巡る季節
季節が巡り、アサはいつの間にか十五歳の春を迎えていた。
背はすらりと伸び、かつての幼い輪郭は薄れ、小柄ではあるが、女らしいしなやかな体つきがうかがえるようになっている。
その澄み渡る瞳と柔和な表情は、宮の廊や庭先を歩くたびに、無意識に周囲の視線を吸い寄せた。
若い宮仕えの兵たちの間では、ひそやかに「可愛い」と囁かれることも増え、道ですれ違えば声をかけられることもしばしばである。
アサは戸惑いながらも、咄嗟に微笑みを返す。
背筋を自然と伸ばし、いつの間にか自分の立ち姿や所作に気を配るようになっていた。
ある日のこと――
宮の裏手、朝の光に柔らかく照らされた井戸の傍。
水面は静かに光を反射し、規則正しく水を汲む音が静謐な空気に溶け込んでいた。
「ありがとう、助かった」
アサの声には少し息が混じり、穏やかな笑みが添えられている。
「いえ、これくらい」
応えたのは、まだ少年の面影を残す若い兵だった。
アサを見る瞳には、初々しい熱が宿っている。
「重いでしょう。俺が運びます」
その言葉には、ただ助けたいという気持ちだけでなく、少しでもアサの印象に残りたい――
そんな思いが、ぎこちなくも真っ直ぐに滲んでいた。
「大丈夫だよ、慣れてるし」
アサはその熱心さにまだ気づいていない。
ただの親切として受け取り、柔らかく微笑みながら桶を抱え直す。
「でも――」
「何をしている」
瞬間。
空気を切るような低い声が響いた。
二人は同時に振り返る。
眼前には、ミナギが立っていた。
その視線は、まっすぐに若い兵を捉えている。
「任務は」
「は、はい!見回りでございます!」
声はぎこちなく、わずかに震えている。
「終えたのか」
「い、いえ、これから――」
「ならば、持ち場へ戻れ」
間を与えぬその声音に、兵は一瞬身を強張らせ、次の瞬間には深く頭を垂れて駆け去った。
規則正しい足音が遠ざかる中、アサは小さく唇を噛み、わずかに頬を膨らませる。
「そんなに厳しくしなくても……」
思わず呟く。
彼女の声に対しミナギは無言である。
その代わり、ゆっくりと、しかし確実に桶に手を伸ばした。
「貸せ」
「え?」
「運ぶ」
短く告げられた言葉に、アサは思わず息を呑む。
「え、いやいや……」
慌てて桶を引き寄せる。
「ダメです、それは」
「何がだ」
「何がって……」
眉を寄せ、少し困惑した表情を浮かべるアサ。
「王様に、そんなことさせられませんよ」
ミナギはわずかに眉を動かす。
「問題ない」
「いや、あるよ」
アサは即座に返す。
「めちゃくちゃあるよ」
身を少し乗り出し、声はヒソヒソと、しかし確かな決意を帯びる。
「見られたらどうするの。怒られるの、私なんだからね」
妙に現実的で、子供っぽい理屈の一面が垣間見える。
ミナギは言葉に詰まったかのように、一瞬沈黙する。
「だから結構です。自分で持てますから」
そう告げ、桶を抱え直す。
しかし次の瞬間、その重みがまるで霧が晴れるかのように軽くなる。
「――」
ミナギが、なかば強引に持ち上げていたのである。
「ちょ、ちょっと!」
思わず大きな声を上げてしまい、慌てて手を口にやる。
桶を手にしたまま、すたすたと歩き出すミナギ。
「え、ちょっ……待って!」
アサは仕方なく後を追いかける。
しばし、足音だけが続いた。
乾いた土を踏む音と、水の揺れる微かな音。
ミナギの胸の奥には、微かに突き上げるざわつきがあった。
あの若い兵がアサに向ける、熱を帯びた視線。
ほんの短い言葉のやり取り。
不意に押し寄せる焦りと、苛立ち。
無意識のうちに、桶を持つ腕に力が入り、後ろで、ぶつぶつと文句を言いながらついて来るアサに構わず、すたすたと足早に進む。
「……あいつとは」
不意に、ミナギが口を開いた。
振り返らない。
歩みも緩めない。
「親しいのか」
「え?」
アサは瞬きをする。
問いの意味を、遅れて飲み込む。
「いや、別に……」
少し首を傾げながら答える。
「今日ちょっと手伝ってもらっただけで……名前も知らないし」
あっさりとした声音。
「そうか」
それだけ。
それ以上は何も言わない。
だが――
桶を持つ手から、ほんのわずかに力が抜けていた。
「急にどうしたの?」
問いかけにも、ミナギは答えない。
ただ前を向いたまま、再び歩調を一定に戻す。
「……変なミナギ」
肩の力を抜き、アサはぼそりと呟く。
その声には、少しだけ苛立ちと困惑が混ざっている。
ミナギの胸の奥に残っていたざわつきは、完全には消えていない。
それでも――
ほんの少しだけ、形を変えていた。




