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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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素地


 その日《ひ》の夕刻《ゆうこく》。


 執務《しつむ》の合間《あいま》、ふと足音《あしおと》もなく現《あらわ》れた影《かげ》に、タヅマは筆《ふで》を止《と》めた。


「――殿《との》」


 顔《かお》を上《あ》げるまでもない。


 気配《けはい》で分《わ》かる。


「何用《なによう》にございますか」


「いや」


 そこで言葉《ことば》が切《き》れる。


 タヅマはわずかに眉《まゆ》を動《うご》かした。


「その、どうだったんだ」


 視線《しせん》がわずかに逸《そ》れる。


「今日《きょう》の、あれは」


「あれ、とは?」


 タヅマはあえて平坦《へいたん》に返《かえ》す。


 ミナギは一瞬《いっしゅん》だけ黙《だま》り、


「……ほら、例《れい》の」


 言《い》い淀《よど》む。


 タヅマは知《し》らぬ顔《かお》を崩《くず》さない。


「例《れい》の、と申《もう》されましても」


 静《しず》かに促《うなが》す。


 ミナギは小《ちい》さく息《いき》をつき、


「――アサは」


 ようやく名《な》が出《で》る。


 やはりそれか、とタヅマは内心《ないしん》で息《いき》をつく。


「本日《ほんじつ》、少々(しょうしょう)見《み》ておりましたが」


 淡々(たんたん)と答《こた》える。


「大変《たいへん》覚《おぼ》えが早《はや》うございます。既《すで》に文字《もじ》にも触《ふ》れておられたようで」


「そうか」


 短《みじか》い相槌《あいづち》。


 だが、その声音《こわね》が、わずかに軽《かる》い。


 タヅマは視線《しせん》を上《あ》げた。


 ミナギは腕《うで》を組《く》み、何《なん》でもない顔《かお》をしている。


 ――が。


 口元《くちもと》が、ほんの僅《わず》かに緩《ゆる》んでいる。


「だろうな」


 タヅマは一瞬《いっしゅん》、言葉《ことば》を失《うしな》った。


(――だろうな?)


「元《もと》が違《ちが》う」


 平然《へいぜん》と続《つづ》く。


 タヅマは筆《ふで》を置《お》いた。


「殿《との》」


「何《なん》だ」


「ご自分《じぶん》が育《そだ》てたかのような口《くち》ぶりですな?」


 間髪《かんぱつ》入《い》れず返《かえ》す。


 ミナギはわずかに目《め》を細《ほそ》めた。


「間違《まちが》ってはいない」


「教《おし》えたのは文字《もじ》の端緒《たんしょ》のみでございましょう」


「それで十分《じゅうぶん》だ」


「左様《さよう》でございますか」 


 さらりと流《なが》す。


 だが内心《ないしん》では、軽《かる》く首《くび》を振《ふ》る。


(…やれやれ)


 視線《しせん》を落《お》とし、再《ふたた》び筆《ふで》を取《と》る。


「いずれにせよ、素地《そじ》は上々(じょうじょう)」


 変《か》わらぬ調子《ちょうし》で続《つづ》ける。


「今後《こんご》の努力《どりょく》次第《しだい》で、いかようにも伸《の》びましょう」  


「そうだな」


 また、すぐに返《かえ》る。


 やはりどこか、満足《まんぞく》げだ。


 タヅマは筆先《ふでさき》を紙《かみ》に走《はし》らせながら、わずかにだけ目《め》を細《ほそ》めた。


(自分《じぶん》の手柄《てがら》でもあるまいに)


 それでも――


 否定《ひてい》はしない。


 むしろ。


(あの娘《むすめ》にとっては、悪《わる》くない)


 そう結論《けつろん》づける。  


「明日《あす》も同刻《どうこく》にて、続《つづ》けます」


「ああ、頼《たの》む」


 短《みじか》く応《おう》じる声《こえ》。


 用《よう》は済《す》んだとばかりに、ミナギは踵《きびす》を返《かえ》す。


 その背《せ》を見送《みおく》りながら――


(……分《わ》かりやすい御方《おかた》だ)


 タヅマは、ほんの僅《わず》かに肩《かた》の力《ちから》を抜《ぬ》いた。

 


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