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アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
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巡る季節



 季節《きせつ》が巡《めぐ》るうち、アサの顔《かお》からは、いつの間《ま》にか幼《おさな》さが抜《ぬ》けていた。


 以前《いぜん》は、笑《わら》えばまだ少女《しょうじょ》らしいあどけなさが残《のこ》っていた。


 けれど今《いま》は、穏《おだ》やかに微笑《ほほえ》むその顔《かお》にも、どこか落《お》ち着《つ》いたものがある。


 小柄《こがら》ではあるが、女《おんな》らしい、しなやかな体《からだ》つきがうかがえるようになっていた。


 その澄《す》み渡《わた》る瞳《ひとみ》と柔和《にゅうわ》な表情《ひょうじょう》は、宮《みや》の廊《ろう》や庭先《にわさき》を歩《ある》くたびに、無意識《むいしき》に周囲《しゅうい》の視線《しせん》を吸《す》い寄《よ》せた。


 若《わか》い宮仕《みやづか》えの兵《へい》たちの間《あいだ》では、ひそやかに「可愛《かわい》い」と囁《ささや》かれることも増《ふ》え、道《みち》ですれ違《ちが》えば声《こえ》をかけられることもしばしばである。


 アサは戸惑《とまど》いながらも、咄嗟《とっさ》に微笑《ほほえ》みを返《かえ》す。


 背筋《せすじ》を自然《しぜん》と伸《の》ばし、いつの間《ま》にか自分《じぶん》の立《た》ち姿《すがた》や所作《しょさ》に気《き》を配《くば》るようになっていた。




 ◇




 ある日《ひ》のこと――


 宮《みや》の裏手《うらて》、朝《あさ》の光《ひかり》に柔《やわ》らかく照《て》らされた井戸《いど》の傍《そば》。


 水面《みなも》は静《しず》かに光《ひかり》を反射《はんしゃ》し、規則正《きそくただ》しく水《みず》を汲《く》む音《おと》が静謐《せいひつ》な空気《くうき》に溶《と》け込《こ》んでいた。


「ありがとう、助《たす》かった」


 アサの声《こえ》には少《すこ》し息《いき》が混《ま》じり、穏《おだ》やかな笑《え》みが添《そ》えられている。


「いえ、これくらい」


 応《こた》えたのは、まだ少年《しょうねん》の面影《おもかげ》を残《のこ》す若《わか》い兵《へい》だった。


 アサを見《み》る瞳《ひとみ》には、初々(ういうい)しい熱《ねつ》が宿《やど》っている。


「重《おも》いでしょう。俺《おれ》が運《はこ》びます」


 その言葉《ことば》には、ただ助《たす》けたいという気持《きも》ちだけでなく、少《すこ》しでもアサの印象《いんしょう》に残《のこ》りたい――  


 そんな思《おも》いが、ぎこちなくも真《ま》っ直《す》ぐに滲《にじ》んでいた。


「大丈夫《だいじょうぶ》だよ、慣《な》れてるし」


 アサはその熱心《ねっしん》さにまだ気《き》づいていない。


 ただの親切《しんせつ》として受《う》け取《と》り、柔《やわ》らかく微笑《ほほえ》みながら桶《おけ》を抱《かか》え直《なお》す。


「でも――」


「何《なに》をしている」


 瞬間《しゅんかん》。


 空気《くうき》を切《き》るような低《ひく》い声《こえ》が響《ひび》いた。


 二人《ふたり》は同時《どうじ》に振《ふ》り返《かえ》る。


 眼前《がんぜん》には、ミナギが立《た》っていた。


 その視線《しせん》は、まっすぐに若《わか》い兵《へい》を捉《とら》えている。


「任務《にんむ》は」


「は、はい!見回《みまわ》りでございます!」


 声《こえ》はぎこちなく、わずかに震《ふる》えている。


「終《お》えたのか」


「い、いえ、これから――」


「ならば、持《も》ち場《ば》へ戻《もど》れ」


 間《ま》を与《あた》えぬその声音《こわね》に、兵《へい》は一瞬《いっしゅん》身《み》を強張《こわば》らせ、次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》には深《ふか》く頭《あたま》を垂《た》れて駆《か》け去《さ》った。



 足音《あしおと》が遠《とお》ざかる中《なか》、アサは小《ちい》さく唇《くちびる》を噛《か》み、わずかに頬《ほお》を膨《ふく》らませる。


「そんなに厳《きび》しくしなくても……」


 思《おも》わず呟《つぶや》く。


 彼女《かのじょ》の声《こえ》に対《たい》しミナギは無言《むごん》である。


 その代《か》わり、ゆっくりと、しかし確実《かくじつ》に桶《おけ》に手《て》を伸《の》ばした。


「貸《か》せ」


「え?」


「運《はこ》ぶ」


 短《みじか》く告《つ》げられた言葉《ことば》に、アサは思《おも》わず息《いき》を呑《の》む。


「え、いやいや……」


 慌《あわ》てて桶《おけ》を引《ひ》き寄《よ》せる。


「ダメです、それは」


「何《なに》がだ」


「何《なに》がって……」


 眉《まゆ》を寄《よ》せ、少《すこ》し困惑《こんわく》した表情《ひょうじょう》を浮《う》かべるアサ。


「王様《おうさま》に、そんなことさせられませんよ」


 ミナギはわずかに眉《まゆ》を動《うご》かす。


「問題《もんだい》ない」


「いや、あるよ」


 アサは即座《そくざ》に返《かえ》す。


「めちゃくちゃあるよ」


 身《み》を少《すこ》し乗《の》り出《だ》し、声《こえ》はヒソヒソと、しかし確《たし》かな決意《けつい》を帯《お》びる。


「見《み》られたらどうするの。怒《おこ》られるの、私《わたし》なんだからね」


 妙《みょう》に現実的《げんじつてき》で、子供《こども》っぽい理屈《りくつ》の一面《いちめん》が垣間見《かいまみ》える。


 ミナギは言葉《ことば》に詰《つ》まったかのように、一瞬《いっしゅん》沈黙《ちんもく》する。


「だから結構《けっこう》です。自分《じぶん》で持《も》てますから」


 そう告《つ》げ、桶《おけ》を抱《かか》え直《なお》す。


 しかし次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》、その重《おも》みがまるで霧《きり》が晴《は》れるかのように軽《かる》くなる。


「――」


 ミナギが、なかば強引《ごういん》に持《も》ち上《あ》げていたのである。


「ちょ、ちょっと!」


 思《おも》わず大《おお》きな声《こえ》を上《あ》げてしまい、慌《あわ》てて手《て》を口《くち》にやる。


 桶《おけ》を手《て》にしたまま、すたすたと歩《ある》き出《だ》すミナギ。


「え、ちょっ……待《ま》って!」


 アサは仕方《しかた》なく後《あと》を追《お》いかける。 



 しばし、足音《あしおと》だけが続《つづ》いた。


 乾《かわ》いた土《つち》を踏《ふ》む音《おと》と、水《みず》の揺《ゆ》れる微《かす》かな音《おと》。


 ミナギの胸《むね》の奥《おく》には、微《かす》かに突《つ》き上《あ》げるざわつきがあった。


 あの若《わか》い兵《へい》がアサに向《む》ける、熱《ねつ》を帯《お》びた視線《しせん》。


 ほんの短《みじか》い言葉《ことば》のやり取《と》り。


 不意《ふい》に押《お》し寄《よ》せる焦《あせ》りと、苛立《いらだ》ち。


 無意識《むいしき》のうちに、桶《おけ》を持《も》つ腕《うで》に力《ちから》が入《はい》り、後《うし》ろで、ぶつぶつと文句《もんく》を言《い》いながらついて来《く》るアサに構《かま》わず、すたすたと足早《あしばや》に進《すす》む。


「……あいつとは」


 不意《ふい》に、ミナギが口《くち》を開《ひら》いた。


 振《ふ》り返《かえ》らない。


 歩《あゆ》みも緩《ゆる》めない。


「親《した》しいのか」


「え?」 


 アサは瞬《まばた》きをする。


 問《と》いの意味《いみ》を、遅《おく》れて飲《の》み込《こ》む。


「いや、別《べつ》に……」


 少《すこ》し首《くび》を傾《かし》げながら答《こた》える。


「今日《きょう》ちょっと手伝《てつだ》ってもらっただけで……名前《なまえ》も知《し》らないし」


 あっさりとした声音《こわね》。


「そうか」


 それだけ。


 それ以上《いじょう》は何《なに》も言《い》わない。


 だが――


 桶《おけ》を持《も》つ手《て》から、ほんのわずかに力《ちから》が抜《ぬ》けていた。  


「急《きゅう》にどうしたの?」


 問《と》いかけにも、ミナギは答《こた》えない。


 ただ前《まえ》を向《む》いたまま、再《ふたた》び歩調《ほちょう》を一定《いってい》に戻《もど》す。


「……変《へん》なミナギ」


 肩《かた》の力《ちから》を抜《ぬ》き、アサはぼそりと呟《つぶや》く。


 その声《こえ》には、少《すこ》しだけ苛立《いらだ》ちと困惑《こんわく》が混《ま》ざっている。



 ミナギの胸《むね》の奥《おく》に残《のこ》っていたざわつきは、完全《かんぜん》には消《き》えていない。


 それでも――


 ほんの少《すこ》しだけ、形《かたち》を変《か》えていた。




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