蛇の双眸
「狗奴国にて――新王カダンが抱えていた呪禁師が、狂乱の末に果てたとの報せにございます」
間者からの報せに、奴国王――阿久良の双眸が、ゆるやかに細められた。
夜。
奴国の王の間。
人払いされた広間は、深い闇に沈み、ただ一基の篝火だけが揺れている。
その光は、座にある男の輪郭を、蛇の鱗のようにまだらに浮かび上がらせていた。
その男は、どこか『人を値踏みする側』の顔をしていた。
細く引き締まった顎。
無駄のない輪郭。
だが、整っているはずの造作は、不思議と冷たく歪んで見える。
理由は、その目だった。
切れ長の双眸は、まるで相手の内側を剥ぎ、どこに刃を入れれば最も効くかを測っているような。
そんな、粘つく観察の色を帯びていた。
口元には、笑みがある。
だがそれは柔らかさではなく、選別の印だった。
(使えるか、使えぬか)
(壊す価値があるか、ないか)
そうした基準で世界を見ている者だけが浮かべる、薄い笑い。
長い黒髪は後ろで束ねられ、乱れは一切ない。
整えられたその様は、几帳面というより――制御の象徴だった。
阿久良という男は、威圧しない。
ただ、気づけば――
誰もが彼の盤の上に乗せられている。
そしてその盤の上で、自分が駒であることに気づいた時には、もう遅い。
「──狂った、だと?」
声は低く、乾いている。
問いではない。
ただ、事実を舌の上で転がしているだけだ。
「はい。自らの肉を裂き、意味をなさぬ言葉を叫び続け……やがて――」
篝火が、ひときわ大きく揺らぐ。
「狗奴国に潜ませている者よりの報告によれば――」
間者は、寸分の乱れもなく続けた。
「禁呪に手を染めていた形跡が」
「ほう」
阿久良の口元が、わずかに歪む。
そこに浮かぶのは驚きではなく、愉悦に近い興味。
「――どんな類のものだ」
「依代を用いた呪詛にございます」
依代。
その一語に、わずかに間が生まれる。
「頭蓋を器とし、生前の縁――すなわち手をかけた者を標と定める術」
間者の声は淡々としている。
だが、その内容は粘りつくような執念を帯びていた。
「……頭蓋は、戦死した前王子――久志奈のもの」
その名が落ちた瞬間。
空気が、沈む。
揺れていた篝火の音すら、遠のいたように錯覚される。
「久志奈……」
ゆっくりと記憶を引き寄せる。
「――ミナギが討ち取った男か」
阿久良は、わずかに眉を上げた。
「死者の骨を器とし、仇へ呪いを這わせる……」
くつり、と喉の奥で笑う。
「いかにも野蛮で、執念深い」
一瞬の間。
「しかも王族の骸を使うとは……分を弁えぬにも程がある」
軽く言い捨てる。
だがその裏には、
だからこそ価値がある
という含みがあった。
「――だが」
声が、わずかに沈む。
「呪禁師は狂い死に、ミナギは生きている」
矛盾を指でなぞるように、言葉が置かれる。
「失敗か……あるいは」
阿久良の唇が、わずかに吊り上がった。
「――返ったか」
呪詛返し。
言葉にせずとも、その意味は十分に満ちる。
「面白い」
その一言に、確かな愉悦が滲む。
「ミナギは、実際に倒れたのだろう」
「はい。一時は生死の境をさまようほどの危うさであったと」
「時期は」
「呪禁師の動きと……ほぼ重なります」
「ふむ」
思考が進む。
音もなく、だが確実に。
「急に持ち直したとも聞く」
「は」
「呪いであれば、そう都合よく解けるものでもあるまい」
そこで初めて、間者がわずかに顔を上げた。
「その点に関し、もうひとつ」
「言え」
「回復の折――傍らに、一人の娘がいたとのこと」
沈黙。
それは空白ではない。
濃密な選別の時間だ。
阿久良の双眸に、明確な光が宿る。
興味。
いや、それ以上の――嗅ぎ当てた光。
「……娘」
ゆっくりと繰り返す。
「投馬国にいるのか」
「そのように」
即答。
そして、命令は一切の逡巡なく落ちた。
「探れ」
短く、告げる。
「名、出自、繋がり、経路――すべてだ」
「は」
間者は即座に応じる。
やがて気配は消え、室に再び静寂が戻る。
阿久良の口元が、ゆるやかに歪んだ。
「……面白くなってきたではないか」
誰にも届かぬ、低い声。
(ミナギ)
(そして、名もなき娘)
どちらを見極めれば、投馬という国の形が見えるのか。
阿久良は、静かに次の一手を定めていた。
篝火の光が揺れるたび、阿久良の影が長く伸び、歪み、床を這う。
それはもはや影ではない。
意思を持ち、獲物を探る蛇のように、静かに広がっていた。




