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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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85/140

影





 チガヤには、誰《だれ》も知《し》らない顔《かお》がある。


 宮兵見習《みやへいみなら》い。


 アオバたちと肩《かた》を並《なら》べて訓練《くんれん》する。


 槍《やり》を振《ふ》り、汗《あせ》を流《なが》し、時《とき》には叱《しか》られ、時《とき》にはくだらない話《はなし》に笑《わら》う。


 背《せ》は低《ひく》い。


 身体《からだ》も細《ほそ》い。


 年若《としわか》い少年《しょうねん》にしか見《み》えない。


 だから、誰《だれ》も思《おも》わない。


 この少年《しょうねん》が、夜《よる》の闇《やみ》へ紛《まぎ》れれば、別《べつ》の顔《かお》を持《も》つことなど。




 投馬国《とうまこく》には、王《おう》や将《しょう》ですら知《し》らぬ影《かげ》がいる。


 国《くに》へ伸《の》びる脅威《きょうい》を見張《みは》り、その芽《め》が大《おお》きくなる前《まえ》に摘《つ》み取《と》る。


 時《とき》には、誰《だれ》にも気《き》づかれぬまま。


 時《とき》には、存在《そんざい》そのものをなかったことにするように。


 その一人《ひとり》が、チガヤだった。



 もっとも。


 本人《ほんにん》は、それを誇《ほこ》っているわけではない。


 国《くに》を守《まも》る使命《しめい》。


 王《おう》への忠誠《ちゅうせい》。


 仲間《なかま》を守《まも》るため。


 そんな大層《たいそう》なことを、考《かんが》えたことすらない。


 必要《ひつよう》だから、やる。


 命《めい》じられたから、やる。


 ただ、それだけ。


 


 その夜《よる》も、チガヤは闇《やみ》の中《なか》にいた。


 夜《よる》の宮《みや》は、眠《ねむ》りについている。


 高殿《たかどの》の向《む》こうには、薄雲《うすぐも》に覆《おお》われた月《つき》。


 その淡《あわ》い光《ひかり》が、屋根《やね》の端《はし》や柱《はしら》をぼんやりと浮《う》かび上《あ》がらせている。


 木々(きぎ)の梢《こずえ》を渡《わた》る風《かぜ》が、葉《は》を擦《こす》る。


 遠《とお》くで夜鳥《よどり》が一声《ひとこえ》鳴《な》いた。


 その声《こえ》も、すぐに闇《やみ》へ溶《と》けていく。

 


 静《しず》かだった。


 あまりにも静《しず》かで――


 だからこそ。


 小《ちい》さな音《おと》さえ、異様《いよう》なほど鮮明《せんめい》に響《ひび》いた。



 ――ざり。


 土《つち》を踏《ふ》む音《おと》。


 男《おとこ》が振《ふ》り返《かえ》った。 


 何《なに》かを察《さっ》した、その瞬間《しゅんかん》。


 月明《つきあ》かりの下《した》で、銀《ぎん》の線《せん》が走《はし》った。


 短刀《たんとう》が、男《おとこ》の腕《うで》を浅《あさ》く裂《さ》く。


「――っ」


 声《こえ》が漏《も》れかける。


 だが。


 その前《まえ》に、チガヤの手《て》が男《おとこ》の口《くち》を塞《ふさ》いだ。 


 刃《は》に塗《ぬ》られていた痺《しび》れ毒《どく》が、すぐに効《き》き始《はじ》める。


 男《おとこ》の身体《からだ》から力《ちから》が抜《ぬ》けた。


 膝《ひざ》が折《お》れる。


 チガヤは倒《たお》れる身体《からだ》を支《ささ》えた。


 最後《さいご》まで静《しず》かに。


 男《おとこ》は、糸《いと》を切《き》られた人形《にんぎょう》のように、チガヤの腕《うで》の中《なか》で力《ちから》を失《うしな》った。


 胸《むね》が、かすかに上下《じょうげ》している。


 生《い》きている。


 それで十分《じゅうぶん》だった。



 チガヤは無言《むごん》で短刀《たんとう》を拭《ぬぐ》う。 


 月明《つきあ》かりの乏《とぼ》しい夜《よる》だが、その手《て》は迷《まよ》わない。


 血《ち》はほとんど出《で》ていなかった。


 いつも通《どお》りだ。


 男《おとこ》の懐《ふところ》へ手《て》を差《さ》し入《い》れ、木簡《もっかん》を取《と》り出《だ》す。


 目《め》を通《とお》す。


 戻《もど》す。


 縄《なわ》で手足《てあし》を縛《しば》る。


 終《お》わり。


  

 手順《てじゅん》は変《か》わらない。


 感想《かんそう》もない。


 尋問《じんもん》するのは別《べつ》の役目《やくめ》だ。


 チガヤの仕事《しごと》は捕《つか》まえるところまで。


 それ以上《いじょう》でも、それ以下《いか》でもない。 


 ――もっとも。


 最近《さいきん》は少《すこ》し多《おお》い。


 チガヤは男《おとこ》を見下《みお》ろした。


 今月《こんげつ》に入《はい》って、何人目《なんにんめ》だろう。


 数《かぞ》える気《き》にもならない。



 荷《に》に紛《まぎ》れて入《はい》りこんだ者《もの》。


 商人《しょうにん》を装《よそお》っていた者《もの》。


 旅人《たびびと》のふりをして宮《みや》の様子《ようす》を探《さぐ》っていた者《もの》。


 先日《せんじつ》など、使者《ししゃ》の従者《じゅうしゃ》にまで紛《まぎ》れ込《こ》んでいた。



 何故《なぜ》増《ふ》えているのか。


 誰《だれ》が背後《はいご》にいるのか。


 そこまで考《かんが》えるのは、チガヤの仕事《しごと》ではない。


 

 その時《とき》だった。


 ――ざく。


 落葉《おちば》を踏《ふ》む音《おと》。


 チガヤの目《め》が、すっと細《ほそ》くなる。


 人《ひと》の気配《けはい》。


 一人《ひとり》ではない。


 二人《ふたり》。


 足音《あしおと》の間隔《かんかく》。


 重《おも》さ。


 歩《ある》く速度《そくど》。


 そのすべてを、ほとんど無意識《むいしき》に読《よ》み取《と》る。


 チガヤは迷《まよ》わなかった。


 男《おとこ》の身体《からだ》を抱《かか》え上《あ》げる。


 そして一歩《いっぽ》、木立《こだち》の奥《おく》へ退《しりぞ》いた。


 もう一歩《いっぽ》。


 闇《やみ》の濃《こ》い場所《ばしょ》へ。


 身体《からだ》を木《き》の幹《みき》へ寄《よ》せる。


 息《いき》を止《と》める。


 気配《けはい》を消《け》す。


 

「……あー眠《ねみ》ぃ」


 聞《き》き慣《な》れた声《こえ》がした。


 チガヤの眉《まゆ》が、ほんのわずかに動《うご》く。


「だから見回《みまわ》り中《ちゅう》だって言《い》ってるだろ」


 もう一人《ひとり》が呆《あき》れたように返《かえ》す。


 アオバ。


 モモジ。


 見慣《みな》れた二人《ふたり》だった。


 木立《こだち》の向《む》こうから、二人《ふたり》の姿《すがた》が現《あらわ》れる。


 アオバは槍《やり》を肩《かた》に担《かつ》いでいる。


 隣《となり》では、モモジが松明《たいまつ》を掲《かか》げている。


 橙色《だいだいいろ》の炎《ほのお》が、夜風《よかぜ》に煽《あお》られて揺《ゆ》れた。


 そのたびに、二人《ふたり》の顔《かお》が明《あか》るくなったり、暗《くら》くなったりする。


「相変《あいか》わらず何《なん》も起《お》きねぇなあ」


「何《なに》も起《お》きないのが一番《いちばん》だろうが」


「なんか腹減《はらへ》ってきた」


「緊張感《きんちょうかん》のない奴《やつ》だな。もっと集中《しゅうちゅう》しろよ」


「だって暇《ひま》なんだから仕方《しかた》ねぇだろ」


「だからって見回《みまわ》り中《ちゅう》に寝《ね》るなよ」


「寝《ね》てねぇよ」


「さっき目《め》、閉《と》じてただろ」


「考《かんが》え事《ごと》してたんだよ」


「嘘《うそ》つけ」


 モモジが笑《わら》う。


 アオバも呆《あき》れながら、口元《くちもと》をわずかに緩《ゆる》める。



 その様子《ようす》を、チガヤは木陰《こかげ》から黙《だま》って見《み》ていた。



 ――暇《ひま》?



 チガヤの目《め》が細《ほそ》くなる。


 誰《だれ》のせいで、自分《じぶん》が今月《こんげつ》だけでも五人目《ごにんめ》を縛《しば》っていると思《おも》っているのか。


 宮兵《みやへい》が「暇《ひま》」でいられるのは、暇《ひま》で済《す》むように、誰《だれ》かが夜《よる》の闇《やみ》を這《は》い回《まわ》っているからだ。


 ――自分《じぶん》だ。


 チガヤは小《ちい》さく息《いき》を吐《は》いた。


 いっそ。


 今《いま》、出《で》ていって後《うし》ろから蹴《け》り飛《と》ばしてやろうか。


 ほんの一瞬《いっしゅん》だけ。


 本当《ほんとう》に、ほんの少《すこ》しだけ。


 そんな考《かんが》えが浮《う》かんだ。



 だが。


 その時《とき》だった。


 ――ぐるるるる……


 夜《よる》の静《しず》けさの中《なか》に、妙《みょう》に低《ひく》く、長《なが》い音《おと》が響《ひび》いた。


「……」


 モモジが足《あし》を止《と》める。


 アオバも立《た》ち止《ど》まった。


「……今《いま》の音《おと》」


 モモジは自分《じぶん》の腹《はら》を押《お》さえながら、ゆっくり顔《かお》を上《あ》げる。


「ヒシンのいびきみてぇじゃなかったか?!」


「……は?」


 アオバが呆《あき》れた顔《かお》を向《む》ける。


 だがモモジは、それどころではなかった。


「いや、マジで!」


 興奮《こうふん》したように声《こえ》を弾《はず》ませる。


「あの……こう……喉《のど》の奥《おく》から響《ひび》いてくる、ぐるるる……ってやつ!」


「知らねぇよ」


「知《し》ってるだろ!」


 真剣《しんけん》な顔《かお》で、モモジが首《くび》を振《ふ》る。


「同《おな》じだって! 今《いま》のは完全《かんぜん》に同《おな》じ音色《ねいろ》だったぞ!」


「意味《いみ》が分《わ》からん」


「ほら、あいつ寝《ね》てる時《とき》、最初《さいしょ》は静《しず》かなんだけどよ――」


 モモジが声《こえ》を低《ひく》くする。


「……ぐるるるる……って鳴《な》って」


 さらに喉《のど》を震《ふる》わせ、


「……んごっ」


「やめろ」


「それから――」


「やめろって」


 アオバが小声《こごえ》で怒鳴《どな》る。


「……ふがっ! って」


「……」


 アオバはしばらくモモジを見《み》つめた。


 そして。


「……ふっ」


 堪《こら》えきれなかった。


「ははっ……!」


「ほら! やっぱ面白《おもしれ》ぇだろ!」


 アオバは肩《かた》を震《ふる》わせながら笑《わら》う。


「お前《まえ》が……お前《まえ》が馬鹿《ばか》すぎるんだよ……!」


 二人《ふたり》の笑《わら》い声《ごえ》が、夜《よる》の宮《みや》に小《ちい》さく響《ひび》いた。



 木陰《こかげ》に潜《ひそ》むチガヤは、無言《むごん》のまま二人《ふたり》を見《み》ていた。


 ――何《なに》をやってるんだ、こいつら。


 そう思《おも》いながらも。


 チガヤの口元《くちもと》が、ほんのわずかに緩《ゆる》んだ。



 不思議《ふしぎ》だった。


 さっきまで張《は》り詰《つ》めていた身体《からだ》から、力《ちから》が抜《ぬ》ける。


 ほんのわずか。


 それだけだった。



 ――知らなくていい。


 そう思《おも》う。


 アオバも。


 モモジも。


 他《ほか》の宮兵《みやへい》たちも。


 何《なに》も知《し》らなくていい。


 昼《ひる》になれば、また訓練《くんれん》をする。


 くだらない話《はなし》をして。


 腹《はら》を空《す》かせて。


 笑《わら》って。


 夜《よる》になれば、安心《あんしん》して眠《ねむ》ればいい。


 そのために、自分《じぶん》が闇《やみ》の中《なか》にいる。


 それでいい。


 チガヤは、そう思《おも》った。


 いや。


 もしかすると。 


 そう思《おも》うことにしていた。



 二人《ふたり》の声《こえ》が遠《とお》ざかっていく。


 やがて足音《あしおと》も聞《き》こえなくなった。



 チガヤは木陰《こかげ》から出《で》る。


 地面《じめん》に横《よこ》たわっていた男《おとこ》を、肩《かた》へ担《かつ》ぎ上《あ》げる。


 ずしり、と重《おも》い。


 小柄《こがら》な身体《からだ》には、不釣《ふつ》り合《あ》いな重《おも》さだった。


 それでも。


 チガヤの足《あし》は止《と》まらない。 


 一歩《いっぽ》。


 二歩《にほ》。


 夜《よる》の草《くさ》を踏《ふ》み分《わ》ける。


 月《つき》が雲《くも》の向《む》こうへ隠《かく》れた。


 闇《やみ》が、いっそう濃《こ》くなる。


 その闇《やみ》の中《なか》へ。


 少年《しょうねん》の姿《すがた》が、ゆっくりと溶《と》けていく。


 やがて。


 何《なに》も見《み》えなくなった。



 風《かぜ》だけが木々(きぎ)を揺《ゆ》らしている。


 葉《は》の擦《こす》れる音《おと》が、かすかに響《ひび》く。


 投馬《とうま》の宮《みや》は。


 何事《なにごと》もなかったかのように、静《しず》かな夜《よる》を取り戻《もど》していた。



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