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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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消せぬ笑顔




 重臣《じゅうしん》たちが居並《いなら》ぶ高殿《たかどの》の間《ま》には、張《は》り詰《つ》めた静謐《せいひつ》が満《み》ちていた。


 外《そと》では風《かぜ》が鳴《な》っているはずなのに、その気配《けはい》すら遠《とお》い。


 篝火《かがりび》が、ぱちりと小《ちい》さく弾《はじ》ける。


 その音《おと》が合図《あいず》であったかのように、クラジが身《み》を乗《の》り出《だ》した。


「――いっそ」


 低《ひく》く、しかし抑《おさ》えきれぬ熱《ねつ》を孕《はら》んだ声《こえ》。


「アサ様《さま》を、正式《せいしき》に后《きさき》としてお迎《むか》えしては如何《いかが》にございますか」


 言葉《ことば》が落《お》ちた瞬間《しゅんかん》――ぴたりと、空気《くうき》が止《と》まる。


 クラジの眼《め》は、燃《も》えていた。


 かつてはただ、王《おう》――ミナギ一人《ひとり》へ向《む》けられていた忠誠《ちゅうせい》が、今《いま》や、もうひとつの対象《たいしょう》を得《え》ている。


 ――アサ。


 あの一件《いっけん》以来《いらい》、彼《かれ》にとってアサはただの娘《むすめ》ではなく、護《まも》るべきもの。


 触《ふ》れさせてはならぬものとなっていた。


 そして今《いま》、その存在《そんざい》に、外《そと》から手《て》が伸《の》びようとしている。


「我《わ》が国《くに》の王《おう》の后《きさき》――その立場《たちば》となれば」


 クラジの声《こえ》がさらに低《ひく》く沈《しず》む。


「耶馬台《やまたい》といえど、軽々(かるがる)しく手出《てだ》しはできませぬ」



 后《きさき》とは単《たん》なる寵愛《ちょうあい》の対象《たいしょう》ではない。


 国《くに》そのものと結《むす》びついた「格《かく》」であり、政治《せいじ》そのものだ。


 そこに触《ふ》れるということは、即《すなわ》ち国《くに》を敵《てき》に回《まわ》すことに等《ひと》しい。


 ゆえに――最《もっと》も分《わ》かりやすく、最《もっと》も強《つよ》い防壁《ぼうへき》。


 だが。


 重臣《じゅうしん》たちは互《たが》いに視線《しせん》を交《か》わしながらも、口《くち》を開《ひら》かない。


 賛《さん》も否《ひ》も、軽々(かるがる)しく言《い》えぬ領域《りょういき》に踏《ふ》み込《こ》んでいると、誰《だれ》もが悟《さと》っていた。


 そして。


 その中心《ちゅうしん》にいる者《もの》も――動《うご》かなかった。


 ミナギは、黙《もく》したままだった。


 視線《しせん》を落《お》としている。


 表情《ひょうじょう》は読《よ》めない。


 だがその内《うち》では、確《たし》かに何《なに》かが揺《ゆ》れていた。


 (……后《きさき》に)


 外《そと》に対《たい》する威圧《いあつ》としては十分《じゅうぶん》すぎる。


 耶馬台《やまたい》の使者《ししゃ》とて、その意味《いみ》を理解《りかい》せぬはずがない。



 王《おう》の后《きさき》。


 その一言《ひとこと》で、アサはもはや奪《うば》える存在《そんざい》ではなくなる。


 だが。


 (……それで、いいのか)


 脳裏《のうり》に、アサの笑顔《えがお》が浮《う》かぶ。


 飾《かざ》り気《け》もなく、作為《さくい》もなく。


 誰《だれ》かに見《み》せるためですらない、ただこぼれるような笑《え》み。


 あの無邪気《むじゃき》さ。


 あの、何《なに》にも縛《しば》られていない軽《かろ》やかさ。


 それが――


 后《きさき》という立場《たちば》を与《あた》えた瞬間《しゅんかん》、果《は》たして同《おな》じままでいられるのか。


 

 守《まも》るため。


 奪《うば》わせないため。


 その名目《めいもく》で。


 ――囲《かこ》う。


 逃《に》げ場《ば》を失《うしな》わせる形《かたち》で。


 本人《ほんにん》が望《のぞ》むかどうかとは無関係《むかんけい》に。


 それは守《まも》ることと、どこまで同義《どうぎ》なのか。


 あるいは。


 ただ――手《て》の内《うち》に置《お》きたいだけではないのか。


 失《うしな》うことを恐《おそ》れるあまり、奪《うば》われる前《まえ》に、自《みずか》ら縛《しば》ろうとしているだけではないのか。


 

 沈黙《ちんもく》が続《つづ》く。


 誰《だれ》もが、ミナギの言葉《ことば》を待《ま》っている。


 決断《けつだん》を下《くだ》せるのは、彼《かれ》しかいない。


 だが――


 ミナギは、なおも口《くち》を開《ひら》かなかった。


 ただ静《しず》かに。


 視線《しせん》を落《お》としたまま。


 胸《むね》の奥《おく》に浮《う》かぶ、あ(・)の(・)笑(・)顔(・)を、消《け》すこともできずに。



「――お待《ま》ちを」


 低《ひく》く、しかし場《ば》を裂《さ》くような声《こえ》が落《お》ちる。


 タヅマだった。


 重臣《じゅうしん》たちの視線《しせん》が一斉《いっせい》に集《あつ》まる中《なか》、彼《かれ》はゆるやかに一礼《いちれい》する。


「クラジ殿《どの》の申《もう》される通《とお》り、后《きさき》という立場《たちば》は、外《そと》に対《たい》する牽制《けんせい》としても、これ以上《いじょう》なく強《つよ》い楔《くさび》となりましょう」


 タヅマは、その意《い》を受《う》け止《と》めた上《うえ》で、静《しず》かに口《くち》を開《ひら》いた。


「――しかし」


 空気《くうき》が、わずかに張《は》り詰《つ》めた。


「それは同時《どうじ》に、我《われ》ら自《みずか》らが動《うご》きを縛《しば》ることにもなります」


 数名《すうめい》の重臣《じゅうしん》が、わずかに眉《まゆ》を動《うご》かす。


「后《きさき》となれば、もはや一個《いっこ》の娘《むすめ》ではありませぬ。儀礼《ぎれい》、血統《けっとう》、継承《けいしょう》――すべてが絡《から》みます。軽々(かるがる)と動《うご》かすことも、隠《かく》すこともできなくなる」


 クラジの眉《まゆ》がぴくりと動《うご》くが、遮《さえぎ》りはしない。


 タヅマはそのまま続《つづ》ける。


「ゆえに、折衷《せっちゅう》の策《さく》を」


 静《しず》かに、しかし明確《めいかく》に。


「正式《せいしき》な冊立《さくりつ》は行《おこな》わず。されど、王《おう》の庇護下《ひごか》にある特別《とくべつ》な位《くらい》として扱《あつか》う」


 言葉《ことば》を選《えら》びながら、その輪郭《りんかく》を示《しめ》していく。


「名目《めいもく》は曖昧《あいまい》に。しかし実態《じったい》は宮中《きゅうちゅう》においては最上位《さいじょうい》の保護《ほご》を与《あた》え、外《そと》に対《たい》しては王《おう》の寵愛《ちょうあい》深《ふか》き者《もの》としてのみ見《み》せる」


 静《しず》かに、しかし明確《めいかく》に。


「――内々(うちうち)の誓約《せいやく》に留《とど》めるのがよろしいかと」


 ざわり、と場《ば》が揺《ゆ》れる。



「すなわち、外《そと》には明《あ》かさぬまま、事実上《じじつじょう》の庇護下《ひごか》に置《お》く、ということか」


 クラジが、低《ひく》く唸《うな》る。


「左様《さよう》にございます」


 タヅマは頷《うなず》いた。


「耶馬台《やまたい》の使者《ししゃ》に対《たい》しては、明言《めいげん》は避《さ》けつつも、軽々(かるがる)しく触《ふ》れてよい存在《そんざい》ではないと悟《さと》らせる……曖昧《あいまい》にしておくことで、相手《あいて》に読《よ》みを強《し》いる形《かたち》となりましょう」


 ツヅミは腕《うで》を組《く》み、しばし沈黙《ちんもく》したのち、吐《は》き捨《す》てるように言《い》う。


「いささか、ぬるい」


 空気《くうき》が、ぴんと張《は》る。


「守《まも》るなら、徹底的《てっていてき》に守《まも》ればよい。半端《はんぱ》は隙《すき》を生《う》みますぞ」


「承知《しょうち》しております」


 タヅマは即座《そくざ》に応《こた》えた。


「ですが――」


 一瞬《いっしゅん》だけ、視線《しせん》がミナギへ向《む》く。


「守《まも》ることと、縛《しば》ることは、紙一重《かみひとえ》にございます」


 その言葉《ことば》は、静《しず》かに、しかし確《たし》かに落《お》ちた。


 ミナギの胸《むね》の奥《おく》で、何《なに》かが、かすかに触《ふ》れる。


 タヅマは続《つづ》ける。


「今《いま》はまだ、選《えら》びを急《いそ》ぐ時《とき》ではないかと。耶馬台《やまたい》の出方《でかた》を見極《みきわ》める余地《よち》を残《のこ》しつつ、アサ殿《どの》の身《み》を確保《かくほ》する――その両立《りょうりつ》が肝要《かんよう》にございます」



 沈黙《ちんもく》。


 先《さき》ほどとは違《ちが》う、思考《しこう》のための沈黙《ちんもく》だった。


 ミナギは、ゆっくりと顔《かお》を上《あ》げた。


 その目《め》は、先《さき》ほどよりもわずかに深《ふか》く、静《しず》まっている。


(……急《いそ》ぐな、か)


 胸《むね》の内《うち》で、タヅマの言葉《ことば》が反芻《はんすう》される。


 守《まも》るという名《な》のもとに。


 どこまでを、奪《うば》わずにいられるのか。


 囲《かこ》わずに守《まも》ることなど、本当《ほんとう》に可能《かのう》なのか。


 何《なに》も変《か》えずに、何《なに》も失《うしな》わせずに、ただ外《そと》だけを遮《さえぎ》るなど――


 そんな都合《つごう》のいい均衡《きんこう》が、存在《そんざい》するのか。


 それとも――


 どこかで必《かなら》ず、削《けず》ることになるのか。


 あの笑顔《えがお》を。


 あの無垢《むく》を。


 守《まも》るために、と言《い》いながら。



「……タヅマの案《あん》」


 低《ひく》く、抑《おさ》えた声《こえ》が落《お》ちる。


 石《いし》に染《し》み込《こ》む水《みず》のように、静《しず》かに場《ば》へ広《ひろ》がった。


 ぴたりと、すべての動《うご》きが止《と》まる。


「採《と》る」


 張《は》り詰《つ》めていた空気《くうき》が、ゆるやかにほどける。


 止《と》まっていた流《なが》れが、再《ふたた》び動《うご》き出《だ》す。


 クラジは腕《うで》を組《く》んだまま、低《ひく》く息《いき》を吐《は》く。


 その表情《ひょうじょう》に不満《ふまん》は残《のこ》る。


 だが、覆《くつがえ》す気配《けはい》はない。


 王《おう》の決断《けつだん》として、受《う》け入《い》れている。


 他《ほか》の重臣《じゅうしん》たちも同様《どうよう》だった。


 誰《だれ》もが完全《かんぜん》に満足《まんぞく》しているわけではない。


 だが、この場《ば》で取《と》り得《え》る最善《さいぜん》の均衡《きんこう》であることは理解《りかい》していた。


 決《けつ》は、下《くだ》された。


 だが――


 ミナギのその胸《むね》の奥《おく》に残《のこ》った揺《ゆ》らぎだけは、なおも消《き》えることなく。


 静《しず》かに、しかし確《たし》かに、そこに在《あ》り続《つづ》けていた。




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