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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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志摩



 投馬国《とうまこく》の宮《みや》の大広間《おおひろま》に、重々(おもおも)しい足音《あしおと》が響《ひび》く。


 やがて、堂々(どうどう)たる男《おとこ》の姿《すがた》が現《あらわ》れた。


 年《とし》の頃《ころ》は壮年《そうねん》。


 目元《めもと》には、王《おう》としての威厳《いげん》が刻《きざ》まれている。


 だが、その口元《くちもと》には、人《ひと》を警戒《けいかい》させぬ柔《やわ》らかな笑《え》みが浮《う》かんでいた。


 威厳《いげん》と親《した》しみやすさ。


 一見《いっけん》すれば相反《あいはん》するふたつの気質《きしつ》を、その男《おとこ》は不思議《ふしぎ》なほど自然《しぜん》に併《あわ》せ持《も》っていた。


 軽《かろ》やかに見《み》える。


 だが――


 その奥《おく》には、容易《ようい》には底《そこ》の見《み》えぬものがあった。


 その一歩《いっぽ》後《うし》ろに、一人《ひとり》の姫《ひめ》が控《ひか》えていた。


 男《おとこ》とは対照的《たいしょうてき》だった。


 足音《あしおと》さえ、ほとんど聞《き》こえない。


 静《しず》かに歩《あゆ》み、静《しず》かに立《た》つ。


 それでも、その姿《すがた》が広間《ひろま》へ入《はい》った瞬間《しゅんかん》――


 そこにいる者《もの》たちの視線《しせん》が、自然《しぜん》と集《あつ》まった。


 たおやかな面差《おもざ》し。


 すっと通《とお》った鼻筋《はなすじ》。


 艶《つや》やかな黒髪《くろかみ》は、光《ひかり》を受《う》けるたび、濡《ぬ》れたような艶《つや》を返《かえ》している。


 白磁《はくじ》を思《おも》わせる肌《はだ》には、頬《ほお》にだけ淡《あわ》い血色《けっしょく》が差《さ》していた。


 薄桃色《うすももいろ》の衣《ころも》が、歩《ある》くたびにかすかに揺《ゆ》れる。


 袖《そで》の端《はし》が床《ゆか》を撫《な》で、薄《うす》い絹《きぬ》が光《ひかり》を柔《やわ》らかく返《かえ》した。


 華《はな》やかだった。


 だが、それは。


 春《はる》の山《やま》に、誰《だれ》に見《み》せるでもなく咲《さ》く山桜《やまざくら》のような――


 静《しず》かな華《はな》やかさだった。



 傍《かたわ》らに控《ひか》える侍従《じじゅう》が声高《こえたか》らかに告《つ》げる。


「伊都国王《いとこくおう》、布留根《ふるね》様《さま》――並《なら》びに、姫君《ひめぎみ》、志摩《しま》様《さま》にございます」



 布留根《ふるね》。


 その名《な》が広間《ひろま》に落《お》ちる。



 伊都国《いとこく》――


 海《うみ》を押《お》さえ、諸国《しょこく》との交易《こうえき》を握《にぎ》る国《くに》。


 その王《おう》が、今《いま》、目《め》の前《まえ》にいる。


 同時《どうじ》に、姫《ひめ》――志摩《しま》もまた、一歩《いっぽ》進《すす》み出《で》て、ゆるやかに頭《こうべ》を下《さ》げた。



 ミナギが静《しず》かに前《まえ》に出《で》る。


「投馬国王《とうまこくおう》、ミナギだ」


 広間《ひろま》に響《ひび》く声《こえ》は深《ふか》く澄《す》んでいて、瞬間《しゅんかん》に空気《くうき》が張《は》りつめる。


 その声《こえ》に、志摩《しま》の視線《しせん》がわずかに上《あ》がる。


 そして――


 初《はじ》めて、正面《しょうめん》からミナギを捉《とら》える。



 若《わか》い。


 まず、そう思《おも》った。


 父《ちち》から聞《き》いていたよりも、ずっと若《わか》い。


 けれど、その若《わか》さに似合《にあ》わぬ静《しず》けさがあった。


 鋭《するど》い眼差《まなざ》し。


 だが、その奥《おく》には荒《あ》れ狂《くる》うような激《はげ》しさではなく、深《ふか》い水《みず》のような落《お》ち着《つ》きがある。



 ――この方《かた》が。


 胸《むね》の奥《おく》が、どくん、と鳴《な》った。


 志摩《しま》は、自分《じぶん》でも驚《おどろ》いた。


 政略《せいりゃく》のための縁談《えんだん》だ。


 父《ちち》に連《つ》れられて、この国《くに》へ来《き》た。


 相手《あいて》がどのような男《おとこ》であろうと、自分《じぶん》の役目《やくめ》は理解《りかい》している。


 そう思《おも》っていた。


 なのに――


 ほんの一目《ひとめ》で、心《こころ》が揺《ゆ》れた。


 思《おも》わず息《いき》を詰《つ》める。


 ほんの一瞬《いっしゅん》だけ。


 それでも、その一瞬《いっしゅん》は、志摩《しま》には長《なが》く感《かん》じられた。


 やがて、はっと我《われ》に返《かえ》り、志摩《しま》は静《しず》かに視線《しせん》を伏《ふ》せる。


 だが、一度《いちど》乱《みだ》れた鼓動《こどう》は、静《しず》かには戻《もど》らなかった。



「遠路《えんろ》遥々(はるばる)、よくぞ参《まい》られた」


 ミナギの落《お》ち着《つ》いた歓迎《かんげい》の辞《じ》に、布留根《ふるね》は朗《ほが》らかに笑《え》みを浮《う》かべる。


「なに、海《うみ》を渡《わた》るのも久方《ひさかた》ぶりでしてな」


 冗談《じょうだん》めいた口調《くちょう》だった。


 肩《かた》の力《ちから》が抜《ぬ》けている。


 まるで旧知《きゅうち》の友《とも》を訪《たず》ねてきたかのような気安《きやす》ささえあった。


「よい気分転換《きぶんてんかん》になりました」


 そう言《い》って、布留根《ふるね》は笑《わら》う。


 だが――


 その目《め》は笑《わら》っていなかった。


 ミナギは、それを見逃《みのが》さなかった。


「それは何《なに》より――」


 穏《おだ》やかに返《かえ》す。


「だが、此度《こたび》は、ただの訪問《ほうもん》ではありますまい」


 布留根《ふるね》の笑《え》みが、ほんのわずかに深《ふか》くなった。


「ほう――」


 目《め》を細《ほそ》める。


「若《わか》き王《おう》は、話《はなし》が早《はや》い」


 その一言《ひとこと》で、広間《ひろま》の空気《くうき》が変《か》わった。


 ミナギは何《なに》も言《い》わない。


 布留根《ふるね》も笑《わら》っている。


 だが――


 二人《ふたり》の間《あいだ》には、見《み》えない刃《やいば》のような緊張《きんちょう》が生《しょう》じていた。


「友誼《ゆうぎ》を確《たし》かめるのは当然《とうぜん》として――」


 布留根《ふるね》はちらと志摩《しま》へ視線《しせん》を送《おく》り、すぐにミナギへ戻《もど》した。


「娘《むすめ》の行《ゆ》く末《すえ》についても、頃合《ころあ》いかと考《かんが》えましてな」


 志摩《しま》は父《ちち》の言葉《ことば》に、ほんのわずかに呼吸《こきゅう》を整《ととの》える。


 その表情《ひょうじょう》は静《しず》かだが、袖《そで》の内《うち》で指先《ゆびさき》がかすかに寄《よ》せられている。


「志摩殿《しまどの》ほどの方《かた》であれば、望《のぞ》む縁《えにし》も多《おお》かろう」


 婚姻《こんいん》を絡《から》めた政治《せいじ》の布石《ふせき》。


 あからさまな揺《ゆ》さぶりに対《たい》し、ミナギは微動《びどう》だにせず、ただ淡々《たんたん》と志摩《しま》の佇《たたず》まいを一瞥《いちべつ》した。


 すぐに視線《しせん》を布留根《ふるね》へ戻《もど》す。



「……ありがたいことに。だが――」


 その言葉《ことば》の続《つづ》きを、布留根《ふるね》はあえて濁《にご》す。


「我《わ》が伊都国《いとこく》の海《うみ》を預《あず》けるに足《た》る器《うつわ》となれば、そうはおらぬ」


 含《ふく》みを持《も》たせるように、肩《かた》をすくめた。


 広間《ひろま》を満《み》たす、濃密《のうみつ》な沈黙《ちんもく》。


 やがて布留根《ふるね》が、わずかに笑《わら》った。


「――とはいえ、こうして顔《かお》を合《あ》わせるのが何《なに》よりでしょう」


 場《ば》の緊張《きんちょう》を緩《ゆる》めるような物言《ものい》い。


「言葉《ことば》は後《あと》でも交《か》わせますゆえ」


 しかし、その実《じつ》、主導権《しゅどうけん》を手放《てばな》してはいない。


 ミナギもまた、小《ちい》さく頷《うなず》く。


「然《しか》り。今宵《こよい》は、まずは宴《うたげ》を」


 二人《ふたり》の王《おう》は、互《たが》いに微笑《ほほえ》みを交《か》わす。



 宴《うたげ》が始《はじ》まる。


 酒《さけ》が運《はこ》ばれ、料理《りょうり》が並《なら》べられれば、広間《ひろま》にはやがて笑《わら》い声《ごえ》も響《ひび》くだろう。


 けれど――


 その宴《うたげ》が始《はじ》まる前《まえ》から、すでに交渉《こうしょう》は始《はじ》まっていた。


 三人《さんにん》の思惑《おもわく》が交《まじ》わるこの宴《うたげ》は――


 やがて、投馬国《とうまこく》の未来《みらい》を左右《さゆう》する縁《えにし》の始《はじ》まりとなる。




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