい》る。


 空《から》になった杯《さかずき》の縁《ふち》が、かすかに鳴《な》った。


 浮羽《うきは》とミナギのやり取《と》りは、まだ続《つづ》いている。


「だから言《い》ってるだろ、あの頃《ころ》は――」


「過去《かこ》の話《はなし》だ」


「今《いま》でも怖《こわ》かったら言《い》えよ? 添《そ》い寝《ね》くらいしてやるぞ?」


「誰《だれ》が頼《たの》むか!」


 また笑《わら》いが起《お》こる。


 胸《むね》の奥《おく》が、ちくりと痛《いた》む。


 理由《りゆう》は――わかっている。


 けれど、認《みと》めるのは少《すこ》し悔《くや》しい。


 アサの唇《くちびる》がわずかに尖《とが》る。


「……仲《なか》、良《い》いんだ」


 ぽつり、と。


 気《き》づけば口《くち》に出《だ》してしまっていた。


 言《い》ってから、ハッとする。


 今《いま》のは。


 どう考《かんが》えても――


 拗《す》ねているようにしか聞《き》こえない。


 ミナギの動《うご》きが、ぴたりと止《と》まる。


 浮羽《うきは》は一瞬《いっしゅん》きょとんとして、次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》にやりと笑《わら》った。


「お? なんだ、妬《や》いてるのか?」


「……ちがいます!」


 思《おも》ったより強《つよ》い声《こえ》が出《で》た。


 一瞬《いっしゅん》、周囲《しゅうい》の視線《しせん》が集《あつ》まる。


 しまった、と思《おも》う。


 だが――もう遅《おそ》い。


 浮羽《うきは》は、ますます面白《おもしろ》そうに笑《わら》った。


「ははは! 可愛《かわい》いヤツだな、お前《まえ》は!」


 ひょい、と覗《のぞ》き込《こ》まれる。


 視線《しせん》が泳《およ》ぐ。


 落《お》ち着《つ》かない。



 その時《とき》――


「浮羽《うきは》」


 低《ひく》く、押《お》さえた声《こえ》。


 ミナギだった。


 さっきまでとは違《ちが》う。


 明《あき》らかに、線《せん》を引《ひ》く声音《こわね》。


「それ以上《いじょう》はやめろ」


 短《みじか》く、だがはっきりと告《つ》げる。


 浮羽《うきは》は一瞬《いっしゅん》だけ目《め》を細《ほそ》めて――


「はいはい。怖《こわ》い怖《こわ》い」


 やれやれと肩《かた》をすくめた。



 アサは、いたたまれずに視線《しせん》を落《お》とした。


 頬《ほお》が熱《あつ》い。


 酒《さけ》のせいだけではないと、はっきりわかる。


(……何《なに》やってるんだろう、私《わたし》)


 胸《むね》の奥《おく》が、じくりと疼《うず》く。


 あんな言《い》い方《かた》をするつもりじゃなかった。


 ただ――ほんの少《すこ》し、引《ひ》っかかっただけなのに。


 それが、そのまま声《こえ》に出《で》てしまった。


 子《こ》どもみたいだ。


 ぐ、と唇《くちびる》を噛《か》む。



(……嫌《いや》だ)


 こんなふうに、感情《かんじょう》を持《も》て余《あま》す自分《じぶん》が。


 もう一度《いちど》だけ、顔《かお》を上《あ》げる。


 ミナギと、目《め》が合《あ》いそうになって――


 反射的《はんしゃてき》に逸《そ》らした。


 これ以上《いじょう》ここにいたら、余計《よけい》に何《なに》かをこぼしてしまいそうだった。


 すっと立《た》ち上《あ》がる。


 ざわめきの中《なか》に紛《まぎ》れるようにして、その場《ば》を離《はな》れた。




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