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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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古傷




 水《みず》を汲《く》む折《おり》、ミナギが袖《そで》をまくり上《あ》げた。


 普段《ふだん》は隠《かく》れている腕《うで》が、陽《ひ》の下《した》に現《あらわ》れる。



 そして、その時《とき》だった。


 アサの目《め》が止《と》まる。


 腕《うで》の内側《うちがわ》――


 浅黒《あさぐろ》い肌《はだ》の下《した》に、色《いろ》の違《ちが》う線《せん》が幾筋《いくすじ》も走《はし》っている。


 古《ふる》い傷《きず》だ。


 消《き》えきらず、皮膚《ひふ》をわずかに引《ひ》きつらせるように残《のこ》っている。



 日々(ひび)の生活《せいかつ》のなかでできる傷《きず》とは違《ちが》う。


 もっと鋭《するど》く、迷《まよ》いのない入《はい》り方《かた》をしている。


 何《なに》かが「狙《ねら》って」通《とお》ったような、そんな痕《あと》だった。



 アサは息《いき》を詰《つ》めたまま、視線《しせん》を外《はず》せなかった。


 うまく説明《せつめい》はできない。


 けれど、見《み》てはいけないものを見《み》たような気《き》がした。



 アサは、戦《たたか》いを見《み》たことがない。


 人《ひと》と人《ひと》が刃《やいば》を向《む》け合《あ》う場《ば》など、想像《そうぞう》の中《なか》にしかない。


 それでも――



(……戦《たたか》った人《ひと》の、傷《きず》)



 胸《むね》の奥《おく》で、言葉《ことば》にならない確信《かくしん》が沈《しず》む。



 ミナギは気《き》づいているはずだった。


 アサの目《め》がそこに止《と》まったことに。


 それでも、何《なに》も言《い》わない。


 ただ、いつも通《どお》りの動《うご》きで袖《そで》を引《ひ》き下《さ》げる。



 隠《かく》すでもなく。


 見《み》せるでもなく。


 古《ふる》い木《き》の節《ふし》のように、そこにあるものとして扱《あつか》う。


 その在《あ》り方《かた》が、かえって重《おも》かった。



 アサの背筋《せすじ》に、ひやりとしたものが走《はし》る。


 朝《あさ》の冷《ひ》えではない。


 もっと内側《うちがわ》から来《く》る感覚《かんかく》。


 怖《こわ》い、というのとは少《すこ》し違《ちが》う。


 だが、近《ちか》づきすぎてはいけないものに触《ふ》れた気《き》がした。



 この人《ひと》は、自分《じぶん》の知《し》らない何《なに》かを知《し》っている。


 同《おな》じ場所《ばしょ》に立《た》ち。


 同《おな》じ水《みず》を汲《く》み。


 同《おな》じ火《ひ》を囲《かこ》んでいても――


 歩《ある》いてきた場所《ばしょ》が、決定的《けっていてき》に違《ちが》う。


 刃《やいば》が打《う》ち合《あ》わされる音《おと》。


 重《おも》く踏《ふ》み込《こ》む足《あし》とともにしなる槍《やり》。


 鏃《やじり》が風《かぜ》を裂《さ》く音《おと》。


 見《み》たこともないはずのそれらが、胸《むね》の奥《おく》でかすかに響《ひび》く。


 目《め》の前《まえ》の傷《きず》が、そうした光景《こうけい》を呼《よ》び起《お》こしているかのように。



 ミナギは一体《いったい》――


 どこで、何《なに》をしてきたのだろう。



 問《と》いは口《くち》に出《だ》せないまま、沈《しず》んでいく。


 聞《き》けば、何《なに》かが変《か》わってしまう気《き》がした。


 知《し》らずにいられる距離《きょり》が、壊《こわ》れてしまう。


 だからアサは、何《なに》も言《い》わなかった。


 ただ、汲《く》み上《あ》げた水《みず》をそっと持《も》ち上《あ》げる。


 すぐ傍《そば》に立《た》つ男《おとこ》は、変《か》わらず静《しず》かだった。


 風《かぜ》に揺《ゆ》れる葦《あし》の音《おと》の中《なか》で――


 まるで何《なに》もなかったかのように。





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