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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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胸に沈むもの (※ミナギ視点)



 伊都国《いとこく》との結《むす》びつきを強《つよ》める。


 それは、投馬国《とうまこく》の未来《みらい》を守《まも》るために必要《ひつよう》な一手《いって》だった。


 誰《だれ》よりも、ミナギ自身《じしん》が分《わ》かっていた。


 国《くに》と国《くに》を結《むす》ぶ。


 争《あらそ》いを避《さ》ける。


 民《たみ》を守《まも》る。


 王《おう》として、それ以上《いじょう》に大切《たいせつ》なものなどない。


 そう、何度《なんど》も自分《じぶん》に言《い》い聞《き》かせた。


 王《おう》である限《かぎ》り――自分《じぶん》の心《こころ》ひとつで、国《くに》の未来《みらい》を変《か》えることなどできない。



 夜更《よふ》けの宮《みや》。


 灯火《ともしび》の揺《ゆ》れる明《あ》かりを見《み》つめながら、何度《なんど》も繰《く》り返《かえ》した。


 何度《なんど》も。


 何度《なんど》も。



 なのに――


 廊《ろう》を歩《ある》くたび、無意識《むいしき》に一人《ひとり》の姿《すがた》を探《さが》してしまう。


(……忘《わす》れろ)


 そう命《めい》じても、心《こころ》は言《い》うことを聞《き》かなかった。


 王《おう》である前《まえ》に。


 自分《じぶん》もまた、一人《ひとり》の人間《にんげん》なのだと。その事実《じじつ》だけは、どうしても消《け》せなかった。

     


 その日《ひ》。


 視線《しせん》の先《さき》に、アサの姿《すがた》を見《み》つけた。


 一瞬《いっしゅん》だけ、胸《むね》が高鳴《たかな》る。


 だが、すぐにその気持《きも》ちを押《お》し込《こ》めた。


 近《ちか》づく。


 足《あし》は、考《かんが》えるより先《さき》に動《うご》いていた。


「そこにいたか」


 呼《よ》び止《と》める。


 本当《ほんとう》は違《ちが》う。


 名前《なまえ》を呼《よ》びたかった。


 何《なん》でもない話《はなし》をしたかった。


 だが、もうそんなことを許《ゆる》される立場《たちば》ではない。


「用件《ようけん》を伝《つた》える」


 口《くち》から出《で》た言葉《ことば》は淡々(たんたん)としていた。


 まるで、知《し》らない相手《あいて》に向《む》けるような声《こえ》だった。


 距離《きょり》を置《お》かなければならない。


 そうしなければ、自分《じぶん》が揺《ゆ》らいでしまう。


 中途半端《ちゅうとはんぱ》な優《やさ》しさは、アサをさらに苦《くる》しめるだけだ。


 志摩《しま》に対《たい》しても、誠実《せいじつ》ではない。


 優《やさ》しくしてはいけない。


 期待《きたい》させてはいけない。


 そう思《おも》っていた。


 ――そう思《おも》っていたはずだった。


「今後《こんご》、お前《まえ》の役目《やくめ》を一部《いちぶ》変《か》える」


 言葉《ことば》にした瞬間《しゅんかん》、胸《むね》の奥《おく》が締《し》めつけられる。


 外《そと》の務《つと》めへ回《まわ》す。


 自分《じぶん》から遠《とお》ざけるための配置《はいち》だった。


 アサの表情《ひょうじょう》は変《か》わらなかった。


 それが、苦《くる》しかった。


 泣《な》いてくれればよかった。


 怒《おこ》ってくれればよかった。


 そうすれば、まだ何《なに》か言《い》えたかもしれない。


 だが彼女《かのじょ》は――


「承知《しょうち》いたしました」


 完璧《かんぺき》な侍女《じじょ》の顔《かお》をした。


 そこに、自分《じぶん》だけが知《し》っているアサはいなかった。


 胸《むね》の奥《おく》が痛《いた》む。


 違《ちが》う。


 そうじゃない。


 そんな顔《かお》をさせたいわけではなかった。


 なのに。


 自分《じぶん》がそうさせた。



「……なぜ、ですか」


 静《しず》かな問《と》いに、息《いき》が詰《つ》まりそうになる。


「必要《ひつよう》な判断《はんだん》だ」


 嘘《うそ》ではない。


 だが、本当《ほんとう》の理由《りゆう》を口《くち》にできるはずがなかった。


 お前《まえ》を見《み》ていると苦《くる》しいからだ。


 傍《そば》に置《お》けば、手《て》を伸《の》ばしたくなるからだ。


 そんな理由《りゆう》を、どうして言《い》える。


「それは、国《くに》のためですか」


 まっすぐな瞳《ひとみ》が、自分《じぶん》を見る。


 その澄《す》んだ瞳《ひとみ》から、逃《に》げたくなった。


 弱《よわ》い自分《じぶん》の心《こころ》を、見透《みす》かされている気《き》がした。


 すべてが国《くに》のためなら。


 こんなにも苦《くる》しくはない。


 これは、自分《じぶん》の心《こころ》を捨《す》てるためだ。


 アサを傷《きず》つける自分《じぶん》を、正《ただ》しいと思《おも》い込《こ》むためだ。


 それでも。


「それ以外《いがい》に、何《なに》がある」


 心《こころ》を殺《ころ》す。


 自分《じぶん》でも驚《おどろ》くほど冷《つめ》たい声《こえ》だった。


 その瞬間《しゅんかん》。


 アサの瞳《ひとみ》から、何《なに》かが消《き》えた。


 だが、それでいい。


 嫌《きら》われた方《ほう》がいい。


 恨《うら》まれた方《ほう》がいい。


 そうすれば、いつか忘《わす》れてもらえる。


「……そう、ですね」


 アサは一歩《いっぽ》下《さ》がり、深《ふか》く礼《れい》をした。


 距離《きょり》を置《お》くための礼《れい》。


 王《おう》と侍女《じじょ》として、正《ただ》しい距離《きょり》。


 望《のぞ》んだはずのものだった。


 なのに。


 なぜ、こんなにも苦《くる》しい。

     


 通《とお》り過《す》ぎようとした、その時《とき》だった。


「――ミナギ様《さま》」


 足《あし》が止《と》まる。


 振《ふ》り返《かえ》れない。


 振《ふ》り返《かえ》れば、すべてが崩《くず》れてしまう気《き》がした。


「何《なん》だ」


 声《こえ》だけを返《かえ》す。


「おめでとうございます」


 一瞬《いっしゅん》――何《なに》を言《い》われたのか分《わ》からなかった。


 祝《いわ》いの言葉《ことば》。


 それは王《おう》へ向《む》けたものだった。


 けれど、その奥《おく》に隠《かく》された痛《いた》みも。


 願《ねが》いも。


 すべて伝《つた》わってしまった。


「……ああ」


 それしか言《い》えなかった。


 情《なさ》けない。


 王《おう》としてではなく。


 一人《ひとり》の男《おとこ》として。


 何《なに》もできない。



 歩《ある》き出《だ》す。


 足音《あしおと》だけが、静《しず》かな廊《ろう》に響《ひび》く。


 遠《とお》ざかるほどに、胸《むね》の奥《おく》が苦《くる》しくなる。


 ――これでいい。


 これで国《くに》は守《まも》られる。


 アサも、いつか幸《しあわ》せになれる。


 そう思《おも》おうとする。


 なのに。


 最後《さいご》に見《み》た彼女《かのじょ》の姿《すがた》が、頭《あたま》から離《はな》れない。


 完璧《かんぺき》な礼《れい》。


 揺《ゆ》れない声《こえ》。


 何《なに》も求《もと》めない瞳《ひとみ》。

     

 拳《こぶし》を強《つよ》く握《にぎ》る。


 爪《つめ》が掌《てのひら》に食《く》い込《こ》む。


 痛《いた》みで、心《こころ》を押《お》さえつける。


 それでも、足《あし》は重《おも》かった。

     


 誰《だれ》もいない中庭《なかにわ》へ出《で》る。


 ようやく、息《いき》を吐《は》いた。


 苦《くる》しい。


 戦《いくさ》で傷《きず》を負《お》った時《とき》よりも。


 ずっと苦《くる》しい。


 敵《てき》は、どこにもいない。


 いるのは――


 自分《じぶん》の心《こころ》だけだった。



 ミナギは歩《あゆ》みを止《と》めずに進《すす》む。


 王《おう》として。


 伊都国《いとこく》との未来《みらい》へ向《む》かうために。


 ただ一人《ひとり》の心《こころ》を、置《お》き去《ざ》りにしたまま。



 ――アサ。


 呼《よ》びたい名前《なまえ》を、胸《むね》の奥《おく》だけで呼《よ》ぶ。


 もう二度《にど》と。


 口《くち》にしてはいけない名前《なまえ》として。

     


 空《そら》を見上《みあ》げる。


 雲《くも》の向《む》こうで、夕日《ゆうひ》が沈《しず》みかけていた。


 まるで何《なに》かの終《お》わりを告《つ》げるように。


 赤《あか》い光《ひかり》だけが、静《しず》かに宮《みや》を染《そ》めていた。



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