纏う朝
薄明の光が、簀の隙間からやわらかく差し込んでいた。
まだ夜の名残を残す空気の中――その支度は、すでに始まっていた。
室の隅に据えられた桶から、ゆるやかに湯気が立ちのぼる。
薬草を煮出した湯は、淡く色づき、かすかに青い香りを含んでいた。
「こちらへ」
促されるまま、アサは戸惑いながらも足を進める。
衣を外される。
抵抗する間もなく、流れるような手つきで。
やがて――
その身は、静かに湯へと沈められた。
ぬるい温もりが、足先から、腰へ、胸へと広がっていく。
薬湯は肌にまとわりつくようにやわらかく、ただ温めるだけではない何かを含んでいた。
指先が触れる。
侍女たちの手。
布が、肩を、腕を、背を、ゆっくりと滑っていく。
擦るのではない。
なぞるように、しかし逃さぬように。
やがて、柔らかな刷毛のようなものが使われる。
泡立てられた薬液が肌に広げられ、さらに細やかに磨き上げられていく。
光を受けて、肌が変わる。
曇りが消え、淡く、なめらかに。
まるで、元からそうであったかのように。
やがて、湯から引き上げられる。
滴る水を、布が静かに吸い取っていく。
そして――
小さな器がいくつも運ばれる。
香油。
とろりとした液が、掌にとられ、肌へと落とされる。
肩へ。
腕へ。
背へ。
指が滑る。
塗り広げるたび、肌に薄い艶が宿る。
乾きを封じるように、内側へ閉じ込めるように。
香りが立つ。
強くはない。
だが、確かに残る。
草と花のあわい。
清らかで、どこか現実から遠ざけるような香り。
髪にも、わずかに含ませられる。
指が通り、油がなじむ。
そのまま、布がかけられ、次の支度へと移っていく。
背後に回った侍女の指が、そっと髪に触れた。
長く伸びた髪が、櫛で丁寧に解かれていく。
引かれるたび、さらさらと音を立て、光を弾いた。
「……綺麗な髪……」
誰かが、ぽつりとこぼす。
アサは答えられず、ただ視線を落とした。
いく筋にも分けられ、編まれ、結わえられていく。
指が通るたびに、形が整う。
乱れは消え、流れが生まれ、ひとつの意志を持ったかのように収束する。
やがて、ひとりの侍女が前に回った。
小さな器を手にしている。
白い粉。
細やかな白粉が、刷くように肌へ重ねられていく。
肌が、変わっていく。
光を受けて、淡く、やわらかく。
まるで別の誰かのもののように、輪郭がぼやけ、整えられていく。
次に、別の器。
深い赤。
鈍く光を帯びた粉――辰砂。
小さな器から取られた粉が、ほんのわずか、指先で頬へと置かれる。
擦り込むのではなく、息を吹きかけるように、淡く広げられていく。
血の色のようだが、生々しさはない。
静かに、内側から灯るような赤。
唇にも、薄く。
ほんの触れるほどの量で、色が宿る。
何もしていないはずなのに、
顔が、語りはじめる。
仕上げに、目元へと影が落とされる。
炭を細く引き、輪郭をわずかに際立たせるだけ。
それだけで、視線の深さが変わる。
最後に、衣が運ばれる。
腕を通され、重ねられ、結ばれる。
柔らかな布が、肌を滑る。
今まで身につけていた粗い衣とは、まるで違っていた。
指先で触れれば、するりと逃げるような滑らかさ。
幾重にも重なる布が、アサの身体を包んでいく。
次に――
小さな箱が開かれた。
中には、幾筋もの首飾りが収められている。
青緑の玉。
赤褐色の小さな玉。
それらを連ねた細かな飾り。
「……これは……?」
思わず尋ねる。
「大切な御方がお召しになるものです」
侍女は、それ以上を語らなかった。
長く垂れた飾りが、衣の上でゆるやかな弧を描く。
ひとつ身につけるたびに――
アサは、自分の身体が少しずつ遠ざかっていくような気がした。
白い衣。
赤褐色の帯。
青緑と赤の玉を重ねた首飾り。
丁寧に結い上げられた髪。
ひとつひとつは小さなものなのに――
それらが重なるにつれて、アサの姿は、少しずつ別のものへと変わっていった。
これから与えられる役目を、その身に刻むための装いだった。
すべてが終わったとき、
侍女のひとりが、そっと磨かれた銅鏡を差し出した。
「……お目通しください」
促され、アサはおそるおそる視線を上げる。
映ったものを見て、息を呑んだ。
そこにいるのは、自分であって、自分ではない。
白く整えられた肌。
淡く宿る紅。
静かに結い上げられた髪。
そして、余計なものを削ぎ落とされたような、凛とした佇まい。
(……誰……?)
喉の奥で、かすかな音が鳴る。
けれど、目を逸らせなかった。
侍女たちは、一歩退き、深く頭を下げた。
その姿は、まるで完成したものを前にした職人のように。
あるいは――
供物を捧げ終えた者のように、静かだった。




