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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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静謐なる軋轢



 投馬《とうま》の宮《みや》の奥《おく》――


 灯火《ともしび》がひとつ、低《ひく》く息《いき》づくように揺《ゆ》れている。

 


 ミナギは、座《ざ》したまま動《うご》かなかった。


 呼《よ》び出《だ》したわけではない。


 それでも――来《く》る。


 そう分《わ》かっていた。




 衣擦《きぬず》れの音《おと》が、ひとつ。


 タヅマが、音《おと》を立《た》てずに膝《ひざ》をつく。


 しばらく、二人《ふたり》の間《あいだ》に言葉《ことば》はなかった。


 沈黙《ちんもく》だけが、静《しず》かに流《なが》れる。



 やがて――


「……殿《との》」


 先《さき》に口《くち》を開《ひら》いたのは、タヅマだった。


 ミナギの視線《しせん》が、わずかに上《あ》がる。


「ひとつ、申《もう》し上《あ》げておくべきことがございます」


 声《こえ》は、いつもと変《か》わらない。


 だが、その奥《おく》には、わずかな緊張《きんちょう》があった。


 タヅマは一度《いちど》、ゆっくり息《いき》を整《ととの》える。



 そして――

 


「耶馬台国《やまたいこく》へ、文《ふみ》を出《だ》しました」


 静《しず》かに告《つ》げた。


 灯《ひ》が、かすかに揺《ゆ》らめく。


「アサ殿《どの》への助力《じょりょく》を仰《あお》ぐため――日神呼(ひみこ)様《さま》へ」 



 ミナギは、しばらく何《なに》も言《い》わなかった。


 やがて視線《しせん》を落《お》とす。


「なるほど」


 低《ひく》く、腑《ふ》に落《お》ちた声《こえ》。


「道理《どうり》で、事《こと》が運《はこ》びすぎる」

 

「……勝手《かって》なことをいたしました」


 タヅマは深《ふか》く頭《こうべ》を下《さ》げた。


「結果《けっか》として、アサ殿《どの》の存在《そんざい》を――外《そと》へ知《し》らせることになりました」


 言《い》い訳《わけ》はしない。


 自分《じぶん》のしたこととして、まっすぐに受《う》け止《と》めている。



「――いや」


 ミナギの声《こえ》が、静《しず》けさを破《やぶ》った。


「構《かま》わん」


 タヅマが、わずかに顔《かお》を上《あ》げる。


 ミナギは、真《ま》っ直《す》ぐ前《まえ》を見《み》ていた。



「日神呼《ひみこ》様《さま》の力添《ちからぞ》えがなければ――」


 そこで、ほんの少《すこ》し言葉《ことば》が止《と》まる。


 胸《むね》の奥《おく》に、あの時《とき》の感覚《かんかく》が蘇《よみがえ》った。


 身体《からだ》の内側《うちがわ》から崩《くず》れていくような感覚《かんかく》。


「俺《おれ》もアサも……今《いま》ここには、いないだろう」


 迷《まよ》いのない声《こえ》だった。


 タヅマは、ゆっくりと頭《あたま》を下《さ》げる。


「……恐《おそ》れながら」


 声《こえ》が、少《すこ》し低《ひく》くなる。


「その見込《みこ》みに、賭《と》しました」


 ミナギの目《め》が、わずかに細《ほそ》まる。


 タヅマの言葉《ことば》の先《さき》を、静《しず》かに読《よ》もうとしている。


「――だが」


 やがて、ミナギが口《くち》を開《ひら》いた。


「耶馬台《やまたい》が動《うご》けば、もう後《あと》には戻《もど》れん」


 先《さき》ほどまでの静《しず》かな納得《なっとく》は消《き》えていた。


 声《こえ》の底《そこ》に、固《かた》い緊張《きんちょう》が生《う》まれている。



 投馬《とうま》と耶馬台《やまたい》は、代々(だいだい)、盟《めい》を結《むす》んできた。


 祭祀《さいし》と交易《こうえき》を通《つう》じて互《たが》いを支《ささ》え、大《おお》きな災《わざわ》いには力《ちから》を貸《か》し合《あ》う。


 その盟約《めいやく》は、両国《りょうこく》の礎《いしずえ》でもあった。


 だからこそ、正式《せいしき》な使者《ししゃ》を拒《こば》むことはできない。


「……日神呼《ひみこ》様《さま》は、アサを連《つ》れて行《い》く気《き》だろうか」


 ミナギは、わずかに目《め》を伏《ふ》せた。


「その可能性《かのうせい》は、高《たか》いかと」


 タヅマは否定《ひてい》しなかった。


 むしろ、それを当然《とうぜん》のこととして考《かんが》えているようだった。



「――あの一件《いっけん》以来《いらい》」


 言葉《ことば》を選《えら》びながら、淡々(たんたん)と続《つづ》ける。


「アサ殿《どの》に対《たい》する宮中《きゅうちゅう》の評価《ひょうか》は、著《いちじる》しく変化《へんか》いたしました」


 ミナギの視線《しせん》が、わずかに上《あ》がる。


「信奉《しんぽう》、と申《もう》してもよろしいかと」


 タヅマは続《つづ》けた。


「侍女《じじょ》も、兵《へい》も、宮《みや》に仕《つか》える者《もの》たちも――」


 タヅマは、少《すこ》し声《こえ》を落《お》とした。


「口《くち》に出《だ》さぬ者《もの》まで、同《おな》じように思《おも》い始《はじ》めております」


 そして。


「……あの娘《むすめ》こそ、と思《おも》う空気《くうき》が、確《たし》かに広《ひろ》がっております」


 ミナギは何《なに》も言《い》わない。


 ただ、部屋《へや》の空気《くうき》が少《すこ》し重《おも》くなった。


「ゆえに――」


 タヅマは、さらに続《つづ》ける。


「アサ殿《どの》を后《きさき》に、という声《こえ》も日《ひ》を追《お》うごとに増《ふ》えております」



 その瞬間《しゅんかん》。


 ミナギの動《うご》きが止《と》まった。


 完全《かんぜん》な静止《せいし》だった。



 ――后《きさき》に。



 その言葉《ことば》だけが、遅《おく》れて胸《むね》の奥《おく》へ落《お》ちてくる。


「……耶馬台《やまたい》国《こく》がアサ殿《どの》を連《つ》れて行《い》こうとすれば」


 タヅマは顔《かお》を上《あ》げず、淡々(たんたん)と続《つづ》ける。


「宮中《きゅうちゅう》の反発《はんぱつ》も、相応《そうおう》に生《しょう》じましょうな」


 ミナギは、わずかに眉《まゆ》を寄《よ》せた。


 周《まわ》りがアサを押《お》し上《あ》げる。


 手放《てばな》すまいとする。


 ――本人《ほんにん》の知《し》らないところで。


 そのことが、妙《みょう》に心《こころ》に引《ひ》っかかった。


「……本人《ほんにん》は、何《なに》も分《わ》かっていないだろうにな」


 思《おも》い浮《う》かぶのは、あの無防備《むぼうび》な顔《かお》。


 ほんの一瞬《いっしゅん》。


 ミナギの口元《くちもと》が、わずかに緩《ゆる》んだ。


 だが、それもすぐに消《き》える。


 小《ちい》さく咳払《せきばら》いをひとつ。


 自分《じぶん》の気持《きも》ちを隠《かく》すように、空気《くうき》を戻《もど》した。



「……いずれにせよ」


 声《こえ》が、いつもの落《お》ち着《つ》いたものに戻《もど》る。


「内《うち》がどう動《うご》こうと、向《む》こうが引《ひ》くことはない」


 タヅマが、わずかに頷《うなず》く。


「はい」


「むしろ――」


 ミナギの目《め》が、細《ほそ》くなる。


「価値《かち》があると見《み》れば、なおさら来《く》る」


 灯火《ともしび》が、大《おお》きく揺《ゆ》れた。


 タヅマは静《しず》かに頷《うなず》く。


「はい。耶馬台《やまたい》にとって見(・)出(・)し(・)た(・)も(・)の(・)は、もはや交渉《こうしょう》の外《そと》にございます」


 少《すこ》し間《ま》を置《お》く。


「理《ことわり》ではなく――選別《せんべつ》に近《ちか》い」


 タヅマは続《つづ》けた。


「しかも、此度《こたび》はこちらから文《ふみ》を出《だ》しております」


 その意味《いみ》は明《あき》らかだった。


 ――扉《とびら》を開《あ》けたのは、こちらだ。



 ミナギは、ゆっくり息《いき》を吐《は》いた。


 胸《むね》の奥《おく》に溜《た》まっていたものを、少《すこ》しずつ外《そと》へ出《だ》すように。


「……迎《むか》え入《い》れるしかない、か」


 独《ひと》り言《ごと》のように呟《つぶや》く。


「「どちらにせよ――耶馬台《やまたい》と事《こと》を構《かま》えるつもりはない」


 静《しず》かな決意《けつい》だった。


「ここで拒《こば》めば、無用《むよう》な軋轢《あつれき》を生《う》む」



 少《すこ》し間《ま》を置《お》く。


「向《む》こうが見《み》に来《く》るなら、見《み》せてやればいい」


 声《こえ》は静《しず》かだった。


 だが、その奥《おく》には、はっきりとした考《かんが》えがある。


「こちらの場《ば》で、こちらのやり方《かた》でな」


 主導権《しゅどうけん》は渡《わた》さない。


 言葉《ことば》にしなくても、それは伝《つた》わった。


「そのように整《ととの》えます」


 タヅマは静《しず》かに頭《あたま》を下《さ》げた。


 ひとつ息《いき》を整《ととの》え、ミナギは瞼《まぶた》を伏《ふ》せる。



 そして――ゆっくりと開《ひら》いた。


(……来《く》るなら来《こ》い)


 その目《め》は、深《ふか》く澄《す》んでいた。


 退《ひ》かない。


 目《め》を逸《そ》らさない。


 だが――


 譲《ゆず》りもしない。


 灯《ひ》は、揺《ゆ》れながらも消《き》えなかった。


 ただ静《しず》かに、二人《ふたり》の姿《すがた》を照《て》らし続《つづ》けていた。




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