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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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余熱



 最近《さいきん》、アサと向《む》き合《あ》うと、妙《みょう》に落《お》ち着《つ》かない。


 理由《りゆう》は、分《わ》かっている。 


 ――視線《しせん》だ。  



 自分《じぶん》に向けられる目線《めせん》には、とうに慣《な》れていた。


 欲望《よくぼう》も。  


 打算《ださん》も。  


 媚《こ》びも――


 そのどれも、見《み》ればすぐに判別《はんべつ》がつく。



 アサの目《め》には以前《いぜん》と変《か》わらない、揺《ゆ》るぎない親愛《しんあい》がある。


 信《しん》じきっている、まっすぐな光《ひかり》。


 それはそのままに。


 そこに、もうひとつ。


 微《かす》かに、だが確《たし》かに――熱《ねつ》が混《ま》じっている。


 言葉《ことば》にはならない。


 だが、隠《かく》しきれてもいない。


 ふとした瞬間《しゅんかん》にだけ滲《にじ》む、柔《やわ》らかな熱。


 おそらく、本人《ほんにん》に自覚《じかく》はない。


 それが、視線《しせん》に乗《の》る。 



 ある日《ひ》の朝《あさ》。


 二人《ふたり》で散歩《さんぽ》の途中《とちゅう》、風《かぜ》に煽《あお》られた落《お》ち葉《ば》が、ひらりとアサの頭《あたま》に落《お》ちた。


 ミナギは何気《なにげ》なく手《て》を伸《の》ばす。


 取《と》ってやる――ただ、それだけの動作《どうさ》。


 だが。


 指先《ゆびさき》が、わずかに耳《みみ》を掠《かす》めた。


「ひゃっ……」


 小《ちい》さく、跳《は》ねるような声《こえ》。


 アサは咄嗟《とっさ》に耳《みみ》を押《お》さえ、顔《かお》を真《ま》っ赤《か》にして視線《しせん》を泳《およ》がせる。


 落《お》ち着《つ》かない仕草《しぐさ》。


 その反応《はんのう》に、ミナギの手《て》が止《と》まった。


(……これは……)


 理解《りかい》してしまう。


 気《き》づいてしまった以上《いじょう》、もう無視《むし》はできない。    


 そして同時《どうじ》に、もうひとつ。


 それを、不快《ふかい》だと思《おも》わない自分《じぶん》に気《き》づく。


 むしろ――


 その事実《じじつ》に、わずかに息《いき》が詰《つ》まる。


(……何《なに》を考《かんが》えている)


 思考《しこう》を押《お》し戻《もど》そうとする。


 だが、完全《かんぜん》には抑《おさ》えきれない。


 視線《しせん》が交《まじ》わるたび、心《こころ》がわずかに揺《ゆ》れる。


 以前《いぜん》にはなかった感覚《かんかく》。



 変《か》わったのは、視線《しせん》だけではない。


 アサ自身《じしん》も、変《か》わっていた。

 

 小柄《こがら》ながらも、すらりと伸《の》びた手足《てあし》。


 あどけなさはいつの間《ま》にか影《かげ》を潜《ひそ》めている。


 細《ほそ》い線《せん》の中《なか》に、しなやかな起伏《きふく》。


 所作《しょさ》の端々(はしばし)に、柔《やわ》らかな色気《いろけ》が滲《にじ》む。


 少女《しょうじょ》ではなく、女《おんな》としての輪郭《りんかく》。


 それを、認識《にんしき》してしまう。  



 ミナギは表情《ひょうじょう》を崩《くず》さない。


 これまでと同《おな》じように接《せっ》する。


 何《なに》も変《か》わっていないかのように。


 だが――


 感覚《かんかく》だけが、ついてこない。


 距離《きょり》の測《はか》り方《かた》が、分《わ》からなくなる。  



 周囲《しゅうい》の目《め》も、変《か》わっていた。


 若《わか》い兵《へい》たちが足《あし》を止《と》め、アサが通《とお》り過《す》ぎた後《あと》で小声《こごえ》を交《か》わす。


「なぁ、あの子《こ》」


「ああ……」


 それ以上《いじょう》は言葉《ことば》にせず、互《たが》いに笑《え》みを含《ふく》む。


 一人《ひとり》は、足《あし》を止《と》め振《ふ》り返《かえ》り、ぼんやりと視線《しせん》を残《のこ》したまま立《た》ち尽《つ》くしている。


 仲間《なかま》に肩《かた》を叩《たた》かれて、ようやく我《われ》に返《かえ》った。


 それを見《み》て、胸《むね》の奥《おく》がざらつく。



 またある時《とき》は、兵《へい》に声《こえ》をかけられているアサを目《め》にした。


 ただの何気《なにげ》ないやり取《と》り。


 それなのに――


 無性《むしょう》に、腹立《はらだ》たしい。


 

 理由《りゆう》を探《さが》す。


 これは庇護欲《ひごよく》だ。


 守《まも》るべき存在《そんざい》を軽《かる》く見《み》る連中《れんちゅう》への嫌悪《けんお》。


 そう結論《けつろん》づける。


 だが。


(……違《ちが》う)


 否定《ひてい》しきれない。


 もっと個人的《こじんてき》で、逃《に》げ場《ば》のない感情《かんじょう》。


 

 ふと、思《おも》い至《いた》る。


 自分《じぶん》もまた、同《おな》じではないか。 


 視線《しせん》を逸《そ》らす。


 考《かんが》えたくない。


 最初《さいしょ》は違《ちが》ったはずだ。


 小《ちい》さくて、危《あぶ》なっかしくて、放《ほう》っておけない。


 守《まも》るべき相手《あいて》だった。


 ハヤトに向《む》けるものと、大差《たいさ》ないと思《おも》っていた。


 妹《いもうと》のような存在《そんざい》。


 歳《とし》も離《はな》れている。


 だからこそ、あの距離《きょり》でいられた。 


 だが今《いま》は――


 意識《いしき》してしまっている。


 それを認《みと》めることに抵抗《ていこう》がある。


 踏《ふ》み越《こ》えてはいけない一線《いっせん》に、足《あし》をかけている感覚《かんかく》。


 距離《きょり》は、変《か》わっていない。


 それなのに。


 確実《かくじつ》に、何《なに》かが変《か》わってしまっていた。




 ――その揺《ゆ》らぎとは裏腹《うらはら》に。


 宮中《きゅうちゅう》では、避《さ》けては通《とお》れぬ話《はなし》が、日《ひ》に日《ひ》に現実味《げんじつみ》を帯《お》びていた。



 高殿《たかどの》の間《ま》には、重《おも》たい空気《くうき》が沈《しず》んでいた。


 開《あ》け放《はな》たれた側面《そくめん》からは昼《ひる》の光《ひかり》が差《さ》し込《こ》み、柱《はしら》や床《ゆか》に淡《あわ》い影《かげ》を落《お》としている。  


 葦簀《よしず》が風《かぜ》に揺《ゆ》れるたび、外《そと》のざわめきや櫓《やぐら》の姿《すがた》がちらりと見《み》えた。


 広《ひろ》い板張《いたば》りの床《ゆか》の上《うえ》に、男《おとこ》たちが向《む》かい合《あ》って座《すわ》っている。


 しかし、この場《ば》にいる者《もの》たちの意識《いしき》は誰《だれ》ひとり外《そと》へ向《む》いていない。


 視線《しせん》はすべて、中央《ちゅうおう》の議論《ぎろん》へと注《そそ》がれていた。



「殿《との》――そろそろ后《きさき》の件《けん》を真剣《しんけん》に考《かんが》えるべきではございませんかな」


 重厚《じゅうこう》な髭《ひげ》をたくわえたツヅミが、ギラついた眼光《がんこう》でミナギを見据《みす》え、低《ひく》くも威圧的《いあつてき》な声《こえ》で切《き》り出《だ》す。


 その視線《しせん》の先《さき》に座《ざ》するミナギは、わずかに眉《まゆ》を寄《よ》せたまま静《しず》かに息《いき》を吐《は》く。


「西側《にしがわ》諸国《しょこく》の娘《むすめ》たちは、礼法《れいほう》に通《つう》じ、教養《きょうよう》も優《すぐ》れております」


 厳《いか》めしい顔立《かおだ》ちとは裏腹《うらはら》に、どこか飄々(ひょうひょう)とした空気《くうき》を纏《まと》う男《おとこ》、イヌタデが、口髭《くちひげ》を撫《な》でながら低《ひく》く言《い》う。


「伊都国《いとこく》の志摩殿《しまどの》は、美貌《びぼう》と品格《ひんかく》に優《すぐ》れ、后《きさき》と望《のぞ》む者《もの》は数多《かずおお》いと聞《き》きます……」


 アスマは、ぼそりと呟《つぶや》く。


 大柄《おおがら》な体格《たいかく》に反《はん》し、声《こえ》は控《ひか》えめだった。


 美貌《びぼう》。


 権威《けんい》。  


 家柄《いえがら》。  


 性格《せいかく》。  


 気位《きぐらい》――


 次々(つぎつぎ)に意見《いけん》が重《かさ》なり、それぞれの要素《ようそ》が、重厚《じゅうこう》な空気《くうき》をさらに押《お》し広《ひろ》げ、複雑《ふくざつ》に絡《から》み合《あ》う。


 ミナギは頭《あたま》を抱《かか》えたまま、ひと息《いき》つく。


「……皆《みな》、少《すこ》し落《お》ち着《つ》かぬか」


 しかし、その声《こえ》はまるで微《かす》かな風《かぜ》に過《す》ぎず、誰一人《だれひとり》として聞《き》く耳《みみ》を持《も》たない。 


 議論《ぎろん》はますます過熱《かねつ》し、声《こえ》は重《おも》く、鋭《するど》く、場《ば》を支配《しはい》していた。


「時機《じき》を逸《いっ》すれば、外様《とざま》の勢力《せいりょく》に后宮《こうきゅう》を掌握《しょうあく》されかねぬぞ!」


「王《おう》の威厳《いげん》にふさわしい者《もの》を選《えら》ばねばならぬ!」


「いや、王《おう》の心《こころ》を捉《とら》え得《う》る者《もの》でなければ意味《いみ》がない!」


 ついに、ミナギの視線《しせん》は天井《てんじょう》を突《つ》き抜《ぬ》けるかのように宙《ちゅう》を彷徨《さまよ》い、眉間《みけん》を押《お》さえたまま静《しず》かに重臣《じゅうしん》たちの声《こえ》を受《う》け止《と》める。



 その時《とき》――ぴしゃり、と場《ば》の空気《くうき》を断《た》ち切《き》るように声《こえ》が響《ひび》いた。


「まず大事《だいじ》なのは、殿《との》の御心《みこころ》であろう」


 発言《はつげん》したのは重臣《じゅうしん》クラジだった。


 それまでの喧騒《けんそう》を一刀《いっとう》で断《た》つかのような、簡潔《かんけつ》にして鋭《するど》い言葉《ことば》だった。


 ざわめきが一瞬《いっしゅん》で静《しず》まる。


 他《ほか》の重臣《じゅうしん》たちは顔《かお》を見合《みあ》わせ、言葉《ことば》を失《うしな》う。



 その中《なか》で、ミナギだけがわずかに目《め》を見開《みひら》いた。


 ――おお。


(ようやく、まともなことを言《い》う者《もの》が出《で》たか……)


 胸《むね》の内《うち》で小《ちい》さく安堵《あんど》しながら、ミナギは姿勢《しせい》をわずかに正《ただ》した。


 クラジはゆっくりと視線《しせん》をミナギへ向《む》ける。


 その目《め》には余計《よけい》な媚《こ》びも、打算《ださん》もない。


 ただ事《こと》の本質《ほんしつ》を見据《みす》える静《しず》けさがあった。


「殿《との》は――どのような女子《おなご》をお好《この》みでございますか」



 その問《と》いは、あまりに真《ま》っ直《す》ぐだった。


 一瞬《いっしゅん》、間《ま》が落《お》ちる。


 ミナギはわずかに息《いき》を止《と》め、再《ふたた》び視線《しせん》を彷徨《さまよ》わせる。


 問《と》われたことの意味《いみ》は理解《りかい》している。


 だが。


(……好《この》み、か)


 頭《あたま》の中《なか》で反芻《はんすう》するが、うまく形《かたち》にならない。


 これまで王《おう》としての務《つと》めに追《お》われ、女《おんな》の好《この》みなど――



 その瞬間《しゅんかん》。


 不意《ふい》に、ひとつの顔《かお》が脳裏《のうり》に浮《う》かんだ。


 柔《やわ》らかく揺《ゆ》れる髪《かみ》。


 どこか不器用《ぶきよう》で、それでいて真《ま》っ直《す》ぐな眼差《まなざ》し。


 拗《す》ねたり。


 笑《わら》ったり。


 ふとした時《とき》に見《み》せる、無防備《むぼうび》な表情《ひょうじょう》――


 一瞬《いっしゅん》、思考《しこう》が止《と》まる。


(……いや)


 ミナギはわずかに眉《まゆ》をひそめ、すぐさまその像《ぞう》を振《ふ》り払《はら》うように意識《いしき》を引《ひ》き戻《もど》した。


 今《いま》この場《ば》で問《と》われているのは、王《おう》としての后《きさき》の資質《ししつ》だ。


 家柄《いえがら》。


 立場《たちば》。


 政《まつりごと》への影響《えいきょう》――  


 考《かんが》えるべきことはいくらでもある。


 それなのに、浮《う》かんできたのは――


 アサの顔《かお》。


(……違《ちが》う)


 ほとんど反射《はんしゃ》のように、意識《いしき》の奥《おく》へ押《お》し戻《もど》す。


「――そのようなこと、これまで深《ふか》く考《かんが》えたこともなかった」


 口《くち》をついて出《で》た言葉《ことば》は、やけに空虚《くうきょ》に響《ひび》いた。


 自分《じぶん》で言《い》いながら、わずかに残《のこ》る違和感《いわかん》を拭《ぬぐ》いきれない。


 ミナギはそれ以上《いじょう》思考《しこう》を深《ふか》めることをやめるように、静《しず》かに息《いき》を吐《は》いた。


 視線《しせん》を正面《しょうめん》へ戻《もど》せば、再《ふたた》び重臣《じゅうしん》たちの顔《かお》が並《なら》ぶ。


 現実《げんじつ》へと引《ひ》き戻《もど》される。


 だが一度《いちど》浮《う》かんだ顔《かお》は、完全《かんぜん》には消《き》えず、胸《むね》の奥《おく》に微《かす》かな余熱《よねつ》のように残《のこ》り続《つづ》けていた。



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