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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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遠ざかる日々



 練武場《れんぶじょう》の喧騒《けんそう》が、遠《とお》くからかすかに届《とど》いてくる。


 その脇《わき》に広《ひろ》がる小《ちい》さな庭《にわ》。


 踏《ふ》み固《かた》められた土《つち》の匂《にお》いと、木陰《こかげ》に落《お》ちるやわらかな光《ひかり》。


 その片隅《かたすみ》。


 古木《こぼく》の根元《ねもと》に、アサとミツは腰《こし》を下《お》ろしていた。


 葉擦《はず》れの音《おと》が、かすかに耳《みみ》を撫《な》でる。



「耶馬台国《やまたいこく》かぁ……それはまた……遠《とお》いねえ」


 気《き》の抜《ぬ》けたような、けれどどこか実感《じっかん》を含《ふく》んだ声《こえ》で、ミツが言《い》った。


「うん……」


 アサは小《ちい》さく頷《うなず》いた。



 最近《さいきん》、周囲《しゅうい》の視線《しせん》が変《か》わった。


 畏《おそ》れ。


 遠慮《えんりょ》。


 探《さぐ》るような気配《けはい》。


 誰《だれ》もが一歩《いっぽ》、距離《きょり》を取《と》るようになった。


 ――けれど。


 ミツは、何《なに》ひとつ変《か》わらなかった。


 気軽《きがる》に声《こえ》をかけてきて、隣《となり》に座《すわ》り、くだらない話《はなし》をして笑《わら》う。


 まるで、何《なに》も起《お》きていないかのように。


 以前《いぜん》と同《おな》じ調子《ちょうし》で、同《おな》じ距離《きょり》で。


 気負《きお》いもなく、遠慮《えんりょ》もなく。


 その変《か》わらなさが、どれほど救《すく》いになっているか。



 ミツは、膝《ひざ》を抱《かか》えるようにして、空《そら》を見上《みあ》げている。


「――実《じつ》はあたしさ」


 ふいに、ミツが言《い》った。


 軽《かる》い調子《ちょうし》のまま。


「耶馬台国《やまたいこく》の近《ちか》くの村《むら》で生《う》まれ育《そだ》ったんだ」


 アサは、目《め》を瞬《またた》かせた。


「……そう、なの?」


「うん。まぁ、近《ちか》くって言《い》っても、山《やま》ふたつみっつ越《こ》えたところだけどさ……」


 ミツは、木《き》の幹《みき》にもたれながら、空《そら》を見上《みあ》げる。


 葉《は》の隙間《すきま》からこぼれる光《ひかり》が、頬《ほお》をまだらに照《て》らしていた。


「七《なな》つの時《とき》にさ、戦《いくさ》に巻《ま》き込《こ》まれて――村《むら》、焼《や》けちゃって」


 さらりとした言《い》い方《かた》。


 けれど、その内容《ないよう》はあまりにも重《おも》い。


 アサの胸《むね》が、ひくりと揺《ゆ》れる。


 炎《ほのお》。


 煙《けむり》。


 逃《に》げ惑《まど》う人々(ひとびと)。


 ――焼《や》ける、村《むら》。


 その像《ぞう》が、アサの脳裏《のうり》に重《かさ》なる。


 胸《むね》の奥《おく》が、きゅ、と縮《ちぢ》む。


 自分《じぶん》の記憶《きおく》が、呼《よ》び起《お》こされる。


 逃《に》げる足《あし》。


 振《ふ》り返《かえ》れなかった背中《せなか》。


 失《うしな》われたもの――


 顔《かお》が、わずかに曇《くも》る。


 ミツは気《き》づいているのかいないのか、続《つづ》けた。


「それで、必死《ひっし》に逃《に》げてさ」


 指先《ゆびさき》で、地面《じめん》の小石《こいし》を転《ころ》がす。


「……まぁ、そのあと色々(いろいろ)あって、この投馬国《とうまこく》に流《なが》れ着《つ》いたってわけ」


 あっけらかんとした締《し》め方《かた》。


 だが、その色(・)々(・)の中身《なかみ》が軽《かる》いはずもない。



 アサは、言葉《ことば》を失《うしな》った。


 目《め》の前《まえ》にいるミツは、いつもよく笑《わら》って、よく喋《しゃべ》って。


 どこまでも明《あか》るい。


 底抜《そこぬ》けに、軽《かろ》やかで。


 ――けれど。


 胸《むね》の奥《おく》に、じわりとしたものが広《ひろ》がる。


 知《し》らなかっただけで。


 彼女《かのじょ》もまた、焼《や》け落《お》ちたものを抱《かか》えている。



 風《かぜ》が、ふっと強《つよ》く吹《ふ》いた。


 木《こ》の葉《は》が揺《ゆ》れ、光《ひかり》が揺《ゆ》らぐ。


 その中《なか》で、ミツは変《か》わらず空《そら》を見上《みあ》げたまま、ぽつりと続《つづ》けた。


「昔《むかし》はさ――今《いま》より、もっとたくさんの国《くに》があったんだって」


 遠《とお》くを見るような目《め》。


「でも、ずっと争《あらそ》ってた」


 言葉《ことば》が、ゆっくりと重《かさ》なる。


「奪《うば》い合《あ》って、ぶつかって、たくさんたくさん、人《ひと》が死《し》んだ」


 ミツは、そこで小《ちい》さく息《いき》を吐《は》いた。


「……その中《なか》で――」


 わずかに声《こえ》の調子《ちょうし》が変《か》わる。


「日神呼様《ひみこさま》が立《た》ち上《あ》がったんだって」


 視線《しせん》が、空《そら》から降《お》りてくる。


「争《あらそ》いを鎮《しず》めるために」


 

 アサは、ゆっくりと瞬《またた》きをする。


 その話《はなし》は、知《し》っている。


 タヅマから聞《き》かされたことがある。


 いくつもの国《くに》が割《わ》れ、争《あらそ》い続《つづ》けていた時代《じだい》。


 その中《なか》で現《あらわ》れ、押《お》し鎮《しず》めた存在《そんざい》。


 ――日神呼《ひみこ》。


 ただの為政者《いせいしゃ》ではない。


 人《ひと》の理《ことわり》の外《そと》から、均衡《きんこう》そのものを引《ひ》き寄《よ》せるような。


 ――そんな存在《そんざい》。



 アサは、膝《ひざ》の上《うえ》で手《て》を重《かさ》ねる。


「……うん」


 小《ちい》さく、頷《うなず》いた。


 ミツは、膝《ひざ》に頬杖《ほおづえ》をついたまま、少《すこ》しだけ声《こえ》を緩《ゆる》めた。


「だからさ、耶馬台国《やまたいこく》って、なんか……特別《とくべつ》なんだよね」


 言葉《ことば》を探《さが》すように、少《すこ》しだけ視線《しせん》が泳《およ》ぐ。


「うまく言《い》えないけど、ただの国(くに)って感《かん》じじゃなくて」


 指先《ゆびさき》で、地面《じめん》の砂《すな》を軽《かる》くなぞる。


「うかつに……近《ちか》づきすぎちゃいけないような場所《ばしょ》、っていうか」


 曖昧《あいまい》な言《い》い回《まわ》し。


 けれど、その曖昧《あいまい》さ自体《じたい》が、距離《きょり》の在《あ》り方《かた》を物語《ものがた》っていた。


 

 耶馬台国《やまたいこく》。


 ――遠《とお》い。


 ただ距離《きょり》の話《はなし》ではない。


 届《とど》かない場所《ばしょ》。


 踏《ふ》み込《こ》めば、戻《もど》れない気《き》がする場所《ばしょ》。


 人《ひと》の営《いとな》みから、どこか切《き》り離《はな》されたような――


 秘境《ひきょう》。


 そんな像《ぞう》が、ぼんやりと浮《う》かぶ。


 そこへ、自分《じぶん》は行《い》く。


 決《き》めた。


 もう、言葉《ことば》にもした。


 それでも。


 不安《ふあん》が、消《き》えるわけではない。


 むしろ、形《かたち》を持《も》ちはじめていた。


 見《み》えなかったものが、輪郭《りんかく》を持《も》つ。


 知《し》らなかった場所《ばしょ》が、現実《げんじつ》として迫《せま》ってくる。


 胸《むね》の奥《おく》で、小《ちい》さく何《なに》かが軋《きし》む。


 それは恐《おそ》れなのか。


 それとも――別《べつ》の何《なに》かなのか。


 まだ、分《わ》からない。


 ただ。


 これから自分《じぶん》が向《む》かう先《さき》が、決《けっ》してた(・)だ(・)の(・)場(・)所(・)ではないことだけは、はっきりと理解《りかい》していた。





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