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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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炎舞



「タヅマ様《さま》、私《わたし》――できます」


 アサの声《こえ》は、迷《まよ》いのかけらもなく、覚悟《かくご》に満《み》ちていた。


「ミナギ様《さま》に取《と》り憑《つ》いている影《かげ》を、私《わたし》が引《ひ》き剥《は》がします」


 タヅマは眉《まゆ》を僅《わず》かに寄《よ》せる。


「──なんと……一体《いったい》何《なに》が見《み》えておられるので?」


 だが、目《め》を逸《そ》らさずに彼女《かのじょ》を見据《みす》えた。


「……黒《くろ》いモヤモヤ……何《なに》か、形《かたち》ははっきりしませんが――ミナギ様《さま》を苦《くる》しめているものです」


 アサは言葉《ことば》に詰《つ》まりながらも、その瞳《ひとみ》には強《つよ》い決意《けつい》が光《ひか》っている。


 タヅマは落《お》ち着《つ》いた声音《こわね》でアサに問《と》う。


「……詳《くわ》しくお聞《き》かせくだされ」


 声《こえ》の端《はし》に、冷静《れいせい》さと鋭《するど》い洞察《どうさつ》が潜《ひそ》む。


 アサはまっすぐ寝台《しんだい》の主《あるじ》を見《み》つめる。


 苦《くる》しげに身《み》を微《かす》かに揺《ゆ》らしながら、荒《あら》い呼吸《こきゅう》を繰《く》り返《かえ》すミナギ。


 その胸《むね》の奥《おく》、身体《からだ》の内側《うちがわ》で渦巻《うずま》く、黒《くろ》い靄《もや》。


 視線《しせん》を逸《そ》らすことなく、アサはその輪郭《りんかく》を口《くち》にする。


「――牙《きば》が……互《たが》い違《ちが》いに組《く》み合《あ》わさっているような形《かたち》が見《み》えます……それから……」


 言葉《ことば》を選《えら》び、ぎこちなく続《つづ》ける。


「……黒《くろ》い髑髏《どくろ》」



 牙《きば》が互《たが》い違《ちが》いに合《あ》わさった形《かたち》――


 それは――狗奴国《くなこく》の文様《もんよう》だった。


 タヅマの脳裏《のうり》に、暗《くら》い予感《よかん》がよぎる。


 そして、黒《くろ》い髑髏《どくろ》。


 呪《のろ》い――


 まさか。



「私《わたし》なら、焼《や》き払《はら》えるかもしれません」


 重臣《じゅうしん》クラジは、一瞬《いっしゅん》言葉《ことば》を失《うしな》った。


 目《め》を見開《みひら》き、呟《つぶや》くように漏《も》らす。


「何《なに》をたわけたことを……」


 荒唐無稽《こうとうむけい》、非現実《ひげんじつ》――


 しかし、事態《じたい》の緊迫《きんぱく》さがそれを超《こ》えている。



 タヅマは目《め》を閉《と》じ、深《ふか》く息《いき》を吸《す》い込《こ》む。


 迷《まよ》いの猶予《ゆうよ》はない。


 寝台《しんだい》のミナギの姿《すがた》を見《み》つめる。


 命《いのち》の灯《ひ》が、今《いま》にも掻《か》き消《き》えそうに揺《ゆ》れている。


 可能性《かのうせい》が少《すこ》しでもあるならば、すべてを託《たく》すべきだと判断《はんだん》する。


 そして、静《しず》かに口《くち》を開《ひら》いた。


「──では……頼《たの》みましたぞ」


「はい」


 アサの返事《へんじ》には力《ちから》がみなぎり、確《たし》かな覚悟《かくご》が込《こ》められていた。




 寝台《しんだい》のミナギの傍《かたわ》らに、簡易的《かんいてき》な祭壇《さいだん》が整《ととの》えられ、香《こう》が静《しず》かに焚《た》かれる。


 微《かす》かに立《た》ち上《のぼ》る白《しろ》い煙《けむり》が、室内《しつない》を満《み》たす。


 その前《まえ》に、まっすぐ立《た》つアサは、上質《じょうしつ》な白《しろ》い布《ぬの》で仕立《した》てられた巫女装束《みこしょうぞく》を身《み》に纏《まと》っていた。


 ゆったりとした袖《そで》は、少《すこ》し動《うご》くだけで風《かぜ》を孕《はら》んでふわりと広《ひろ》がる。

 

「何《なに》をするつもりだ?」


 クラジの声《こえ》には、疑念《ぎねん》と警戒《けいかい》が混《ま》ざっていた。


「――踊《おど》ります」


 アサの声《こえ》は低《ひく》く、しかし決然《けつぜん》としている。


 その一言《ひとこと》に、侍女《じじょ》や兵《へい》たちは息《いき》を飲《の》み、場《ば》は騒然《そうぜん》となる。


 アサは大《おお》きく息《いき》を吸《す》い込《こ》み、胸元《むなもと》の赤《あか》い瑪瑙《めのう》に指《ゆび》をかける。


(母様《かあさま》……見守《みまも》って)


 頭《あたま》の中《なか》で、亡《な》き母《はは》を想《おも》う。


 冷《つめ》たくも確《たし》かなその石《いし》が、彼女《かのじょ》の掌《てのひら》の中《なか》で小《ちい》さく振動《しんどう》するように感《かん》じられ、心《こころ》を鼓舞《こぶ》する。


 ゆっくりと足《あし》を踏《ふ》み出《だ》す。



 最初《さいしょ》の動《うご》きはわずかにぎこちない。


 腕《うで》は空気《くうき》を掴《つか》むように広《ひろ》がり、指先《ゆびさき》は宙《ちゅう》をなぞる。


 だが、徐々(じょじょ)に足取《あしど》り軽《かろ》やかに、しかし確実《かくじつ》に床《ゆか》を踏《ふ》みしめるたび、身体《からだ》の内側《うちがわ》から熱《ねつ》が溢《あふ》れ出《だ》す。


 肩《かた》や腰《こし》の動《うご》きは炎《ほのお》のように波打《なみう》ち、指先《ゆびさき》や手首《てくび》の旋回《せんかい》は煙《けむり》の渦《うず》を描《えが》くかのように流麗《りゅうれい》だ。



 次第《しだい》に舞《まい》は激《はげ》しさを増《ま》す。


 見《み》る者《もの》を捉《とら》えて離《はな》さない何《なに》かが、その動《うご》きのひとつひとつから立《た》ち昇《のぼ》る。


 目《め》はアサから離《はな》せず、呼吸《こきゅう》を忘《わす》れたように人々(ひとびと)は静止《せいし》する。


 腕《うで》は振《ふ》り下《お》ろされ、足《あし》は宙《ちゅう》を蹴《け》る。


 アサの髪《かみ》や衣《ころも》は舞《まい》の勢《いきお》いに揺《ゆ》れ、空気《くうき》の振動《しんどう》が微《かす》かに香《こう》の煙《けむり》を揺《ゆ》らす。


 その姿《すがた》はもはや、単《たん》なる舞踊《ぶよう》ではなく、内《うち》に宿《やど》る炎《ほのお》そのもの。


 見《み》る者《もの》の心《こころ》を揺《ゆ》さぶり、息《いき》を呑《の》ませる。


 部屋《へや》の隅々(すみずみ)にまで、彼女《かのじょ》の意志《いし》と力《ちから》の余韻《よいん》が満《み》ちる。



 そんなアサの舞《まい》を見守《みまも》りつつ、タヅマは静《しず》かに部屋《へや》を後《あと》にした。


 自室《じしつ》の小《ちい》さな文机《ふづくえ》に膝《ひざ》をつき、平《たい》らに置《お》かれた麻紙《まし》に筆《ふで》を取《と》る。


 迷《まよ》いはなく、しかし慎重《しんちょう》に、筆《ふで》を走《はし》らせる。



 書《か》き終《お》えると、紙《かみ》をくるりと巻《ま》き、細《ほそ》い紐《ひも》で結《むす》ぶ。


 羽《はね》を休《やす》めていたムスビの元《もと》へ行《い》くと、その紐《ひも》を静《しず》かに足首《あしくび》に巻《ま》きつける。


 その手《て》つきは、緊張《きんちょう》と敬意《けいい》を伴《ともな》っていた。


 ムスビの小《ちい》さな瞳《ひとみ》が瞬《またた》き、羽根《はね》がわずかに震《ふる》える。


「頼《たの》みましたぞ……」


 タヅマの声《こえ》は低《ひく》く、落《お》ち着《つ》いているが、言葉《ことば》の奥《おく》には深《ふか》い願《ねが》いがこもる。


 ムスビは軽《かる》く一声《ひとこえ》鳴《な》き、地面《じめん》を蹴《け》るように力強《ちからづよ》く羽《は》ばたく。


 瞬《またた》く間《ま》に高《たか》く舞《ま》い、やがて見《み》えなくなるほど遠《とお》くへ。



 タヅマはその背《せ》を見《み》つめ、心《こころ》の奥《おく》で、委《ゆだ》ねた願《ねが》いが無事《ぶじ》に届《とど》くよう、


 静《しず》かに――


 しかし力強《ちからづよ》く祈《いの》りを込《こ》めていた。



 

 舞《まい》を続《つづ》ける中《なか》で、アサの身体《からだ》と意識《いしき》は、自然《しぜん》と深《ふか》い集中《しゅうちゅう》の境地《きょうち》に入《はい》っていた。


 瞬間《しゅんかん》――室内《しつない》の空気《くうき》が重《おも》く、黒《くろ》い帷《とばり》のように垂《た》れこめる。


 まるで闇《やみ》そのものがアサを取《と》り込《こ》もうと這《は》い上《あ》がってくるかのようだった。


 視界《しかい》は歪《ゆが》み、呼吸《こきゅう》が胸《むね》に引《ひ》っかかる。


 焼《や》けるようで、凍《こお》るようで、全身《ぜんしん》の神経《しんけい》が鋭《するど》く疼《うず》く。


 ――だが、その感覚《かんかく》を拒《こば》まない。


 絡《から》みついてくるそれを、逆《ぎゃく》に掴《つか》み取《と》ろうとする。


 アサは深《ふか》く息《いき》を吸《す》い込《こ》み、胸《むね》の奥《おく》に宿《やど》る熱《ねつ》と血《ち》の流《なが》れを意識《いしき》する。


 体内《たいない》の細胞《さいぼう》が震《ふる》え、心臓《しんぞう》の脈拍《みゃくはく》が耳《みみ》の奥《おく》で響《ひび》く感覚《かんかく》。


 濁《にご》り、歪《ゆが》み、異物《いぶつ》――


 それを剥《は》がす。


 黒《くろ》く渦巻《うずま》く影《かげ》を、指先《ゆびさき》で掴《つか》むように、意識《いしき》の端《はし》まで届《とど》ける。


 決意《けつい》とともに意思《いし》を集中《しゅうちゅう》させた瞬間《しゅんかん》、激《はげ》しい抵抗《ていこう》が走《はし》る。


「……ッ!」


 手《て》を伸《の》ばすと、それは強《つよ》く絡《から》みつき、皮膚《ひふ》の奥《おく》に食《く》い込《こ》む。


 侵食《しんしょく》する力《ちから》に抗《あらが》うため、肩《かた》から指先《ゆびさき》まで、筋肉《きんにく》のひとつひとつに力《ちから》を満《み》たす。


(ミナギから、離《はな》れろ……!)


 言葉《ことば》ではなく、意思《いし》そのもので掴《つか》む。


 ――引《ひ》く。


 無理《むり》やりに、しかし揺《ゆ》るぎなく。


 裂《さ》けるような痛《いた》みが腕《うで》に走《はし》り、千切《ちぎ》れるような感触《かんしょく》が手《て》のひらに伝《つた》わる。


 次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》。


 闇《やみ》の塊《かたまり》が、重《おも》く鈍《にぶ》く――


 音《おと》もなく、空間《くうかん》から外《はず》れた。


 

「……っ、は……」


 ミナギの胸《むね》の上下《じょうげ》がゆっくりと戻《もど》り、呼吸《こきゅう》のリズムが確《たし》かに整《ととの》う。


「おおっ」


 見守《みまも》る者《もの》たちから、驚《おどろ》きと安堵《あんど》が混《ま》じった声《こえ》が漏《も》れ、室内《しつない》に緊張《きんちょう》の余韻《よいん》と共《とも》に震《ふる》えが走《はし》る。


 アサの膝《ひざ》はわずかに崩《くず》れかけ、全身《ぜんしん》の力《ちから》が抜《ぬ》けていく。


 だが、倒《たお》れることはない。


 まだ終《お》わりではない――


 焼《や》き切《き》るまで、完全《かんぜん》に断《た》つまでは。


 足元《あしもと》から背筋《せすじ》、指先《ゆびさき》まで残《のこ》る熱《ねつ》を意識《いしき》しながら、アサは踊《おど》り続《つづ》ける。


 髪《かみ》や衣《ころも》が汗《あせ》で張《は》り付《つ》く感触《かんしょく》も、空気《くうき》を切《き》る音《おと》も、すべてが一体《いったい》となる。



 ――この手《て》を、絶対《ぜったい》に離《はな》さない。



 力《ちから》だけでなく、意志《いし》と覚悟《かくご》が、舞《まい》そのものに宿《やど》る。


 炎《ほのお》のように揺《ゆ》れるその身体《からだ》から、黒《くろ》い闇《やみ》を焼《や》き尽《つ》くす力《ちから》が放《はな》たれているかのようだった。



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