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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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代償



 闇《やみ》の底《そこ》で、声《こえ》がしていた。


 遠《とお》く。 


 けれど、はっきりと。



 ――ミナギ。



 何度《なんど》も。


 何度《なんど》も。



 そのたびに、沈《しず》みかけた意識《いしき》が少《すこ》しずつ引《ひ》き上《あ》げられる。


 冷《ひ》え切《き》った闇《やみ》の中《なか》に、かすかな熱《ねつ》が差《さ》し込《こ》む。


 誰《だれ》かが触《ふ》れている気配《けはい》。 


 押《お》し戻《もど》されるような感覚《かんかく》。


 ――離《はな》れるな。


 言葉《ことば》ではない。


 だが、確《たし》かにそう伝《つた》わってきた。

 


 必死《ひっし》に、その声《こえ》へ手《て》を伸《の》ばす。


 届《とど》くはずのない場所《ばしょ》なのに。


 その声《こえ》だけは、決《けっ》して途切《とぎ》れなかった。



(……アサ)



 名《な》を思《おも》い浮《う》かべた瞬間《しゅんかん》――


 意識《いしき》が浮《う》かび上《あ》がる。


 息《いき》を吸《す》う。


 肺《はい》が焼《や》けるように痛《いた》んだ。


 だが――


 呼吸《こきゅう》が通《とお》る。


 目《め》を開《あ》ける。


 見《み》えたのは天井《てんじょう》だった。


 見慣《みな》れているはずなのに、やけに遠《とお》く感《かん》じる。


 身体《からだ》は重《おも》い。


 けれど。


 さっきまでまとわりついていた何《なに》かがない。


 あれほど身体《からだ》の奥《おく》を蝕《むしば》んでいたものが。 


 ――消《き》えている。


(……どういうことだ)


 考《かんが》えるより先《さき》に違和感《いわかん》が走《はし》った。


 胸《むね》の奥《おく》が、ぽっかり空《あ》いたような感覚《かんかく》。


 そして――


 揺《ゆ》れる視界《しかい》の先《さき》に、一人《ひとり》の少女《しょうじょ》が倒《たお》れていた。


(……アサ!)


 その周《まわ》りには侍女《じじょ》たちが集《あつ》まっていた。


 青《あお》ざめた顔《かお》で息《いき》を呑《の》む者《もの》。


 膝《ひざ》をつき、アサの肩《かた》や背《せ》に手《て》を添《そ》える者《もの》。


 だがミナギは、そんな様子《ようす》を見《み》る余裕《よゆう》もなかった。


 跳《は》ね起《お》きるように身体《からだ》を起《お》こす。


「……ッ」


 視界《しかい》が揺《ゆ》れる。


 足元《あしもと》も定《さだ》まらない。



「殿《との》! 急《きゅう》に動《うご》かれては――」


 クラジが慌《あわ》てて声《こえ》を上《あ》げる。


 だが、ミナギは聞《き》いていなかった。


 真《ま》っ直《す》ぐアサへ向《む》かう。 


 そして、その前《まえ》に膝《ひざ》をついた。


 震《ふる》える手《て》で身体《からだ》に触《ふ》れる。



 アサの顔《かお》は汗《あせ》で濡《ぬ》れていた。


 乱《みだ》れた髪《かみ》が額《ひたい》に張《は》りついている。


 けれど――


 身体《からだ》に熱《ねつ》がない。


「……アサ」


 呼《よ》ぶ声《こえ》に焦《あせ》りが滲《にじ》む。


 返事《へんじ》はない。


 肩《かた》を掴《つか》む。 


 揺《ゆ》する。


 それでも反応《はんのう》はなかった。


 熱《ねつ》がない。 


 いや――違《ちが》う。


 触《ふ》れた瞬間《しゅんかん》、分《わ》かった。


 これは冷《ひ》えているのではない。


 ――燃《も》え尽《つ》きかけている。 


「……何《なに》をした」


 答《こた》えは返《かえ》らない。


 だが、分《わ》かってしまう。



 自分《じぶん》の中《なか》にあったはずの何《なに》かが消《き》えている。 


 あれほど絡《から》みついていた黒《くろ》いものが。


 跡形《あとかた》もなく。 


 その代《か》わりに――


 目《め》の前《まえ》の少女《しょうじょ》が倒《たお》れている。


 理解《りかい》は、一瞬《いっしゅん》だった。 



 夢《ゆめ》の中《なか》で何度《なんど》も聞《き》こえた声《こえ》。 


 引《ひ》き戻《もど》される感覚《かんかく》。


 ――すべてが繋《つな》がる。



「……馬鹿《ばか》なことを」


 声《こえ》が震《ふる》えた。 


 王《おう》としての声《こえ》ではない。 


 一人《ひとり》の男《おとこ》の声《こえ》だった。


 抱《だ》き起《お》こした指先《ゆびさき》に、かすかな熱《ねつ》が残《のこ》っている。


 その事実《じじつ》が胸《むね》に重《おも》く沈《しず》む。


「……アサ」


 もう一度《いちど》、名《な》を呼《よ》ぶ。


 消《き》えかけた現実《げんじつ》を繋《つな》ぎ止《と》めるように。


 身体《からだ》を抱《だ》く腕《うで》に力《ちから》が入《はい》る。



 喉《のど》が詰《つ》まる。


 それでも、無理《むり》やり声《こえ》を押《お》し出《だ》した。


「……行《い》くな」


 掠《かす》れた声《こえ》だった。


「行《い》かないでくれ――」



 命令《めいれい》ではない。


 懇願《こんがん》ですらない。


 ただの本音《ほんね》だった。



 ミナギは腕《うで》を回《まわ》し、アサを抱《だ》き寄《よ》せる。


 細《ほそ》い身体《からだ》を胸《むね》に引《ひ》き寄《よ》せるように。


 強《つよ》く。


 逃《に》がさないように。


 額《ひたい》を寄《よ》せる。


 息《いき》が触《ふ》れるほど近《ちか》くで、その存在《そんざい》を確《たし》かめる。



 ――まだ、ここにいる。


 それでいい。


 それだけでいい。


 他《ほか》には何《なに》もいらない。


 遅《おそ》すぎることくらい分《わ》かっている。


 それでも――


 ここで手《て》を離《はな》すくらいなら。


 王《おう》であることなど、どうでもいい。


 国《くに》も。


 責《せき》も。


 未来《みらい》も。


 全部《ぜんぶ》いらない。


 お前《まえ》さえ、ここにいてくれるなら。


 だから――


 どこにも行《い》くな。


 ここにいろ。


 俺《おれ》の手《て》の届《とど》く場所《ばしょ》に。



 その想《おも》いを、言葉《ことば》の代《か》わりに腕《うで》へ込《こ》める。


 離《はな》した瞬間《しゅんかん》に終《お》わってしまう気《き》がした。


 だから。


 その温《ぬく》もりが消《き》えないように。


 失《うしな》わないように。


 ミナギは、ただ強《つよ》く抱《だ》きしめ続《つづ》けた。



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