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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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アオバ



 練武場《れんぶじょう》の空気《くうき》は、昼《ひる》の熱《ねつ》を含《ふく》んで重《おも》たかった。


 隣接《りんせつ》する庭《にわ》では、若《わか》い兵《へい》たちが思《おも》い思《おも》いに体《からだ》を休《やす》めている。汗《あせ》と土《つち》の匂《にお》いが混《ま》ざる中《なか》、モモジが大《おお》きく息《いき》を吐《は》いた。


 丸《まる》い体《からだ》をどさりと横《よこ》たえ、空《そら》を仰《あお》ぐ。


「――あーあ。彼女《かのじょ》ほしい」


 唐突《とうとつ》だった。


 隣《となり》で水《みず》をあおっていたアオバが、ぴたりと手《て》を止《と》める。


 まだ少年《しょうねん》の面影《おもかげ》を残《のこ》しながらも、無駄《むだ》のない体《からだ》つき。精悍《せいかん》な顔《かお》が、じろりと横《よこ》を向《む》いた。


「……またそれかよ」


「いやだってさぁ」


 モモジはじとりと、練武場《れんぶじょう》の端《はし》に視線《しせん》を向《む》ける。


 ――そこにいる一人《ひとり》を、恨《うら》めしげに睨《にら》みながら。


 そこではヒシンが、若《わか》い侍女《じじょ》たちに囲《かこ》まれ、何《なに》やら楽《たの》しげに話《はな》していた。


 背《せ》が高《たか》く、整《ととの》った顔立《かおだ》ち。涼《すず》しげな目元《めもと》に、柔《やわ》らかな笑《え》み。横《よこ》にいる若《わか》い侍女《じじょ》たちは、揃《そろ》って頬《ほお》を染《そ》めている。


「見《み》ろよ、あれ……」


 恨《うら》めしげな声《こえ》。


 モモジの指先《ゆびさき》が、ぴしりとヒシンを指《さ》す。


「何《なん》であいつばっかりなんだよ……」


 ぐぬぬ、と歯《は》を食《く》いしばる。


 アオバは一瞥《いちべつ》だけして、すぐに視線《しせん》を戻《もど》した。


「顔《かお》がいいからだろ」


 水《みず》を一口《ひとくち》飲《の》み、にべもなく答《こた》える。


「身《み》も蓋《ふた》もねぇことを言《い》うな!」


 モモジが叫《さけ》ぶ。


「いや、そこはもう少しこう……手心《てごころ》ってもんがだな!」


 勢《いきお》いよく起《お》き上《あ》がり、アオバへ身《み》を乗《の》り出《だ》す。


 少《すこ》し離《はな》れたところで、チガヤが静《しず》かに腰《こし》を下《お》ろした。


 小柄《こがら》で、アオバたちより幾分《いくぶん》幼《おさな》く見《み》える。だが、その瞳《ひとみ》は、やけに落《お》ち着《つ》いていた。


「――あと背《せ》も高《たか》い」 


 ぽつりと補足《ほそく》する。


「話《はなし》が面白《おもしろ》い、距離《きょり》の取《と》り方《かた》がうまい、押《お》しすぎないし、引《ひ》きすぎない」


 容赦《ようしゃ》なく、淡々(たんたん)と続《つづ》ける。


 モモジの顔《かお》が、じわじわと歪《ゆが》む。


「……ぐぬぬ」


 絞《しぼ》り出《だ》すような声《こえ》。


「――モモジには、ないものだね」


 さらり、と言《い》った。


「はぁ!?」


 即座《そくざ》にキレた。


「お前《まえ》だってチビすけじゃねーか!」


 モモジが食《く》ってかかる。


 チガヤは一度《いちど》だけ視線《しせん》を向《む》け、すぐに外《はず》した。


「別《べつ》に俺《おれ》は、彼女《かのじょ》とか興味《きょうみ》ないし」


 温度《おんど》のない声《こえ》。


「ははーん……」


 モモジがにやりと口元《くちもと》を歪《ゆが》める。


「お子《こ》ちゃまには、まだ早《はえ》ぇか?」


 わざとらしく肩《かた》をすくめ、からかうように身《み》を乗《の》り出《だ》す。


「……だからモモジはモテない」


 淡々(たんたん)と、斬《き》る。


「はぁ!?」


 再《ふたた》びキレた。


 アオバは呆《あき》れたように息《いき》を吐《は》き、水《みず》を一口《ひとくち》あおる。


 モモジは再《ふたた》びヒシンの方《ほう》を見る。


 ちょうど侍女《じじょ》から何《なに》か受《う》け取《と》って、軽《かる》く礼《れい》を言《い》っているところだった。


 あまりにも、様《さま》になっている。


「……くそ、余裕《よゆう》そうにしやがって」


 悔《くや》しそうにぼやく。


 ふと、思《おも》い出《だ》したようにアオバを見る。


「そういえば、お前《まえ》はどうなんだよ」


「何《なに》が」


「何《なに》って――……例《れい》のア(・)サ(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)とは」


 アオバは飲《の》んでいた水《みず》を盛大《せいだい》に吹《ふ》いた。


「え、何《なに》? 誰《だれ》?」


 チガヤが首《くび》を傾《かし》げる。


 木陰《こかげ》の光《ひかり》がその目《め》に淡《あわ》く差《さ》し、好奇心《こうきしん》だけがはっきりと浮《う》いていた。


「最近《さいきん》ちょっと話題《わだい》になってる子《こ》だよ。結構《けっこう》可愛《かわい》いんだこれが」


 モモジはにやにやと口元《くちもと》を緩《ゆる》める。


「それでこいつさ、この間《あいだ》の見回《みまわ》りの時《とき》に――」


「黙《だま》れ、モモジ」


 口元《くちもと》を手《て》の甲《こう》で拭《ぬぐ》いながら、低《ひく》い声《こえ》で睨《にら》むアオバ。


 だが耳《みみ》の先《さき》まで赤《あか》い。


「急《きゅう》にそわそわしだしたと思《おも》ったら、いきなり駆《か》け出《だ》してよ」


 モモジは構《かま》わず続《つづ》ける。


 身振《みぶ》りまでつけて、やけに楽《たの》しそうだ。


「井戸端《いどばた》で水《みず》汲《く》んでるその子《こ》のとこ行《い》ってさ、手伝《てつだ》うって言《い》い出《だ》して――」


「だから違《ちが》うって」


 アオバが食《く》い気味《ぎみ》に割《わ》り込《こ》む。


「前《まえ》に少《すこ》し助《たす》けてもらったことがあって……返《かえ》せたらと思《おも》っただけだ」


 一気《いっき》に言《い》い切《き》る。


 風《かぜ》が抜《ぬ》ける。


 木《こ》の葉《は》がかすかに鳴《な》った。


「なるほどな」


 モモジがにやりと笑《わら》う。


「その時《とき》に一目惚《ひとめぼ》れってわけだ」


「そんなんじゃねえって」


 即答《そくとう》。


 だが視線《しせん》が泳《およ》ぐ。


「でも顔《かお》真《ま》っ赤《か》だったぞ、お前《まえ》。わかりやすい奴《やつ》」


「うるせえ」


 アオバは吐《は》き捨《す》てる。


「アサ……アサ……」


 チガヤが顎《あご》に手《て》を当《あ》て、小《ちい》さく繰《く》り返《かえ》した。


 視線《しせん》はどこか遠《とお》く、記憶《きおく》を探《さぐ》るように揺《ゆ》れている。


「お? 何《なん》だよ。お前《まえ》も気《き》になってんの?」


 モモジがにやりと口元《くちもと》を歪《ゆが》め、身《み》を乗《の》り出《だ》す。


「お子ちゃまが急《きゅう》に色気《いろけ》づいたか?」


 チガヤは一度《いちど》だけ視線《しせん》を向《む》ける。


 冷《ひ》えた目《め》で、まっすぐに。


 モモジの笑《え》みが、わずかに引《ひ》きつる。


「あ」


 小《ちい》さく、声《こえ》が落《お》ちる。


「思《おも》い出《だ》した」


 淡々(たんたん)とした声《こえ》に戻《もど》る。


「ミナギ様《さま》が目《め》をかけてるって噂《うわさ》の子《こ》だ」


 さらり、と言《い》った。


 一瞬《いっしゅん》、空気《くうき》が止《と》まる。


 アオバの手《て》がぴくりと揺《ゆ》れた。


 持《も》っていた水《みず》が、わずかに波打《なみう》つ。


 視線《しせん》が、落《お》ちる。


 ――ミナギ。


 その名《な》が、やけに重《おも》く響《ひび》いた。


 チガヤは最年少《さいねんしょう》だ。


 小柄《こがら》で、まだ幼《おさな》さの残《のこ》る顔立《かおだ》ちをしている。そのせいか、侍女《じじょ》たち――とくに年嵩《としかさ》の女《おんな》たちにやたらと可愛《かわい》がられていた。


 食料《しょくりょう》を分《わ》けてもらい、世間話《せけんばなし》を聞《き》き、気《き》づけば輪《わ》の中《なか》にいる。


 ヒシンとは違《ちが》う方向《ほうこう》にモテていた。


「なんでも、ミナギ様《さま》直々(じきじき)に、この投馬国《とうまこく》に連《つ》れてきたとか」


 ――そして、その分《ぶん》だけ、妙《みょう》に情報通《じょうほうつう》であった。


「庭《にわ》で、二人《ふたり》で話《はな》してるの、何度《なんど》か見《み》たって」


 静《しず》かな声《こえ》。


「結構《けっこう》、親《した》しそうに」


 ――その言葉《ことば》が落《お》ちた瞬間《しゅんかん》。


 アオバの中《なか》で、何《なに》かが冷《ひ》えた。


 血《ち》の気《け》が、すっと引《ひ》いていく。


 あの時《とき》の光景《こうけい》が、鮮明《せんめい》に蘇《よみがえ》る。


 井戸端《いどばた》でアサの水汲《みずく》みを手伝《てつだ》っていた、自分《じぶん》。


 そこへ、気配《けはい》もなく現《あらわ》れたミナギ。


 静《しず》かで、澄《す》んでいて。


 それなのに、逃《に》げ場《ば》のない圧《あつ》があった。


 視線《しせん》ひとつで、空気《くうき》が変《か》わる。


 あれは――


 明《あき》らかに、牽制《けんせい》だった。


「え?アサちゃんって、そ(・)う(・)なの?」


 モモジが目《め》を丸《まる》くする。


「確《たし》かに可愛《かわい》いけどさ、そういう感《かん》じには見《み》えないっていうか」


「ミナギ様《さま》って全然《ぜんぜん》女遊《おんなあそ》びしないって聞《き》いてたけど、結構《けっこう》、こう……素朴《そぼく》な感《かん》じが好《す》きなのな」


「違《ちが》う」


 アオバが即座《そくざ》に切《き》った。


 視線《しせん》は地面《じめん》のまま、強《つよ》くもないのに妙《みょう》に重《おも》い声《こえ》。


「そういうのじゃない」


 ――あれは、そういうものではない。


 胸《むね》の奥《おく》に、あの時《とき》の感覚《かんかく》がよみがえる。


 空気《くうき》が一段《いちだん》、冷《ひ》えたあの瞬間《しゅんかん》。


 俯《うつむ》いたまま、アオバは息《いき》を殺《ころ》した。


 チガヤがわずかに目《め》を細《ほそ》める。


 何《なに》かを測《はか》るように、黙《だま》っている。


「まあ、なんつーか……」


 モモジが肩《かた》をすくめる。


「お前《まえ》の手《て》に負《お》える子《こ》じゃない、ってことだな。残念《ざんねん》ながら」


 ぽん、と肩《かた》に手《て》を置《お》く。


 アオバは、ぐっと堪《こら》えるように息《いき》を飲《の》んだ。


 水《みず》を一口《ひとくち》で飲《の》み干《ほ》し、空《から》になった器《うつわ》を見《み》つめる。


 視線《しせん》の奥《おく》が、わずかに揺《ゆ》れた。



 ――アサと初《はじ》めて出会《であ》った時《とき》のことを思《おも》い出《だ》す。


 宮仕《みやづか》えの兵《へい》になったばかりの頃《ころ》。


 まだ力《ちから》も体力《たいりょく》も足《た》りず、訓練《くんれん》に食《く》らいつくだけで精一杯《せいいっぱい》だった。


 何度《なんど》も、心《こころ》が折《お》れかけていた。


 悔《くや》しさのまま、夜《よる》の練武場《れんぶじょう》で一人《ひとり》槍《やり》を振《ふ》っていた。


 息《いき》が上《あ》がり、膝《ひざ》をついた場所《ばしょ》は――ちょうど今《いま》と同《おな》じ、この庭《にわ》の隅《すみ》だった。


 荒《あら》い呼吸《こきゅう》を整《ととの》えていた、その時《とき》。


「どうぞ」


 差《さ》し出《だ》された水《みず》の器《うつわ》。


 顔《かお》を上《あ》げると、アサが立《た》っていた。


 何《なん》でもないように、ただそこにいて。


 花《はな》が綻《ほころ》ぶように、やわらかく笑《わら》っていた。


 ――それだけだった。


 我《われ》ながら単純《たんじゅん》だとは思《おも》うが。


 モモジの言《い》う通《とお》り、一目惚《ひとめぼ》れだったのだろう。



 それからだった。


 気《き》づくと、目《め》で追《お》っていた。


 侍女《じじょ》として働《はたら》くアサの姿《すがた》は、いつも忙《せわ》しなく動《うご》いている。


 井戸端《いどばた》で水《みず》を汲《く》む姿《すがた》。


 掃除《そうじ》の最中《さいちゅう》に先輩侍女《せんぱいじじょ》たちに呼《よ》ばれて、小走《こばし》りに向《む》かう姿《すがた》。


 手《て》が止《と》まることなく、淡々(たんたん)と仕事《しごと》をこなしていく。


 走《はし》り回《まわ》って。


 息《いき》を切《き》らして。


 それでも――


 どこか明《あか》るい日差《ひざ》しのようなままだった。


 そのたびに、目《め》が離《はな》せなかった。


 風《かぜ》が抜《ぬ》ける。


 庭《にわ》の木々《きぎ》が、さわさわと揺《ゆ》れた。


 遠《とお》くでヒシンの笑《わら》い声《ごえ》がかすかに響《ひび》く。


 モモジはそれを見《み》て、もう一度《いちど》だけ深《ふか》くため息《いき》をつく。


「……やっぱ彼女《かのじょ》ほしいわ」


「まず顔《かお》から変《か》えてくれば」


「無理《むり》言《い》うな!」


 チガヤとモモジのやり取《と》りを横目《よこめ》に、アオバは小《ちい》さく息《いき》をついた。


 胸《むね》の奥《おく》に、残《のこ》っているのは、悔《くや》しさとも、納得《なっとく》ともつかないもの。


 はっきりと形《かたち》にならないまま、沈《しず》んでいく。


 それを振《ふ》り払《はら》うように、顔《かお》を上《あ》げた。


「……休憩《きゅうけい》終《お》わるぞ」


 短《みじか》く言《い》う。


 その声《こえ》は、もう揺《ゆ》れていなかった。


 ――ただ、完全《かんぜん》に晴《は》れたわけでもなかった。




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