届かない距離
アサが、自分の気持ちを受け入れると決めてから、しばらくして――
それは、はっきりと形になって現れた。
ミナギの態度が変わっていた。
以前は、些細なことでも声をかけてくれた。
目が合えば、何かしら言葉が返ってきた。
だが今は、違う。
(……避けられている)
そのことに気づいた瞬間、胸の奥が強く軋んだ。
どこかで、分かっていた。
いつまでも、このままではいられないことくらい。
相手は王。
国を背負い、人々の未来を選ぶ人。婚姻も、血筋も、国の行く末のためにある。
一方の自分は、何者でもない。
王の隣に立つ資格など、最初からあるはずがなかった。
そう思えば、納得できる。
できるはずだった。
なのに。
(……ミナギが悪い)
そんな理不尽な言いがかりを胸の中で呟いてしまい、アサは思わず小さく笑ってしまう。
目が合えば笑ってくれた。
困れば気づいてくれた。
誰より近くにいて、誰より優しくしてくれた。
そんなふうにされたら。
期待なんて、したくなくてもしてしまう。
『もしかしたら』
『少しくらいは特別なのかもしれない』
『勘違いしても、いいのかな』
そんな思いが、少しずつ胸に積もっていた。
気づけば、それを当たり前のように受け取っていた。
甘えていたのは、自分だった。
逃げないと決めた。
ごまかさないと決めた。
この想いを抱えたまま歩くと、そう決めた。
それなのに。
今、距離を置かれただけで、こんなにも苦しい。
ほんの少し視線が逸れるだけで、言葉がひとつ交わされないだけで、こんなにも遠く感じる。
アサは奥歯を強く噛みしめた。
(……大丈夫)
自分にそう言い聞かせる。
視線を落とさない。
逸らさない。
ただ前を見る。
それだけのことが、ひどく難しかった。
高殿の間は、水を打ったように静かだった。
タヅマをはじめとする重臣たちが整然と並ぶ中、ミナギは座ったまま、わずかに視線を落としている。
その顔に揺れはない。
感情の影も見えない。
静かで、固い表情だった。
少なくとも、外から見ればそうだった。
やがて、低くよく通る声が広間に落ちる。
「伊都国との結びつきは、今後の均衡を保つうえで不可欠である」
短く、迷いのない言葉。
だがその裏には、明確な理由があった。
――狗奴国に、新しい王が立った。
その知らせは、すでに各地に広がっている。
新王の気質も、出方も、いまだ定かではない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
均衡が崩れ始めているということだ。
これまで保たれていた力の釣り合いは、もう同じ形では続かない。
放っておけば、歪みは広がり、やがて衝突になる。
だから先に手を打つ。
その判断が、この一言に込められていた。
「志摩殿との婚姻を、正式に進める」
静かに言葉が落ちる。
――一瞬の沈黙。
次の瞬間、小さなざわめきが広がった。
だが、反対の声はない。
それは感情ではなく、理の流れとして避けられない選択だった。
むしろ、ここまで決まっていなかったことの方が不思議だったのかもしれない。
重臣たちはそれぞれに姿勢を正す。
うなずく者もいる。
沈黙のまま受け入れる者もいる。
タヅマは静かに目を伏せた。
その決断が持つ重さも、代償も、理解しているからこそだった。
ミナギはそれ以上、何も言わない。
説明も、補足もない。
決めるということは、そういうことだった。
高殿には、再び静けさが戻る。
だがその静けさは、さきほどまでとは違っていた。
揺れのない、確定した現実の重さを含んだ静けさだった。




