ミナギ
ミナギが村に来て、三月が過ぎた。
最初は、よそ者として少し距離を置かれていた彼も、今ではすっかり村に馴染んでいた。
村人たちにとってのミナギは、行商人であり、呪い師であり、少し変わった男というくらいだった。
けれど、アサにとっては違った。
兄のようで。
友達のようで。
そして――師のような人だった。
ミナギは、何気ない毎日の中で、外の世界の話をしてくれた。
――遠い海の話。
水平線の向こうで太陽が沈む時、海は燃えるような赤に染まるのだという。
その光を、船乗りたちは「神の道」と呼ぶらしい。
アサは目を丸くした。
まだ見たこともない景色が、頭の中に広がっていく。
胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなった。
――行き交う舟の話。
木でできた舟が、風を受けながら波の上を進んでいく。
舟の先に立つ者は、海風を読み、波の動きを手で感じるのだと、ミナギは言った。
アサは思わず手を握る。
まるで自分も、その舟の上に立っているような気がした。
胸が、少し高鳴る。
――見たこともない食べ物の話。
虹色に光る魚。
甘い香りのする果物。
口に入れると、泡みたいに消えてしまう不思議な団子。
ミナギは、匂いや味まで見えてくるように話してくれる。
アサは思わず唾を飲み込んだ。
いつか食べてみたい。
そんな小さな願いが、胸に生まれていた。
――人や暮らしの話。
火を囲み、歌って踊る人たち。
言葉が分からなくても、笑ったり泣いたりする気持ちは伝わるのだと、ミナギは話した。
アサは想像する。
知らない土地に立ち、見知らぬ人たちの輪に、自分が混ざっている姿を。
話を聞くたびに、アサの心は少しずつ外へ広がっていった。
世界は広い。
自分が見ているものは、そのほんの一部なのだ。
それを知るたび、胸の奥に小さな火が灯る。
知りたい。
見てみたい。
そんな静かな熱だった。
時には、ふたりで勝負をすることもあった。
ただ石を投げるだけではない。
ミナギが考えた、小さな決まりがある。
森の地面に、枝で十字の印を描く。
順番に石を転がし、できるだけ真ん中へ近づける。
それだけの遊びだった。
けれど、アサは真剣だった。
石を握り、力の入れ方や向きを何度も考える。
眉を寄せながら投げては、石が跳ねて土へ落ちる音に耳を澄ませた。
石の重さ。
投げる向き。
地面のわずかな傾き。
ひとつひとつ確かめるたび、気づかないうちにアサの感覚は鋭くなっていった。
二人の石が交互に並ぶたび、森には小さな緊張が流れる。
葉の揺れる音。
土に触れる石の音。
風の匂い。
その全部が、遊びの中に溶け込んでいた。
最後に、いちばん真ん中に近い石を置いた方が、小さく笑う。
二人は顔を見合わせ、同時に笑い声をあげた。
その声は葉の間を抜け、風に溶けていく。
その時だけの、小な世界がそこにあった。
夜になると、火の前に座り、石や骨を並べる練習をした。
ミナギは手を貸さない。
ただ、静かに見守っているだけだった。
けれど、その目の奥には確かな期待があった。
信じている光があった。
アサはそれを感じるたび、胸の奥が小さく熱くなるのを知った。




