盟約の先に
静かな午後の光が廊下に斜めに差し込み、淡く床を照らしている。
布留根とミナギは、庭を眺めながら並んで立っていた。
風の匂いと、木の葉が触れ合うかすかな音だけが、二人の間の静けさを満たしている。
「――正直、納得はしておらん」
布留根の声には、隠しきれない不満が滲んでいた。
「だが……娘の意思は尊重するつもりだ」
ミナギは目を伏せたまま、落ち着いた声で答える。
「志摩殿は申し分のない姫だ」
迷いのない言葉だった。
「誇るべき才覚と品位、そして気高い精神を兼ね備えている」
そこにあるのは、静かな敬意と確かな評価だけだ。
「彼女に相応しい道は、この国に限らず、他の場所にも幾らでも開かれていることだろう」
布留根の眉がわずかに動く。
「……ほう」
さらに静かに、だが鋭く問いを重ねた。
「では――君自身は、どうなのだ」
少しの間を置く。
視線は逸らさない。
「この結末に、納得しておるのか?」
穏やかな声だった。
だが、その言葉は逃げ道を塞ぐように落ちる。
「御国を取り巻く情勢は……日に日に、不穏さを増していると聞く」
探るように。
けれど、確信も混じっている。
「王として――我が国との結びつきは、喉から手が出るほど欲しいものではないのか?」
しばらく沈黙が続いた。
やがてミナギは目を細め、布留根を見る。
その眼差しは静かで、揺らぎがない。
遅れて、口元に薄い笑みが浮かんだ。
「――無論、欲しい」
低い声が返る。
王としての望みを隠そうとはしない。
「だが、王として以前に、人として譲れぬものがある。それだけだ」
直接は言わない。
けれど、その言葉には確かな想いが込められていた。
静かに差し込む午後の光のように、その気持ちは布留根の胸へ届く。
――なるほど、あの娘か。
布留根は胸の内で小さく息を吐いた。
どこにでもいるような、ごく普通の娘。
見た目も振る舞いも、特別目立つわけではない。
だが――あの舞は違った。
炎が天へ昇るように鮮やかで、力強く、人の目を引きつけるものだった。
そして何より、王の体を苦しめていた病まで癒してしまった。
「……あの娘は一体何者なのだ」
ほとんど独り言のような声が漏れる。
脳裏にはアサの姿が浮かんでいた。
「――不思議な娘ではあるな」
ミナギの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
その表情は柔らかく、それでいて強さも感じさせた。
「力に、意思に、そして――運命に導かれているような面がある」
布留根はしばらく言葉を失う。
だが、その瞳には警戒と興味が入り混じった光が揺れていた。
「……ふむ」
短く息を吐き、視線を庭へ戻す。
「ならば、あの娘が、この国の未来を揺るがす可能性も、否応なくあるというわけか」
ミナギは答えなかった。
ただ静かに微笑む。
その沈黙こそが答えだった。
アサという存在の持つ不思議な力。
そして彼女に向ける、自分でも譲れない想い。
その両方が、言葉にせずとも伝わっていた。
廊下を吹き抜ける風が、二人の間を静かに通り過ぎる。
――あの娘の力。
将来、大きな力になるかもしれぬ。
布留根の胸の奥で、かすかな笑みが広がった。
――見込みは十分にある。
口には出さない。
だが、その目には計算と期待の光が宿っていた。
布留根はミナギへ向き直る。
「形式上の婚姻は消えたが、国同士の結びつきは、今後も確かなものとして保たねばならぬ。それは、私の望みでもある」
ミナギは短くうなずき、静かな笑みを返した。
「承知している。布留根殿の判断も、我が国の未来への配慮も、すべて尊重いたす」
廊下に差し込む光が、二人をやわらかく照らしている。
再び沈黙が訪れた。
その静けさの中には、互いの思惑を探り合う緊張が淡く漂っていた。
布留根の鋭い眼差しは、ミナギの微笑みや何気ない仕草の奥にある本心を見極めようとしている。
――こちらの思惑も、すべて見抜いているのだろう。
したたかで、簡単には崩れぬ男だ。
布留根はそう思う。
国と国。
そして、まだ誰にも測れない力を秘めた少女。
それぞれの未来を胸に抱えながら、二人の王は静かに思考を巡らせていた。
絡み合う糸のような思惑は、ときにほどけ、ときに結ばれながら、なお先へと続いていくのだった。




