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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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静夜の告白



 灯《あか》りはやわらかく滲《にじ》み、外《そと》の音《おと》は何重《なんじゅう》にも隔《へだ》てられたように遠《とお》く感じられた。


 二人《ふたり》だけの空間《くうかん》は、静《しず》けさという言葉《ことば》がよく似合《にあ》う、落《お》ち着《つ》いた空気《くうき》に満《み》ちていた。


「――今宵《こよい》は、殊《こと》の外《ほか》、静《しず》やかな夜《よる》にございますわね」


 おっとりとした声《こえ》が、しっとりと空気《くうき》に溶《と》けていく。


 ミナギは盃《さかずき》を口元《くちもと》へ運《はこ》び、ゆっくりと傾《かたむ》けた。


 澄《す》んだ酒《さけ》が喉《のど》へと静《しず》かに落《お》ちていく。


 低《ひく》く落《お》とされた声《こえ》が、静《しず》けさの中《なか》に小《ちい》さな波《なみ》のように広《ひろ》がった。


「静《しず》かな方《ほう》がいい」


 わずかに目《め》を伏《ふ》せ、言葉《ことば》を選《えら》ぶように続《つづ》ける。


「余計《よけい》な声《こえ》に気《き》を乱《みだ》されることもない」


 志摩《しま》はその言葉《ことば》を受《う》けて、くすりと微笑《ほほえ》んだ。


 指先《ゆびさき》で支《ささ》えた器《うつわ》をゆっくり傾《かたむ》けると、中《なか》の酒《さけ》がかすかに音《おと》を立《た》てて揺《ゆ》れた。


「余計《よけい》……にございますか」


 志摩《しま》の問《と》いは穏《おだ》やかだったが、どこか小《ちい》さな揺《ゆ》れを含《ふく》んでいた。


 ミナギは盃《さかずき》を卓《たく》へ置《お》き、視線《しせん》は灯《あか》りの方《ほう》に向《む》けたまま、低《ひく》く答《こた》えた。


「……ああ。耳《みみ》ざわりなものが多《おお》いからな」


「まあ」 


 志摩《しま》は少《すこ》しだけ目《め》を細《ほそ》める。


 そして、ゆっくりと身《み》を乗《の》り出《だ》し、卓《たく》をはさんだ距離《きょり》をわずかに縮《ちぢ》めた。


「では――こうして、わたくしと二人《ふたり》きりの静《しず》けさは、お気《き》に召《め》していただけておりますのね」


 志摩《しま》の冗談《じょうだん》めいた口調《くちょう》に、ミナギの口元《くちもと》がほんのわずかに緩《ゆる》む。


「悪《わる》くはない」


 短《みじか》い返事《へんじ》。


 志摩《しま》の唇《くちびる》に、はっきりとした笑《え》みが浮《う》かぶ。


「悪《わる》くはない――でございますか」


「不満《ふまん》か」


「いいえ、とんでもございません」


 そう言《い》いながら、志摩《しま》はゆっくり盃《さかずき》を回《まわ》す。


「殿方《とのがた》がそう仰《おっしゃ》るときは、大抵《たいてい》――それ以上《いじょう》を含《ふく》んでおりますもの」


 視線《しせん》を上《あ》げ、まっすぐにミナギを捉《とら》えた。


「わたくし、そういう言葉《ことば》に流《なが》されないところを拾《ひろ》うのは得意《とくい》でございますの」


 間《ま》を置《お》かず、さらりと続《つづ》ける。


「例《たと》えば……本当《ほんとう》は、静《しず》けさそのものより――」


 ほんの一瞬《いっしゅん》、言葉《ことば》を区切《くぎ》る。


「誰《だれ》と過《す》ごすか、の方《ほう》が大事《だいじ》でいらっしゃるとか」


 空気《くうき》が、ほんのわずかに変《か》わる。


「……こんな夜《よる》は――少《すこ》しばかり、わがままを申《もう》し上《あ》げても、許《ゆる》される気《き》がしてしまいますわ」


 視線《しせん》が、わずかに近《ちか》づく。


「もう少《すこ》しだけ……そちらへ寄《よ》っても?」


 志摩《しま》は微笑《ほほえ》む。


「声《こえ》を張《は》らずとも届《とど》く距離《きょり》で、お話《はなし》したいのです」


 ミナギは、志摩《しま》の視線《しせん》を一度《いちど》受《う》け止《と》める。


 逃《に》げるでも、はぐらかすでもなく――確《たし》かめるように。


 やがて、短《みじか》く息《いき》を落《お》とす。


「……好《す》きにしろ」


 ぶっきらぼうな許《ゆる》し。


 志摩《しま》の唇《くちびる》に、ふっとやわらかな笑《え》みが広《ひろ》がる。


「ありがとうございます」


 囁《ささや》くように礼《れい》を述《の》べると、そのまま静《しず》かに身《み》を寄《よ》せた。


 衣擦《きぬず》れの音《おと》が、かすかに響《ひび》く。


 先《さき》ほどまで卓《たく》を挟《はさ》んでいた距離《きょり》が消《き》え、同《おな》じ側《がわ》に並《なら》ぶ形《かたち》になる。


 灯《あか》りが近《ちか》づき、互《たが》いの輪郭《りんかく》がやわらかく溶《と》け合《あ》う。


 わずかに顔《かお》を傾《かたむ》ければ、声《こえ》はもう空気《くうき》を渡《わた》る必要《ひつよう》すらない距離《きょり》だった。


「……こうして拝見《はいけん》いたしますと、なおさら思《おも》いますわ」


 ミナギの横顔《よこがお》を、至近《しきん》でなぞるように。


「やはり――わたくし、あなたと過《す》ごす時間《じかん》が好《す》きでございます」


 飾《かざ》りのない言《い》い方《かた》だった。


 ミナギは目《め》を細《ほそ》めて志摩《しま》を見《み》つめた。


 わずかに肩《かた》の力《ちから》を抜《ぬ》きながら、


「……そなたは、物《もの》をはっきり言《い》うな」


 低《ひく》く、どこか呆《あき》れを含《ふく》ませて言《い》う。


「曖昧《あいまい》にしても、意味《いみ》がないでしょう」


 志摩《しま》はためらいなく応《おう》じる。


「この婚姻《こんいん》がどういうものかは、承知《しょうち》しております」


 声《こえ》は静《しず》かで、揺《ゆ》らぎがない。


「それでも――」


 一度《いちど》、息《いき》を整《ととの》える。


「わたくしは、あなたに惹《ひ》かれていますわ」


 空気《くうき》が、変《か》わる。


 甘《あま》さとも緊張《きんちょう》ともつかない、張《は》り詰《つ》めた静寂《せいじゃく》。


 ミナギは動《うご》かない。


 ただ、視線《しせん》だけが、ほんのわずかに揺《ゆ》らいだ。


 志摩《しま》は微《かす》かに苦笑《くしょう》する。


「困《こま》らせましたか」


「――いや」


 短《みじか》い否定《ひてい》。


 だが、それ以上《いじょう》は続《つづ》かない。


 志摩《しま》の瞳《ひとみ》が、わずかに潤《うる》む。


 抑《おさ》えようとする喜《よろこ》びを胸《むね》の奥《おく》へ押《お》し込《こ》めながらも、その揺《ゆ》れは隠《かく》しきれなかった。


 淡《あわ》い恋《こい》の光《ひかり》が、その奥《おく》で静《しず》かに揺《ゆ》れている。


 その指先《ゆびさき》が、そっとミナギの袖《そで》に触《ふ》れた。


 志摩《しま》の顔《かお》が、ゆっくりと近《ちか》づいていく。


 互《たが》いの吐息《といき》が、かすかに混《ま》じる。


 ミナギは、その場《ば》に静《しず》かに留《とど》まっていた。


 やがて――ほんのわずかに、目《め》を伏《ふ》せる。


 それは、はっきりした答《こた》えではない。


 けれど、少《すく》なくとも、受《う》け入《い》れる側《がわ》に立《た》つという意思《いし》だけは、そこにあった。


 灯《あか》りが揺《ゆ》れ、二人《ふたり》の影《かげ》がひとつに重《かさ》なっていく。


 外《そと》の世界《せかい》の音《おと》は、もうほとんど届《とど》かない。


 残《のこ》るのは、静《しず》かな夜《よる》と、近《ちか》すぎる呼吸《こきゅう》だけだった。


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