包囲
夜気を含んだ回廊には、底の見えない冷えが満ちていた。
石の床から立ちのぼる冷気が、衣の裾を静かに撫でていく。人の気配は、もうほとんどない。
灯りだけが等間隔に落とされ、その淡い光が、かえって壁の影を深く沈ませていた。声は闇に吸われ、足音だけが妙にはっきりと響く。
そんな回廊を、二つの影が進んでいた。
並ぶでもなく、離れるでもない。一定の距離を保ちながら歩くのは、ミナギと布留根だった。
互いに視線を交わすことは少ない。だが歩調だけは、不思議と揃っている。
まるで呼吸だけが、静かに重なっているようだった。
やがて、布留根が足を止める。
急に立ち止まったというより、その場の空気に合わせ、自然に歩みを切ったような動きだった。
「志摩を、どう見られた」
飾りも前置きもない。感情を削ぎ落とし、核心だけを差し出すような問いだった。
ミナギは少し遅れて足を止める。視線をわずかに落とし、回廊の影を見るようにしてから、短く答えた。
「――優れた姫だ」
簡潔な言葉。
それだけに、余計な感情を入れない意思が滲んでいた。
布留根は、小さく肩を揺らして笑う。
軽い笑みではない。納得を含んだ、重みのある笑いだった。
「そうであろう」
低く、喉の奥で転がすような声。
そのまま、言葉を重ねていく。
「我が三人の娘のうちでも、あれは別格だ。美貌も、才も、気の回りもな」
誇りを隠さない口調だった。
だが、それは単なる親の自慢ではない。相手がどこまで理解しているかを測るための言葉でもあった。
「――后としては、申し分あるまい」
ほとんど断定に近い言い方。否定を差し込む隙を、最初から塞いでいる。
さらに、もう一歩踏み込む。
「国としても、悪くない話であろう」
その瞬間、細い風が回廊を抜けた。
灯りが小さく揺れ、二人の影が一瞬だけ長く伸びる。そして、また静かに戻った。
沈黙が落ちる。
問い詰めるわけではない。追い込むわけでもない。
ただ静かに周囲を固め、選択肢の形を決めていく。
逃げ道を塞ぐのではなく、最初から、そこしかないと思わせる。
そんな話し方だった。
ミナギは答えない。
肯定も否定もしない。ただ、その場に静かに立っている。
だが、その沈黙は拒絶ではなかった。
むしろ、まだ言葉になっていない思考が、重く沈んでいるようだった。
布留根は、それ以上を求めなかった。
求める必要がないことを、理解している。
盤面は、もう整いつつある。
灯りの下で、二人の影だけが、静かに揺れ続けていた。




