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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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静かなる波紋



 あの一件《いっけん》を境《さかい》に、宮中《きゅうちゅう》の空気《くうき》は目《め》に見《み》えて変《か》わった。


 ――いや、正確《せいかく》には。


 変《か》わったのは、アサに向《む》けられる視線《しせん》だった。



 療養《りょうよう》のために与《あた》えられた部屋《へや》。


 やわらかな敷物《しきもの》。


 清《きよ》められた水《みず》。


 整《ととの》えられた衣《ころも》。


 侍女《じじょ》たちは入《い》れ替《か》わり立《た》ち替《か》わり、甲斐甲斐《かいがい》しく世話《せわ》を焼《や》く。


 薬湯《やくとう》の温度《おんど》を確《たし》かめ、衣《ころも》の皺《しわ》を整《ととの》え、枕《まくら》の高《たか》さまで何度《なんど》も直《なお》す。


「お身体《からだ》に障《さわ》りはございませんか」


「無理《むり》はなさらぬよう」


「少《すこ》しでも寒《さむ》ければ、すぐに仰《おっしゃ》ってくださいませ」


 その声《こえ》はどれも柔《やわ》らかく、丁寧《ていねい》で――


 どこか、過剰《かじょう》だった。



 あの厳《きび》しかった侍女頭《じじょがしら》でさえ、眉《まゆ》をひそめて言《い》う。


「……大事《だいじ》な体《からだ》です。少《すこ》しでも異変《いへん》があれば、すぐに申《もう》し出《で》なさい」


 戸惑《とまど》いが、胸《むね》の奥《おく》に静《しず》かに溜《た》まっていく。



 皆《みな》が優《やさ》しい。


 だが同時《どうじ》に、妙《みょう》に落《お》ち着《つ》かない。


 視線《しせん》が合《あ》えば、すぐに逸《そ》らされる。


 何《なに》か言《い》いたげにして、結局《けっきょく》言《い》わない。


 そわそわとした気配《けはい》が、部屋《へや》の隅々(すみずみ)に沈《しず》んでいる。


 まるで――


 触《ふ》れてはいけないものを扱《あつか》うように。



 見舞《みま》いに来《き》たミツに、アサは思《おも》い切《き》って尋《たず》ねた。


「……ねえ、ミツ。なんだか皆《みんな》、変《へん》じゃない?」


 できるだけ何気《なにげ》なく。


「妙《みょう》に優《やさ》しいというか……丁寧《ていねい》というか――」


 だがミツは、きょとんとした顔《かお》で瞬《まばた》きをする。


「え? そりゃそうでしょ」


 そして、あっけらかんと言《い》った。


「だってあんた、ミナギ様《さま》の后《きさき》になるんでしょ?」



 思考《しこう》が、止《と》まった。


「……へ?」


 間《ま》の抜《ぬ》けた声《こえ》が漏《も》れる。


「な……なんで、そうなるの……?」


 ミツは不思議《ふしぎ》そうに首《くび》を傾《かし》げる。


「何《なん》でって……もう宮中《きゅうちゅう》じゃ噂《うわさ》の的《まと》よ。あんた、ミナギ様《さま》と――」


 一瞬《いっしゅん》、言葉《ことば》を選《えら》ぶようにしてから、にやりと笑《わら》う。


「――人目《ひとめ》もはばからず、熱《あつ》ぅ〜く抱《だ》き合《あ》ってたんだって?」



 ぼん、と。


 頭《あたま》の中《なか》で何《なに》かが弾《はじ》けた。


 熱《ねつ》が、一気《いっき》に顔《かお》へ上《あ》がる。


(……あ……)


 思《おも》い出《だ》す。


 あの時《とき》のこと。


 必死《ひっし》だった。


 ただ、無事《ぶじ》でいてくれたことが嬉《うれ》しくて。


 それ以外《いがい》、何《なに》も考《かんが》えていなかった。


 ――周《まわ》りなど、見《み》えていなかった。



 だが――


(……見《み》られてた……?)


 大勢《おおぜい》に。


 一気《いっき》に、顔《かお》が熱《ねつ》を帯《お》びる。


「ち、ちが……あれは……」


 言葉《ことば》にならない。


「何《なに》が違《ちが》うのよ~」


 ミツは楽《たの》しそうに笑《わら》う。


「だってそんなの見《み》たら、誰《だれ》だってそう思《おも》うって」


「え、ちょ、ちょっと待《ま》って……あれ、そんな……」


 言葉《ことば》がうまく出《で》てこない。


 ミツはけろりとしている。


「いつからそんな仲《なか》だったの? ずるいわよねぇ、黙《だま》ってるなんて……」


 否定《ひてい》しようと、口《くち》を開《ひら》く。


 だが。


 言葉《ことば》が、出《で》ない。


(……違《ちが》う)


 そう言《い》いたいのに。


(違《ちが》う、けど……)


 胸《むね》の奥《おく》が、きしむ。


 あのとき抱《だ》きしめられた温《ぬく》もり。


 呼《よ》ばれた声《こえ》。


 すべてが、まだ残《のこ》っている。


 それを、完全《かんぜん》に否定《ひてい》することが――


 できない。



 でも――


 そうじゃない。


 そんな関係《かんけい》じゃない。


 

 そもそも――


(……あの人《ひと》には、もう)


 言葉《ことば》にならない思《おも》いが胸《むね》を締《し》めつける。


 アサは唇《くちびる》を噛《か》み、かすれるような声《こえ》を漏《も》らした。


「……ミナギ、様《さま》には、志摩様《しまさま》が……」



 婚姻《こんいん》の話《はなし》。


 すでに決《き》まった未来《みらい》。


 そこに、自分《じぶん》の居場所《いばしょ》はない。


 なのに周囲《しゅうい》は、勝手《かって》に物語《ものがたり》を作《つく》る。


 すべてが、現実《げんじつ》と噛《か》み合《あ》っていない。



 アサの言葉《ことば》に、ミツはきょとんと目《め》を瞬《またた》かせた。


「――ああ、婚姻《こんいん》の話《はなし》なら」


 あっさりと言《い》う。


「なくなったらしいわよ」


「……え?」


 アサは顔《かお》を上《あ》げた。


「……なく、なった……?」


 聞《き》き返《かえ》す声《こえ》は、自分《じぶん》でも分《わ》かるほど頼《たよ》りない。


「うん」


 ミツは頷《うなず》く。


「急《きゅう》に決《き》まって、急《きゅう》に消《き》えたって感《かん》じ。上《うえ》の人《ひと》たち、バタバタしてるみたいだけど」


 まるで他人事《ひとごと》のように言《い》う。


 だが、その一言《ひとこと》は――


 アサの中《なか》に、静《しず》かに波紋《はもん》を広《ひろ》げた。




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