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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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いつもの距離



「……あの」


 思《おも》わず声《こえ》が漏《も》れる。


 その瞬間《しゅんかん》、ミナギの指先《ゆびさき》がぴくりと動《うご》く。


 アサは、何《なに》を聞《き》きたいのか、自分《じぶん》でも分《わ》からないまま、視線《しせん》を彷徨《さまよ》わせる。


「志摩様《しまさま》との婚姻《こんいん》の話《はなし》……」


 遠慮《えんりょ》がちにこぼれたその声《こえ》は、静《しず》かな室内《しつない》にそっと響《ひび》いた。


「なくなったって……」


 言葉《ことば》を選《えら》びながら、恐《おそ》る恐《おそ》るミナギを見《み》つめる。


「……どうして?」


 問《と》いは細《ほそ》く、震《ふる》えていた。


「ああ」


 対《たい》するミナギは、あまりにもあっさりと頷《うなず》く。


「振《ふ》られたんだ」


 さらり、と。


 まるで他人事《ひとごと》のような調子《ちょうし》で言《い》い切《き》った。



 アサは、しばし言葉《ことば》を失《うしな》った。


 目《め》を丸《まる》くし、そのまま固《かた》まる。


「俺《おれ》はどうやら、志摩殿《しまどの》の好《この》みの男《おとこ》ではなかったらしい」 


 

 アサは思《おも》わず首《くび》を振《ふ》る。


(いや……まさか、そんなはず……)


 脳裏《のうり》に浮《う》かぶ。


(あの瞳《ひとみ》は……)


 志摩《しま》の、ミナギを見《み》つめる熱《ねつ》を帯《お》びた視線《しせん》。


(どう見《み》ても……)


 胸《むね》の内《うち》で否定《ひてい》が渦巻《うずま》く。



 ミナギはどこか、遠《とお》くを見るような目《め》をしている。

 

 その表情《ひょうじょう》が、何《なん》だか――



「……平気《へいき》?」


 思《おも》わず口《くち》をついて出《で》た言葉《ことば》だった。


 ミナギは一瞬《いっしゅん》だけ、きょとんと目《め》を瞬《またた》かせた。


 思《おも》いもよらない言葉《ことば》だったのだろう。


 わずかに肩《かた》の力《ちから》が抜《ぬ》け、張《は》りつめていた空気《くうき》が静《しず》かにほどけていく。


 そして、ふっと笑《わら》った。


「……そう見《み》えるか?」


 静《しず》かな声《こえ》。


 アサは答《こた》えられず、ただミナギを見《み》つめる。


 ミナギは視線《しせん》を落《お》とした。


「俺《おれ》には……志摩殿《しまどの》を迎《むか》える覚悟《かくご》が、足《た》りなかったのだと思《おも》う」


 ぽつり、と。


「政《まつりごと》のために結《むす》ばれた縁《えにし》であったとしても、彼女《かのじょ》は俺《おれ》の后《きさき》となる道《みち》を、受《う》け入《い》れてくれていた」


「それなのに俺《おれ》は……」


 言葉《ことば》を探《さが》すように、わずかに間《ま》を置《お》いた。


「……俺《おれ》が、もっと早《はや》く己《おのれ》の心《こころ》と向《む》き合《あ》えていればよかったのだろうな」


 ミナギは、静《しず》かに息《いき》を吐《は》いた。


「彼女《かのじょ》は聡《さと》い人《ひと》だ」


「俺《おれ》の迷《まよ》いを……俺《おれ》自身《じしん》より先《さき》に見抜《みぬ》いていたのだろう」


 ミナギは、どこか寂《さび》しげに笑《わら》った。


 その笑《え》みには、自身《じしん》の未熟《みじゅく》さを受《う》け入《い》れるかのような、静《しず》かな寂《さび》しさが滲《にじ》んでいた。

 


 アサは何《なに》も言《い》えずにいた。


 どうすればいいのか、分《わ》からない。


 ミナギが欲《ほ》しい言葉《ことば》を、自分《じぶん》は持《も》っていない。


 ただ――


 この寂《さび》しそうな顔《かお》を、少《すこ》しでも和《やわ》らげたい。


 そう思《おも》った。



 迷《まよ》った末《すえ》、アサはおずおずと手《て》を伸《の》ばす。


 そして――


 ミナギの頭《あたま》を、小《ちい》さな子《こ》をあやすように、ぎこちなく撫《な》でた。



 一瞬《いっしゅん》の静寂《せいじゃく》。



 次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》――


「……っ、はは」


 ミナギが吹《ふ》き出《だ》した。


 心《こころ》の底《そこ》から込《こ》み上《あ》げてきた可笑《おか》しさ、そのままの笑《わら》いだった。


「はは……っ、なんだそれは……」 


 言葉《ことば》の途中《とちゅう》でまた笑《わら》いが混《ま》じる。


 目尻《めじり》が緩《ゆる》み、普段《ふだん》は鋭《するど》さを帯《お》びる眼差《まなざ》しも、今《いま》は完全《かんぜん》にほどけている。


 くつくつと、何度《なんど》も波《なみ》のように笑《わら》いが返《かえ》ってくる。


「……俺《おれ》にこんなことができるのは、お前《まえ》くらいだな」


 そう言《い》って、ミナギはアサを見《み》る。


 その瞳《ひとみ》にはまだ笑《わら》いの余韻《よいん》が揺《ゆ》れているが、同時《どうじ》に、どこか柔《やわ》らかくほどけた温度《おんど》が宿《やど》っていた。


 その顔《かお》は、いつもの彼《かれ》そのものだった。


「……いつものミナギだ……」


 ぽつり、とアサがこぼす。


 安堵《あんど》の滲《にじ》んだ声音《こわね》。


「え……?」


 ミナギがわずかに首《くび》を傾《かし》げる。


「あ、いや、その……最近《さいきん》は……ずっと……」


 言《い》いかけて、アサは口《くち》ごもる。


 脳裏《のうり》に浮《う》かぶのは、ここしばらくのミナギの姿《すがた》。


 どこか距離《きょり》を置《お》くような、冷《つめ》たい眼差《まなざ》し。


 その記憶《きおく》が胸《むね》を締《し》めつける。


「ちょっと……寂《さび》しかった、です」


 消《き》え入《い》りそうな声《こえ》。


 ミナギの表情《ひょうじょう》が、わずかに曇《くも》る。


「……」


 一瞬《いっしゅん》、言葉《ことば》を探《さが》すように沈黙《ちんもく》し――


 やがて、ゆっくりと視線《しせん》を落《お》とした。


「……お前《まえ》を見《み》ていると、決心《けっしん》が揺《ゆ》らぎそうだったものでな」


 低《ひく》く、静《しず》かな声《こえ》。


「俺《おれ》の勝手《かって》で傷《きず》つけた……すまない」


 素直《すなお》な謝罪《しゃざい》だった。


 アサは目《め》を瞬《またた》かせる。


「決心《けっしん》が……それは――」


 問《と》いかける声《こえ》は、先《さき》ほどよりもわずかに強《つよ》い。


「どうして……?」


 ミナギは顔《かお》を上《あ》げる。


「……さあ」


 その瞳《ひとみ》に、わずかな熱《ねつ》を宿《やど》して――


「どうしてだと思《おも》う?」


 含《ふく》みを持《も》たせた声音《こわね》。



 アサの心臓《しんぞう》が跳《は》ねる。


 視線《しせん》を逸《そ》らせない。


 逃《に》げ場《ば》のない距離《きょり》。


 頬《ほお》がみるみるうちに赤《あか》くなる。


「……っ」


 言葉《ことば》が出《で》ない。


 ただ、鼓動《こどう》だけがうるさく響《ひび》く。


 再《ふたた》び、空気《くうき》が甘《あま》く沈《しず》む――その瞬間《しゅんかん》。



「――失礼《しつれい》いたします!!」


 荒《あら》い息《いき》をついた伝令《でんれい》の宮仕《みやづか》え兵《へい》が、勢《いきお》いよく室内《しつない》に飛《と》び込《こ》んでくる。


 張《は》り詰《つ》めていた空気《くうき》が、一気《いっき》に断《た》ち切《き》られた。


 ミナギは小《ちい》さく息《いき》を吐《は》き、わずかに肩《かた》をすくめる。


 アサは、はっと我《われ》に返《かえ》り、慌《あわ》てて姿勢《しせい》を正《ただ》した。


 乱《みだ》れかけた呼吸《こきゅう》を押《お》し殺《ころ》しながら、兵《へい》の顔《かお》を見《み》る。


「――何事《なにごと》だ」


 ミナギの声《こえ》は、すでにいつもの調子《ちょうし》へと戻《もど》っていた。


 低《ひく》く、揺《ゆ》るぎない。


 兵《へい》は頭《こうべ》を垂《た》れ、息《いき》を整《ととの》える間《ま》も惜《お》しむように告《つ》げる。


「はっ……耶馬台国《やまたいこく》より伝令《でんれい》にございます。近《ちか》く、使者《ししゃ》がこの地《ち》へ訪《おとず》れるとのこと――」




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