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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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98/108

夕映えに残るもの



 ()(ひかり)が、(みや)回廊(かいろう)(しず)かに()(そそ)いでいた。


 (おだ)やかな午後(ごご)


 アサは、(となり)(ある)くミツの(はなし)(みみ)(かたむ)けながら、ゆっくりと(ある)いていた。



 出立(しゅったつ)()(ちか)づいている。


 そう(おも)ってからの日々(ひび)は、(おどろ)くほど(はや)かった。


 ()(うつ)るもの。


 ()こえる(こえ)


 何気(なにげ)ない(みや)での時間(じかん)


 すべてが、(すこ)しずつ「最後(さいご)」になっていく。


 それでも――


 アサは、()わらないものを大切(たいせつ)にしていた。


 そのひとつが、こうしてミツと(なら)んで(ある)時間(じかん)だった。



「それでさぁ、厨房(ちゅうぼう)のトメさんがまた(おこ)ってたのよ」


 ミツは身振(みぶ)手振(てぶ)りを(まじ)えながら、(たの)しそうに(はな)している。


「『味見(あじみ)をする(ひと)(おお)すぎるから料理(りょうり)()るんだ』って。でもね、一番(いちばん)つまみ()いしてるの、結局(けっきょく)トメさん本人(ほんにん)なの」


 (おも)()しただけで可笑(おか)しいのか、ミツは(かた)()らして(わら)った。


「もう(みんな)()わないだけで()かってるんだから」


 その屈託(くったく)のない笑顔(えがお)()て、アサも自然(しぜん)口元(くちもと)(ゆる)める。



 その(とき)だった。


 ふいに、ミツの(あし)()まる。


「……あ」


 (ちい)さな(こえ)


 アサが不思議(ふしぎ)そうに(かお)()けると、ミツの視線(しせん)(すこ)(さき)()いていた。



「……ヒシンだ」


 名前(なまえ)()(こえ)が、ほんの(すこ)しだけ(はず)む。


 そこにいたのは、()(たか)青年(せいねん)だった。


 (ととの)った(すず)しげな顔立(かおだ)ち。


 ミツの(おさな)なじみ。


 そして――


 ミツが(おも)(つづ)けている相手(あいて)



 (つぎ)瞬間(しゅんかん)


 ミツは(きゅう)()()きをなくしたように、(かみ)()をやった。


 (ころも)(はし)(ととの)え、姿勢(しせい)(ただ)す。


 そして、アサへ小声(こごえ)(たず)ねた。


「ねえ……大丈夫(だいじょうぶ)かな?」


「え?」


(へん)なところない?」


 真剣(しんけん)(かお)()くミツに、アサは(おも)わず()(ほそ)めた。


「うん」


 (すこ)()()いて。


可愛(かわい)いよ」


「えっ!?」


 ミツの()(おお)きく(ひら)く。


「や、やだなぁ、もう!」


 ミツは(ほお)()め、()れたように()()った。


 その表情(ひょうじょう)()ていると、アサまで自然(しぜん)()みがこぼれる。


 (こい)をしている(ひと)は、こんなにも()わるのだと(おも)った。


 普段(ふだん)(あか)るく、どこか豪快(ごうかい)なミツが。


 (ほお)()め。


 (ひとみ)(かがや)かせ。


 その姿(すがた)は、(だれ)()ても可愛(かわい)らしかった。




「よぉ、ミツ」


 (かる)(こえ)()んできた。


 ヒシンだった。


「お(まえ)(こえ)()こうの(かど)から丸聞(まるぎ)こえだったぞ」


「えっ……!?」


 一瞬(いっしゅん)でミツの(かお)(あか)くなる。


「ちょっと! (うそ)でしょ!?」


「いや、本当(ほんとう)


 ヒシンは(わる)びれもせず、(わら)う。


「やだもう……!」


 ()ずかしそうに(まゆ)()せるミツ。



 アサは(すこ)(はな)れた場所(ばしょ)から、二人(ふたり)(なが)めていた。


(やっぱり……(なか)いいな)


 遠慮(えんりょ)のない言葉(ことば)


 気安(きやす)(わら)い。


 けれど。


 その(おく)には(たし)かな(やさ)しさがある。


 言葉(ことば)にしなくても(つた)わるものがある。


 二人(ふたり)(あいだ)には、(おだ)やかで(あたた)かな空気(くうき)(なが)れていた。




 ふと。


 アサは、(すこ)(うし)ろに()人物(じんぶつ)()づいた。


 こちらを()ている。


 真面目(まじめ)(かお)


 けれど、視線(しせん)(かさ)なった瞬間(しゅんかん)――


 その(ひとみ)が、わずかに()れた。


(あ……)


 アサは記憶(きおく)(さが)す。


 そして。


(あの(とき)の……)


 (おも)()した。


 以前(いぜん)井戸(いど)水汲(みずく)みを手伝(てつだ)ってくれたわか(へい)


 名前(なまえ)までは()らない。


 けれど、あの()親切(しんせつ)(おぼ)えていた。


 アサは(ちい)さく(あたま)()げる。


 ありがとう。


 そう(つた)えるように。


 そして、(やわ)らかく微笑(ほほえ)んだ。



 その瞬間(しゅんかん)


 アオバの身体(からだ)は、まるで(とき)()まったように(うご)かなくなった。


 (むね)(おく)が、(おお)きく()る。


 (ほお)(あつ)い。


 (なに)()わなければ。


 そう(おも)うのに、(のど)から(こえ)()てこない。



 そんなアオバの変化(へんか)に、ヒシンはすぐ()づいた。


 けれど。


 からかうことはしなかった。


 ただ、(すこ)しだけ口元(くちもと)(ゆる)める。


 そして――


「そういや、アサちゃんももうすぐ投馬国(とうまこく)()つんだよな」


 突然(とつぜん)(はなし)()られ、アサが()(またた)かせる。


「は、はい」


 (ちい)さく(うなず)く。


「いやぁ……しかし、もうアサちゃんなんて気軽(きがる)には()べないか」


 ヒシンは冗談(じょうだん)めかして(わら)った。


 アサは(こま)ったように(まゆ)()げる。


「そんな……(いま)まで(どお)りで大丈夫(だいじょうぶ)ですよ」


 するとヒシンは、(きゅう)表情(ひょうじょう)()()めた。


 そして。


 わざとらしく背筋(せすじ)()ばす。


本日(ほんじつ)御元気(おげんき)そうで(なに)よりでございます、アサ(さま)


 深々(ふかぶか)(あたま)()げる。


 その(みょう)丁寧(ていねい)仕草(しぐさ)に――


 ミツが()()した。


 アサも(あせ)ったように(ほお)(あか)らめる。


「もう、全然ぜんぜん似合にあわない〜」


 ミツのけらけらと(わら)(こえ)が、廊下(ろうか)(ひび)いた



 その光景(こうけい)()ながら。


 アオバは、()(まる)くしていた。


(……いつの()に)


 自分(じぶん)()らないところで。


 こんなにも自然(しぜん)(はな)せる関係(かんけい)になっていたのか。


 自分(じぶん)など、おそらく名前(なまえ)すら(おぼ)えられていないというのに。


 いつもモモジが、社交的(しゃこうてき)で、(すこ)気障(きざ)なところのあるヒシンを()るたびに。


「ぐぬぬ……」


 と(くや)しそうな(かお)をしている。


 アオバは、それを(なか)(あき)れながら()ていたのだが――


 (いま)なら(すこ)()かる。


 あいつが(くや)しがる理由(りゆう)が。



 その(とき)


 ヒシンがふとアオバを()る。


「そうだ」


 (かる)(くび)(かし)げた。


二人(ふたり)とも、アオバとは(はな)したことなかったっけ?」


「……ッ」


 突然(とつぜん)名前(なまえ)()ばれ、アオバの(かた)()ねる。


「こいつ、こう()えてすごい(やつ)なんだぞ」


 ヒシンは(わら)う。


(おれ)たち新兵(しんぺい)(なか)でも、(やり)(うで)はかなりのもんだ」


「おい、ヒシン……」


 ()めようとするアオバ。


 だが。


稽古(けいこ)でこいつから一本(いっぽん)()るのは簡単(かんたん)なことじゃない」


 ヒシンは(なん)でもないことのように()った。


「そんなに(つよ)いの?」


 ミツが()(まる)くする。


 そして。


 アサも。


「すごいですね」


 まっすぐな(ひとみ)()った。



 その瞬間(しゅんかん)


 アオバの(かお)が、一気(いっき)(あつ)くなる。


「いや……その……」


 ()きな(ひと)から()けられる、純粋(じゅんすい)称賛(しょうさん)


 (うれ)しい。


 けれど。


 どう(かえ)せばいいのか()からない。


「……たいしたことでは……」


 やっと()言葉(ことば)は、いつものように(みじか)かった。


(……勘弁(かんべん)してくれ)


 (むね)(うち)(つぶや)く。


 ヒシンは絶対(ぜったい)面白(おもしろ)がっている。


 そう(おも)って(よこ)()ると――


 (あん)(じょう)


 口元(くちもと)がニヤニヤしていた。


 アオバは(ちい)さく溜息(ためいき)をつく。


 だが。


 不思議(ふしぎ)(いや)気持(きも)ちはしなかった。

 

 その()もヒシンは、


「こいつは(やり)だけじゃなく、面倒見(めんどうみ)もいい」


(たの)まれたことは最後(さいご)までやりとげてかない」


 などと、次々(つぎつぎ)にアオバの長所(ちょうしょ)()げていった。


 アオバは(かお)()()にして、


「ヒシン、もういい……」


 と(うつむ)くが、アサとミツは素直(すなお)感心(かんしん)していた。


 ()められるたびに、()れて(こま)()てるアオバを()て、ヒシンは(たの)しそうに(わら)った。



 その(とき)だった。


 (とお)くから、


 カン――


 ()んだ(おと)(ひび)いた。


 (ゆう)(かね)


 (みや)に、一日(いちにち)()わりを()げる(おと)だった。


 (ろう)(わた)(かぜ)が、(すこ)(つめ)たくなる。


「あ……もうこんな時間(じかん)


 ミツが(そら)見上(みあ)げる。


 西(にし)(そら)は、(あか)()まり(はじ)めていた。


(はな)()んじゃったね」


 ヒシンが(わら)う。


「だな」


 (みじか)時間(じかん)だった。


 けれど。


 なぜか、いつもより(なが)(かん)じた。


 しばらくして。


「じゃあ、またね」


 ミツがヒシンへ()()る。


「ああ」


 ヒシンも(わら)って(かえ)した。


 アサも(ちい)さく(あたま)()げる。


 三人(さんにん)(ある)()そうとした、その(とき)だった。


「あの……!」


 (こえ)()ていた。


 自分(じぶん)でも(おどろ)くほど、自然(しぜん)に。


 アサが()(かえ)る。


「あ……」


 アオバは(ちい)さく(いき)()う。


 なに()えば。


 そう(かんが)えているうちに、アサとう。


 どきり、と(むね)()る。



 もっと気後(きおく)れせずに(はな)しかければよかった。


 もっと勇気(ゆうき)()していればよかった。


 いまになって、そんな後悔(こうかい)(むね)(おく)から()いてくる。


 けれど、もう(おそ)い。


 アサは、もうすぐここを(はな)れる。


 つぎにいつえるかなんて、からない。


 もしかしたら――


 もう、二度にどえないかもしれない。


 そう(おも)うと、むね(おく)()めつけられるようだった。


 アオバは、ぎゅっと()(にぎ)った。


こうでも……」


 そこで、言葉ことば途切(とぎ)れる。


 なに()()いたことを()いたかった。


 けれど、そんな言葉ことば(おも)いつかなかった。


 結局けっきょくくちからてきたのは――


「お、お元気(げんき)で」


 たった、それだけだった。


 不器用(ぶきよう)言葉(ことば)


 (かざ)()のない言葉(ことば)


 けれど。


 その一言ひとことには、アオバの(むね)(おく)にあるものが、すべてまっていた。


 元気げんきでいてほしい。


 無事ぶじでいてほしい。


 そして――


 いつかまた、えたらいい。


 えなかった言葉ことばわりに、そのねがいだけが、しずかにのこった。




 アサは一瞬(いっしゅん)()(またた)かせる。


 そして――


 (やわ)らかく微笑(ほほえ)んだ。


「ありがとうございます」


 (しず)かな(こえ)


「アオバさんも、頑張(がんば)ってくださいね」


 その瞬間(しゅんかん)


 アオバの世界(せかい)から、周囲(しゅうい)(おと)()えた。


 (かぜ)(おと)も。


 (とり)(こえ)も。


 (ろう)(ある)人々(ひとびと)気配(けはい)も。


 ただひとつ。


 自分(じぶん)()()んでくれた。


 たったそれだけ。


 それだけのことなのに。


 (むね)がいっぱいになった。


 

 アサはもう一度(いちど)丁寧(ていねい)一礼(いちれい)した。


 そして。


 (きびす)(かえ)す。


 ()れる(かみ)


 夕暮(ゆうぐ)れの(ひかり)()ける(ちい)さな背中(せなか)


 その姿(すがた)が、(すこ)しずつ(とお)ざかっていく。


 アオバは、ただ(だま)ってその姿(すがた)見送(みおく)っていた。


 そんなアオバの(となり)で。


 ヒシンは(うで)()みながら、その様子(ようす)(なが)めていた。


 やがて。


 (ちい)さく(いき)()く。


()かったじゃねぇか」


 からかうでもなく。


 茶化(ちゃか)すでもなく。


 ただ、(やさ)しく()った。


 アオバの(かた)が、わずかに()れる。


「……(なに)が」


 ようやく(かえ)した(こえ)は、いつもより(すこ)(よわ)かった。


 ヒシンは(まえ)()いたまま(わら)う。


名前(なまえ)(おぼ)えてもらえたな」


 アオバは(こた)えなかった。


 否定(ひてい)もしない。


 ()(かく)しの言葉(ことば)()てこない。


 ただ。


 (むね)(おく)(のこ)った(あたた)かなものを、大切(たいせつ)(かか)えるように。


 (しず)かに夕暮(ゆうぐ)れの(そら)見上(みあ)げていた。


 


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