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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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55/137

包囲



 夜気《やき》を含《ふく》んだ回廊《かいろう》には、底《そこ》の見《み》えない冷《ひ》えが満《み》ちていた。


 石《いし》の床《ゆか》から立《た》ちのぼる冷気《れいき》が、衣《ころも》の裾《すそ》を静《しず》かに撫《な》でていく。人《ひと》の気配《けはい》は、もうほとんどない。


 灯《あか》りだけが等間隔《とうかんかく》に落《お》とされ、その淡《あわ》い光《ひかり》が、かえって壁《かべ》の影《かげ》を深《ふか》く沈《しず》ませていた。声《こえ》は闇《やみ》に吸《す》われ、足音《あしおと》だけが妙《みょう》にはっきりと響《ひび》く。


 そんな回廊《かいろう》を、二《ふた》つの影《かげ》が進《すす》んでいた。


 並《なら》ぶでもなく、離《はな》れるでもない。一定《いってい》の距離《きょり》を保《たも》ちながら歩《ある》くのは、ミナギと布留根《ふるね》だった。


 互《たが》いに視線《しせん》を交《か》わすことは少《すく》ない。だが歩調《ほちょう》だけは、不思議《ふしぎ》と揃《そろ》っている。


 まるで呼吸《こきゅう》だけが、静《しず》かに重《かさ》なっているようだった。


 やがて、布留根《ふるね》が足《あし》を止《と》める。


 急《きゅう》に立《た》ち止《ど》まったというより、その場《ば》の空気《くうき》に合《あ》わせ、自然《しぜん》に歩《あゆ》みを切《き》ったような動《うご》きだった。


「志摩《しま》を、どう見《み》られた」


 飾《かざ》りも前置《まえお》きもない。感情《かんじょう》を削《そ》ぎ落《お》とし、核心《かくしん》だけを差《さ》し出《だ》すような問いだった。


 ミナギは少《すこ》し遅《おく》れて足《あし》を止《と》める。視線《しせん》をわずかに落《お》とし、回廊《かいろう》の影《かげ》を見るようにしてから、短《みじか》く答《こた》えた。


「――優《すぐ》れた姫《ひめ》だ」


 簡潔《かんけつ》な言葉《ことば》。


 それだけに、余計《よけい》な感情《かんじょう》を入《い》れない意思《いし》が滲《にじ》んでいた。


 布留根《ふるね》は、小《ちい》さく肩《かた》を揺《ゆ》らして笑《わら》う。


 軽《かる》い笑《え》みではない。納得《なっとく》を含《ふく》んだ、重《おも》みのある笑《わら》いだった。


「そうであろう」


 低《ひく》く、喉《のど》の奥《おく》で転《ころ》がすような声《こえ》。


 そのまま、言葉《ことば》を重《かさ》ねていく。


「我《わ》が三人《さんにん》の娘《むすめ》のうちでも、あれは別格《べっかく》だ。美貌《びぼう》も、才《さい》も、気《き》の回《まわ》りもな」


 誇《ほこ》りを隠《かく》さない口調《くちょう》だった。


 だが、それは単《たん》なる親《おや》の自慢《じまん》ではない。相手《あいて》がどこまで理解《りかい》しているかを測《はか》るための言葉《ことば》でもあった。


「――后《きさき》としては、申《もう》し分《ぶん》あるまい」


 ほとんど断定《だんてい》に近《ちか》い言《い》い方《かた》。否定《ひてい》を差《さ》し込《こ》む隙《すき》を、最初《さいしょ》から塞《ふさ》いでいる。


 さらに、もう一歩《いっぽ》踏《ふ》み込《こ》む。


「国《くに》としても、悪《わる》くない話《はなし》であろう」


 その瞬間《しゅんかん》、細《ほそ》い風《かぜ》が回廊《かいろう》を抜《ぬ》けた。


 灯《あか》りが小《ちい》さく揺《ゆ》れ、二人《ふたり》の影《かげ》が一瞬《いっしゅん》だけ長《なが》く伸《の》びる。そして、また静《しず》かに戻《もど》った。


 沈黙《ちんもく》が落《お》ちる。


 問《と》い詰《つ》めるわけではない。追《お》い込《こ》むわけでもない。


 ただ静《しず》かに周囲《しゅうい》を固《かた》め、選択肢《せんたくし》の形《かたち》を決《き》めていく。


 逃《に》げ道《みち》を塞《ふさ》ぐのではなく、最初《さいしょ》から、そ(・)こ(・)し(・)か(・)な(・)い(・)と思《おも》わせる。


 そんな話《はな》し方《かた》だった。


 ミナギは答《こた》えない。


 肯定《こうてい》も否定《ひてい》もしない。ただ、その場《ば》に静《しず》かに立《た》っている。


 だが、その沈黙《ちんもく》は拒絶《きょぜつ》ではなかった。


 むしろ、まだ言葉《ことば》になっていない思考《しこう》が、重《おも》く沈《しず》んでいるようだった。


 布留根《ふるね》は、それ以上《いじょう》を求《もと》めなかった。


 求《もと》める必要《ひつよう》がないことを、理解《りかい》している。


 盤面《ばんめん》は、もう整《ととの》いつつある。


 灯《あか》りの下《した》で、二人《ふたり》の影《かげ》だけが、静《しず》かに揺《ゆ》れ続《つづ》けていた。



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