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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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盟約の先に



 静《しず》かな午後《ごご》の光《ひかり》が廊下《ろうか》に斜《なな》めに差《さ》し込《こ》み、淡《あわ》く床《ゆか》を照《て》らしている。


 布留根《ふるね》とミナギは、庭《にわ》を眺《なが》めながら並《なら》んで立《た》っていた。


 風《かぜ》の匂《にお》いと、木《こ》の葉《は》が触《ふ》れ合《あ》うかすかな音《おと》だけが、二人《ふたり》の間《あいだ》の静《しず》けさを満《み》たしている。



「――正直《しょうじき》、納得《なっとく》はしておらん」


 布留根《ふるね》の声《こえ》には、隠《かく》しきれない不満《ふまん》が滲《にじ》んでいた。


「だが……娘《むすめ》の意思《いし》は尊重《そんちょう》するつもりだ」



 ミナギは目《め》を伏《ふ》せたまま、落《お》ち着《つ》いた声《こえ》で答《こた》える。


「志摩殿《しまどの》は申《もう》し分《ぶん》のない姫《ひめ》だ」


 迷《まよ》いのない言葉《ことば》だった。


「誇《ほこ》るべき才覚《さいかく》と品位《ひんい》、そして気高《けだか》い精神《せいしん》を兼《か》ね備《そな》えている」


 そこにあるのは、静《しず》かな敬意《けいい》と確《たし》かな評価《ひょうか》だけだ。


「彼女《かのじょ》に相応《ふさわ》しい道《みち》は、この国《くに》に限《かぎ》らず、他《ほか》の場所《ばしょ》にも幾《いく》らでも開《ひら》かれていることだろう」


 布留根《ふるね》の眉《まゆ》がわずかに動《うご》く。


「……ほう」


 さらに静《しず》かに、だが鋭《するど》く問《と》いを重《かさ》ねた。


「では――君自身《きみじしん》は、どうなのだ」


 少《すこ》しの間《ま》を置《お》く。


 視線《しせん》は逸《そ》らさない。


「この結末《けつまつ》に、納得《なっとく》しておるのか?」


 穏《おだ》やかな声《こえ》だった。


 だが、その言葉《ことば》は逃《に》げ道《みち》を塞《ふさ》ぐように落《お》ちる。


「御国《おんごく》を取《と》り巻《ま》く情勢《じょうせい》は……日《ひ》に日《ひ》に、不穏《ふおん》さを増《ま》していると聞《き》く」


 探《さぐ》るように。


 けれど、確信《かくしん》も混《ま》じっている。


「王《おう》として――我《わ》が国《くに》との結《むす》びつきは、喉《のど》から手《て》が出《で》るほど欲《ほ》しいものではないのか?」



 しばらく沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。


 やがてミナギは目《め》を細《ほそ》め、布留根《ふるね》を見《み》る。


 その眼差《まなざ》しは静《しず》かで、揺《ゆ》らぎがない。


 遅《おく》れて、口元《くちもと》に薄《うす》い笑《え》みが浮《う》かんだ。


「――無論《むろん》、欲《ほ》しい」


 低《ひく》い声《こえ》が返《かえ》る。


 王《おう》としての望《のぞ》みを隠《かく》そうとはしない。


「だが、王《おう》として以前《いぜん》に、人《ひと》として譲《ゆず》れぬものがある。それだけだ」


 直接《ちょくせつ》は言《い》わない。


 けれど、その言葉《ことば》には確《たし》かな想《おも》いが込《こ》められていた。


 静《しず》かに差《さ》し込《こ》む午後《ごご》の光《ひかり》のように、その気持《きも》ちは布留根《ふるね》の胸《むね》へ届《とど》く。



 ――なるほど、あの娘《むすめ》か。


 布留根《ふるね》は胸《むね》の内《うち》で小《ちい》さく息《いき》を吐《は》いた。


 どこにでもいるような、ごく普通《ふつう》の娘《むすめ》。


 見《み》た目《め》も振《ふ》る舞《ま》いも、特別《とくべつ》目立《めだ》つわけではない。


 だが――あの舞《まい》は違《ちが》った。


 炎《ほのお》が天《てん》へ昇《のぼ》るように鮮《あざ》やかで、力強《ちからづよ》く、人《ひと》の目《め》を引《ひ》きつけるものだった。


 そして何《なに》より、王《おう》の体《からだ》を苦《くる》しめていた病《やまい》まで癒《いや》してしまった。



「……あの娘《むすめ》は一体《いったい》何者《なにもの》なのだ」


 ほとんど独《ひと》り言《ごと》のような声《こえ》が漏《も》れる。


 脳裏《のうり》にはアサの姿《すがた》が浮《う》かんでいた。


「――不思議《ふしぎ》な娘《むすめ》ではあるな」


 ミナギの口元《くちもと》に、わずかな笑《え》みが浮《う》かぶ。


 その表情《ひょうじょう》は柔《やわ》らかく、それでいて強《つよ》さも感《かん》じさせた。


「力《ちから》に、意思《いし》に、そして――運命《うんめい》に導《みちび》かれているような面《めん》がある」


 布留根《ふるね》はしばらく言葉《ことば》を失《うしな》う。


 だが、その瞳《ひとみ》には警戒《けいかい》と興味《きょうみ》が入《い》り混《ま》じった光《ひかり》が揺《ゆ》れていた。


「……ふむ」


 短《みじか》く息《いき》を吐《は》き、視線《しせん》を庭《にわ》へ戻《もど》す。


「ならば、あの娘《むすめ》が、この国《くに》の未来《みらい》を揺《ゆ》るがす可能性《かのうせい》も、否応《いやおう》なくあるというわけか」


 ミナギは答《こた》えなかった。


 ただ静《しず》かに微笑《ほほえ》む。


 その沈黙《ちんもく》こそが答《こた》えだった。


 アサという存在《そんざい》の持《も》つ不思議《ふしぎ》な力《ちから》。


 そして彼女《かのじょ》に向《む》ける、自分《じぶん》でも譲《ゆず》れない想《おも》い。


 その両方《りょうほう》が、言葉《ことば》にせずとも伝《つた》わっていた。



 廊下《ろうか》を吹《ふ》き抜《ぬ》ける風《かぜ》が、二人《ふたり》の間《あいだ》を静《しず》かに通《とお》り過《す》ぎる。



 ――あの娘《むすめ》の力《ちから》。


 将来《しょうらい》、大《おお》きな力《ちから》になるかもしれぬ。



 布留根《ふるね》の胸《むね》の奥《おく》で、かすかな笑《え》みが広《ひろ》がった。


 ――見込《みこ》みは十分《じゅうぶん》にある。


 口《くち》には出《だ》さない。


 だが、その目《め》には計算《けいさん》と期待《きたい》の光《ひかり》が宿《やど》っていた。



 布留根《ふるね》はミナギへ向《む》き直《なお》る。


「形式上《けいしきじょう》の婚姻《こんいん》は消《き》えたが、国同士《くにどうし》の結《むす》びつきは、今後《こんご》も確《たし》かなものとして保《たも》たねばならぬ。それは、私《わたし》の望《のぞ》みでもある」


 ミナギは短《みじか》くうなずき、静《しず》かな笑《え》みを返《かえ》した。


「承知《しょうち》している。布留根殿《ふるねどの》の判断《はんだん》も、我《わ》が国《くに》の未来《みらい》への配慮《はいりょ》も、すべて尊重《そんちょう》いたす」


 廊下《ろうか》に差《さ》し込《こ》む光《ひかり》が、二人《ふたり》をやわらかく照《て》らしている。



 再《ふたた》び沈黙《ちんもく》が訪《おとず》れた。


 その静《しず》けさの中《なか》には、互《たが》いの思惑《おもわく》を探《さぐ》り合《あ》う緊張《きんちょう》が淡《あわ》く漂《ただよ》っていた。


 布留根《ふるね》の鋭《するど》い眼差《まなざ》しは、ミナギの微笑《ほほえ》みや何気《なにげ》ない仕草《しぐさ》の奥《おく》にある本心《ほんしん》を見極《みきわ》めようとしている。



 ――こちらの思惑《おもわく》も、すべて見抜《みぬ》いているのだろう。


 したたかで、簡単《かんたん》には崩《くず》れぬ男《おとこ》だ。


 布留根《ふるね》はそう思《おも》う。



 国《くに》と国《くに》。


 そして、まだ誰《だれ》にも測《はか》れない力《ちから》を秘《ひ》めた少女《しょうじょ》。 


 それぞれの未来《みらい》を胸《むね》に抱《かか》えながら、二人《ふたり》の王《おう》は静《しず》かに思考《しこう》を巡《めぐ》らせていた。


 絡《から》み合《あ》う糸《いと》のような思惑《おもわく》は、ときにほどけ、ときに結《むす》ばれながら、なお先《さき》へと続《つづ》いていくのだった。



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