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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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書庫にて



 薄暗《うすぐら》い灯《あか》りの中《なか》は、乾《かわ》いた木《き》の香《かお》りが満《み》ちていた。


 長《なが》い年月《ねんげつ》を経《へ》た柱《はしら》や梁《はり》には、黒《くろ》く磨《みが》かれたような艶《つや》があり、近《ちか》づけば樹脂《じゅし》と煙《けむり》の匂《にお》いが微《かす》かに残《のこ》る。


 その匂《にお》いに混《ま》じって、麻布《あさぬの》や鹿皮《しかがわ》、竹《たけ》を乾《かわ》かした独特《どくとく》の香《かお》りが漂《ただよ》っていた。


 アサは、壁沿《かべぞ》いに並《なら》ぶ、丸太《まるた》と横木《よこぎ》を組《く》んだ簡素《かんそ》な棚《たな》の前《まえ》に腰《こし》を下《お》ろしていた。



 この場所《ばしょ》に入《はい》れる者《もの》は、宮中《きゅうちゅう》でも限《かぎ》られている。


 アサの読《よ》み書《か》きの力《ちから》は、日《ひ》に日《ひ》に上達《じょうたつ》していた。


 まだ迷《まよ》うことはある。  


 それでも、簡単《かんたん》な書《か》き物《もの》なら扱《あつか》えるようになってきている。


 最近《さいきん》では、タヅマの仕事《しごと》も少《すこ》し任《まか》されるようになっていた。



 今《いま》は、書庫《しょこ》の整理《せいり》を手伝《てつだ》っている。


 棚《たな》の上《うえ》には、巻《ま》かれた漉麻《すきあさ》の紙《かみ》や、竹箱《たけばこ》に収《おさ》められた文書《ぶんしょ》、木簡《もっかん》が整然《せいぜん》と並《なら》んでいた。


 魏《ぎ》から届《とど》いた外交文書《がいこうぶんしょ》。


 近隣《きんりん》の国々(くにぐに)との交易《こうえき》や、交渉《こうしょう》の記録《きろく》――


 どれも貴重《きちょう》なものばかりで、触《ふ》れるだけで重《おも》みが伝《つた》わってくるようだった。 



 アサは一枚《いちまい》ずつ、慎重《しんちょう》に確《たし》かめていく。


 墨《すみ》のにじみ。


 繊維《せんい》の裂《さ》け。


 刻印《こくいん》の細《こま》かな凹凸《おうとつ》。


 隣《となり》では、タヅマも巻物《まきもの》を広《ひろ》げていた。


 指先《ゆびさき》で墨《すみ》のかすれや紙《かみ》の傷《いた》みを確《たし》かめながら、静《しず》かに指示《しじ》を出《だ》していく。


「この巻物《まきもの》は巻《ま》き直《なお》して、こちらの箱《はこ》に入《い》れてくだされ」


 落《お》ち着《つ》いた低《ひく》い声《こえ》。


 アサは頷《うなず》き、慎重《しんちょう》に巻物《まきもの》を巻《ま》き直《なお》した。



 次《つぎ》に二人《ふたり》が手《て》をつけたのは、祭祀《さいし》に関《かん》する記録《きろく》だった。


 だが、古《ふる》い麻紙《あさがみ》に書《か》かれた文字《もじ》は、長《なが》い年月《ねんげつ》に耐《た》えきれなかったのだろう。


 文字《もじ》は滲《にじ》み、ほとんど読《よ》めなくなっていた。



 ――その時《とき》。


 アサの目《め》が、ひとつの巻物《まきもの》に引《ひ》き寄《よ》せられる。


 それは、鹿皮《しかがわ》で作《つく》られた巻物《まきもの》だった。


 表面《ひょうめん》に浮《う》かぶ印《しるし》を見《み》た瞬間《しゅんかん》、心臓《しんぞう》が強《つよ》く跳《は》ねた。


 その印《しるし》には、見覚《みおぼ》えがあった。


 アサの耳飾《みみかざ》りに刻《きざ》まれているもの。


 そして、村外《むらはず》れの大岩《おおいわ》に刻《きざ》まれていたものと、同《おな》じ印《しるし》だった。


 思《おも》わず、息《いき》をのむ。


「──タヅマ様《さま》……これは……」


 声《こえ》が震《ふる》える。


 うまく言葉《ことば》にならない。


 タヅマは静《しず》かに巻物《まきもの》を覗《のぞ》き込《こ》み、鋭《するど》い目《め》で印《しるし》を見《み》つめた。


「……はるか昔《むかし》に使《つか》われていた文字《もじ》ですな。祭祀《さいし》で使《つか》われる言葉《ことば》です」


 低《ひく》い声《こえ》が、静《しず》かな保管庫《ほかんこ》に落《お》ちる。


「私《わたし》も、すべてを読《よ》めるわけではございませぬが……」


 ほとんどの文字《もじ》は判別《はんべつ》できない。


 だが、巻物《まきもの》の中央《ちゅうおう》にだけ、ひとつの文字《もじ》がはっきりと残《のこ》っていた。


 タヅマが、その名《な》を静《しず》かに読《よ》み上《あ》げる。



「――カグツチ」



 その響《ひび》きは、妙《みょう》に重《おも》かった。


 アサは息《いき》を呑《の》み、小《ちい》さくその名《な》を繰《く》り返《かえ》す。  


「カグツチ……」


 その瞬間《しゅんかん》だった。


 胸元《むなもと》の赤《あか》い瑪瑙《めのう》が、どくりと脈打《みゃくう》った気《き》がした。


 まるで血《ち》の流《なが》れに呼応《こおう》するような、強《つよ》い鼓動《こどう》。


 アサは思《おも》わず胸《むね》を押《お》さえ、目《め》を見開《みひら》く。


「どうかされましたかな?」


 タヅマの落《お》ち着《つ》いた声《こえ》が響《ひび》く。 


 アサは、はっと我《われ》に返《かえ》った。


 首《くび》から下《さ》げた石《いし》を、ゆっくり取《と》り出《だ》す。


 凝視《ぎょうし》する。


 指先《ゆびさき》に伝《つた》わる冷《つめ》たさ。


 いつもと変《か》わらぬ重《おも》み。


 ──気《き》のせい……?


 だが、先《さき》ほどの感覚《かんかく》はあまりにもはっきりしていた。


 まるで石《いし》そのものが、生《い》きているかのようだった。

 


 タヅマは無言《むごん》のまま、その石《いし》を見《み》つめている。


 やがて、低《ひく》く呟《つぶや》いた。


「これは、珍《めずら》しい……」


 そういえば。  


 普段《ふだん》は衣《ころも》の下《した》に隠《かく》しているため、タヅマに見《み》せるのは初《はじ》めてだった。


「赤《あか》き石《いし》は、ただの飾《かざ》りではございませぬ」


 視線《しせん》を石《いし》に向《む》けたまま、タヅマは静《しず》かに続《つづ》ける。


「血《ち》の色《いろ》に通《つう》じるものとされ、命《いのち》を呼《よ》び、また鎮《しず》める力《ちから》を持《も》つと信《しん》じられております」 


 ほんの少《すこ》し、間《ま》を置《お》く。


「祭祀《さいし》では、境《さかい》を越《こ》える時《とき》に使《つか》われるのです」


「境《さかい》……?」


「人《ひと》の在《あ》る場所《ばしょ》と、神《かみ》の坐《いま》す場所《ばしょ》。その狭間《はざま》に立《た》つ際《さい》ですな」 


 低《ひく》い声《こえ》が、静《しず》かに響《ひび》く。


「ゆえに、選《えら》ばれる石《いし》とされております。誰《だれ》でも持《も》てるものではございませぬ」


 タヅマの目《め》が、わずかに鋭《するど》さを帯《お》びた。


「それを、一体《いったい》どこで……?」


 問《と》われて、アサは俯《うつむ》く。


 そして静《しず》かに口《くち》を開《ひら》いた。 


「……亡《な》くなった母《はは》から、譲《ゆず》り受《う》けたものです」


 声《こえ》がわずかに揺《ゆ》れる。


「母《はは》が、どうやってこれを手《て》にしたのかは……私《わたし》も知《し》りません――」


 そこには、消《き》えきらない戸惑《とまど》いが残《のこ》っていた。


 タヅマは「ふむ……」と低《ひく》く応《こた》える。


 しばらく考《かんが》え込《こ》むように沈黙《ちんもく》したあと、静《しず》かに声《こえ》を落《お》とした。


「……いずれにせよ、あまり人目《ひとめ》に触《ふ》れさせぬ方《ほう》がよろしいでしょうな」 


 その言葉《ことば》には、静《しず》かな重《おも》みがあった。


「強《つよ》い力《ちから》は、時《とき》に余計《よけい》な争《あらそ》いを呼《よ》びますゆえ」


 アサは小《ちい》さく喉《のど》を鳴《な》らした。


 慌《あわ》てて石《いし》を胸元《むなもと》へ戻《もど》し、隠《かく》すように握《にぎ》り込《こ》む。


 冷《つめ》たい感触《かんしょく》が肌《はだ》に触《ふ》れ、少《すこ》しだけ気持《きも》ちが落《お》ち着《つ》いた。 


 けれど。


 胸《むね》の奥《おく》に広《ひろ》がるざわめきだけは、消《き》えずに残《のこ》り続《つづ》けていた。




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