旅路の先
耶馬台国への出立がひと月後と定められてから――
ミナギは浮羽とともに、日夜、出立に向けた諸々の調整に追われていた。
卓の上には、細かく書き分けられた荷の目録と、耶馬台国までの道筋を記した地図が並べられている。
その向こうでは、出立の準備に追われる人々の声が行き交っていた。
荷を運ぶ足音。
誰かが呼び交わす声。
戸口を出入りする衣擦れの音。
宮の中は、少しずつ旅立ちの気配に満ち始めていた。
そんな喧騒をよそに、二人は卓を挟んで向かい合っている。
ミナギは地図に記された道筋をじっと見つめていた。
「耶馬台国までは、まず川を使う。舟で上流へ進み、川を離れたら山道へ入る。道そのものは問題ない。ただ、この時期は朝晩が冷える」
浮羽が地図に描かれた道筋を指でなぞる。
「防寒の布は多めに持たせろ」
「そこは手配しておく」
浮羽は筆を取り、荷の目録へ書き加えた。
「食糧は途中で補える場所もあるが、念のため余分に持たせる。水は現地で補給する。護衛は――」
「六人」
「四人で十分だ」
「六人だ」
即答だった。
浮羽の筆が止まる。
ゆっくりと顔を上げる。
ミナギはいつもの落ち着いた顔で、何事もなかったように地図を見ていた。
「……四人で十分だと言ってるんだが?」
「道中、何があるか分からない」
「四人でも十分対応できる」
「六人だ」
またしても迷いのない返事。
浮羽はしばらくミナギを見つめ、それから諦めたように息を吐いた。
「……はいはい」
仕方なく、護衛の欄に「六人」と書き加える。
だが、ミナギの確認はそれで終わらなかった。
「国境に近づいたら、武装したまま集落へ入るな」
浮羽の筆が、また止まった。
「誰の勢力が及んでいる土地か分からぬ場所では、こちらに敵意がなくても警戒される」
「先触れを出すか?」
「必要だ。特に人の多い集落ではな」
「分かった」
浮羽が頷き、筆を走らせる。
ミナギの指が、さらに道の先へと動いた。
その先には、別の勢力へ通じる道もある。
「それから、狗奴国へ通じる道には近づくな」
「当然だ」
「斥候を見ても追わない。こちらから接触もしない」
「分かってる」
「近い場所では、戦うことより見つからないことを優先する。もし見つかったとしても、目的地や人数を知られるな」
「……ミナギ」
「何だ」
「私を誰だと思ってる?」
浮羽は呆れたように眉を上げた。
「私はこういう旅の手配を何度もやってきた。お前が心配するほど素人じゃない」
そう言って、浮羽は筆を置いた。
「しかも、さっきから聞いてりゃ……アサが疲れたら予定を変えろ、だの」
「……」
「腹が減ったら休ませろ、だの」
「……」
「眠そうなら早めに野営しろ、だの――」
浮羽はそこで言葉を切った。
静かになった部屋の中で、遠くから誰かの足音が聞こえる。
やがて、それも遠ざかっていった。
浮羽は筆を置いたまま、じっとミナギを見る。
「私はアサを守り、無事に耶馬台国へ連れ帰る。それは当然だ――だがな」
浮羽は手に持った目録を軽く叩いた。
「籠の鳥のように扱うつもりはないぞ」
わずかに身を乗り出す。
「必要な時は本人にも役目を持たせる」
ミナギの眉が、ほんのわずかに動いた。
浮羽はその変化を見逃さなかった。
「――お前は過保護すぎる」
「……過保護ではない」
ミナギは真顔だった。
「じゃあ何だ」
「……必要な配慮だ」
「同じだよ」
即答だった。
ミナギは反論しようと口を開きかける。
だが、何か言い返そうとして――結局、口を閉じた。
浮羽はそんなミナギを見て、深いため息をつく。
「……まったく」
そして、筆を取り直した。
墨を含ませた筆先が、麻紙の端へ小さく文字を刻んでいく。
――休息はアサの体調を見て決める。
浮羽は書き終えた文字をしばらく眺めた。
これでは護衛の手配をしているのか、王の心配事を聞いているのか分からない。
だが、口には出さなかった。
ミナギがアサの旅を案じていることくらい、浮羽にはとうに分かっていた。
卓の上では、道筋を記した地図が静かに広がっている。
ミナギは何も言わず、そこへ視線を落とした。
指先が、地図の上をゆっくりと動く。
川から山へ。
平地から、深い森へ。
その長い道を歩いていく、アサの姿を思い浮かべるように――
ミナギは、遠い道筋をもう一度、静かに確かめていた。




