古傷
水を汲む折、ミナギが袖をまくり上げた。
普段は隠れている腕が、陽の下に現れる。
そして、その時だった。
アサの目が止まる。
腕の内側――
浅黒い肌の下に、色の違う線が幾筋も走っている。
古い傷だ。
消えきらず、皮膚をわずかに引きつらせるように残っている。
日々の生活のなかでできる傷とは違う。
もっと鋭く、迷いのない入り方をしている。
何かが「狙って」通ったような、そんな痕だった。
アサは息を詰めたまま、視線を外せなかった。
うまく説明はできない。
けれど、見てはいけないものを見たような気がした。
アサは、戦いを見たことがない。
人と人が刃を向け合う場など、想像の中にしかない。
それでも――
(……戦った人の、傷)
胸の奥で、言葉にならない確信が沈む。
ミナギは気づいているはずだった。
アサの目がそこに止まったことに。
それでも、何も言わない。
ただ、いつも通りの動きで袖を引き下げる。
隠すでもなく。
見せるでもなく。
古い木の節のように、そこにあるものとして扱う。
その在り方が、かえって重かった。
アサの背筋に、ひやりとしたものが走る。
朝の冷えではない。
もっと内側から来る感覚。
怖い、というのとは少し違う。
だが、近づきすぎてはいけないものに触れた気がした。
この人は、自分の知らない何かを知っている。
同じ場所に立ち。
同じ水を汲み。
同じ火を囲んでいても――
歩いてきた場所が、決定的に違う。
刃が打ち合わされる音。
重く踏み込む足とともにしなる槍。
鏃が風を裂く音。
見たこともないはずのそれらが、胸の奥でかすかに響く。
目の前の傷が、そうした光景を呼び起こしているかのように。
ミナギは一体――
どこで、何をしてきたのだろう。
問いは口に出せないまま、沈んでいく。
聞けば、何かが変わってしまう気がした。
知らずにいられる距離が、壊れてしまう。
だからアサは、何も言わなかった。
ただ、汲み上げた水をそっと持ち上げる。
すぐ傍に立つ男は、変わらず静かだった。
風に揺れる葦の音の中で――
まるで何もなかったかのように。




