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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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灯火の宴




 日《ひ》が傾《かたむ》き、西《にし》の空《そら》が茜《あかね》から深《ふか》い紺《こん》へ移《うつ》ろい始《はじ》めるころ――


 王宮《おうきゅう》では静《しず》かに祝宴《しゅくえん》の支度《したく》が整《ととの》えられていた。


 高殿《たかどの》の広間《ひろま》には篝火《かがりび》が等間隔《とうかんかく》に焚《た》かれ、ゆらゆらと揺《ゆ》れる火《ひ》が、磨《みが》かれた柱《はしら》や床板《ゆかいた》を黄金色《こがねいろ》に染《そ》めている。


 夜気《やき》はまだ少《すこ》し冷《ひ》えていたが、火《ひ》の熱《ねつ》と人々(ひとびと)の息遣《いきづか》いが混《ま》じり合《あ》い、穏《おだ》やかな温《ぬく》もりが満《み》ちていた。



 それは、戦《いくさ》を終《お》えた安堵《あんど》を分《わ》かち合《あ》うためだけの宴《うたげ》ではない。


 新《あら》たな王《おう》が立《た》ったことを内外《ないがい》へ示《しめ》すと同時《どうじ》に、生《い》き延《の》びた者《もの》たちを労《ねぎら》い、傷《きず》ついた国《くに》を再《ふたた》びひとつに結《むす》び直《なお》すための場《ば》だった。



 国《くに》にはまだ、戦《いくさ》の影《かげ》が色濃《いろこ》く残《のこ》っていた。


 焼《や》けた村々(むらむら)。

 

 流浪《るろう》する民《たみ》。

 

 次々(つぎつぎ)ともたらされる悲報《ひほう》と訴《うった》え。



 安堵《あんど》と呼《よ》べる静寂《せいじゃく》は、いまだ遠《とお》い。


 それでも今宵《こよい》だけは、人々(ひとびと)に前《まえ》を向《む》かせる灯《ともしび》が必要《ひつよう》だった。




 広間《ひろま》には焼《や》いた川魚《かわざかな》の香《こう》ばしい匂《にお》いが漂《ただよ》い、土器《どき》の鍋《なべ》では粟《あわ》や豆《まめ》が柔《やわ》らかく煮《に》えている。炙《あぶ》られた獣肉《けものにく》から脂《あぶら》が落《お》ち、火《ひ》がぱちりと小《ちい》さく爆《は》ぜた。


 侍女《じじょ》たちは忙《せわ》しなく行《い》き交《か》い、酒《さけ》を注《そそ》ぎ、料理《りょうり》を運《はこ》び、兵《へい》たちはようやく張《は》り詰《つ》めていた肩《かた》の力《ちから》を抜《ぬ》き始《はじ》めている。




 その中央《ちゅうおう》に、ミナギは座《ざ》していた。



 まだ若《わか》い王《おう》。



 だが、その姿《すがた》には不思議《ふしぎ》と場《ば》を落《お》ち着《つ》かせる力《ちから》がある。


 豪奢《ごうしゃ》に威圧《いあつ》するでもなく、ことさらに王《おう》として振《ふ》る舞《ま》うでもない。


 自然体《しぜんたい》のまま、人々(ひとびと)の輪《わ》の中《なか》へ静《しず》かに溶《と》け込《こ》んでいた。



「傷《きず》の痛《いた》みは、もう引《ひ》いたか」



「は。王《おう》のお陰《おかげ》で、命拾《いのちびろ》いしました」



「生《い》きてここへ戻《もど》ったのは、お前自身《おまえじしん》の力《ちから》だ。誇《ほこ》れ」



 兵《へい》へ向《む》けられる言葉《ことば》は柔《やわ》らかく、飾《かざ》り気《け》がない。


 労《ねぎら》う声《こえ》に嘘《うそ》がないからこそ、受《う》け取《と》る側《がわ》の顔《かお》も自然《しぜん》と緩《ゆる》む。



 やがてミナギは杯《さかずき》を手《て》に取《と》り、静《しず》かに立《た》ち上《あ》がった。


 広間《ひろま》のざわめきが、波《なみ》が引《ひ》くように収《おさ》まってゆく。


 篝火《かがりび》の光《ひかり》が輪郭《りんかく》を淡《あわ》く縁取《ふちど》り、その瞳《ひとみ》に揺《ゆ》れる火《ひ》が静《しず》かな熱《ねつ》を宿《やど》していた。



「この酒《さけ》は――生《い》き延《の》びた皆《みな》のために」



 低《ひく》く、よく通《とお》る声《こえ》だった。



「多《おお》くを失《うしな》った。今《いま》もなお、痛《いた》みの中《なか》にいる者《もの》は多《おお》い。国《くに》はまだ癒《い》えてはいない――それでも、我《われ》らは歩《あゆ》みを止《と》めるわけにはいかない」



 短《みじか》く杯《さかずき》を掲《かか》げる。



「この国《くに》に、再《ふたた》び穏《おだ》やかな日々(ひび)を取《と》り戻《もど》すために――どうか共《とも》に力《ちから》を貸《か》してほしい」



 王《おう》の言葉《ことば》に、広間《ひろま》の空気《くうき》が静《しず》かに震《ふる》えた。


 誰《だれ》かが杯《さかずき》を掲《かか》げ、それに続《つづ》くように次々《つぎつぎ》と人々(ひとびと)が酒《さけ》を掲《かか》げる。



 やがて笑《わら》い声《ごえ》が戻《もど》り、張《は》り詰《つ》めていた空気《くうき》は少《すこ》しずつほどけていった。


 兵士《へいし》同士《どうし》が肩《かた》を叩《たた》き合《あ》い、侍女《じじょ》たちが小《ちい》さく笑《わら》いながら酒《さけ》を運《はこ》ぶ。


 年嵩《としかさ》の臣下《しんか》までもが、どこか安堵《あんど》したような顔《かお》で息《いき》を吐《は》いていた。




 ――その光景《こうけい》を、アサは離《はな》れた寝所《しんじょ》の窓辺《まどべ》から静《しず》かに見《み》つめていた。


 夜風《よかぜ》が細《ほそ》い髪《かみ》を揺《ゆ》らす。


 遠《とお》く離《はな》れていても、宴《うたげ》の空気《くうき》は不思議《ふしぎ》と伝《つた》わってくる。



 人々(ひとびと)の笑《わら》い声《ごえ》。


 火《ひ》の爆《は》ぜる音《おと》。

 

 杯《さかずき》の触《ふ》れ合《あ》う乾《かわ》いた響《ひび》き。



 そして、その中心《ちゅうしん》にいるミナギの存在《そんざい》。



「……ミナギ王《おう》……か」



 小《ちい》さく呟《つぶや》いた声《こえ》は、夜《よる》へ静《しず》かに溶《と》けていった。



 彼《かれ》がいるだけで、人《ひと》の顔《かお》が変《か》わる。


 不安《ふあん》に沈《しず》んでいた者《もの》たちが笑《わら》い、疲《つか》れ切《き》っていた兵《へい》たちが肩《かた》の力《ちから》を抜《ぬ》いている。


 恐《おそ》れで従《したが》わせるのでもなく、威光《いこう》で押《お》さえつけるのでもない。


 一人《ひとり》ひとりを見《み》ようとする眼差《まなざ》しが、人《ひと》を惹《ひ》きつけているのだと、アサには分《わ》かった。




 ふと、その時《とき》。


 ミナギが何《なに》かに気《き》づいたように顔《かお》を上《あ》げた。



 遠《とお》い窓辺《まどべ》。


 暗《くら》がりの中《なか》に立《た》つアサへ、まっすぐ視線《しせん》が届《とど》く。



 そしてミナギは、柔《やわ》らかく微笑《ほほえ》んだ。


 軽《かる》く手《て》を挙《あ》げる。


 それは王《おう》としての仕草《しぐさ》ではなく、ただ「そこにいることを知《し》っている」と伝《つた》えるような、穏《おだ》やかな合図《あいず》だった。



 アサの胸《むね》が、小《ちい》さく跳《は》ねた。


 熱《ねつ》が広《ひろ》がる。


 心臓《しんぞう》が静《しず》かに脈打《みゃくう》ち、息《いき》が少《すこ》しだけ浅《あさ》くなる。



(……あの王様《おうさま》だから、みんな心《こころ》から慕《した》うんだろうな……)



 夜風《よかぜ》が頬《ほお》を撫《な》でる。


 篝火《かがりび》の火《ひ》は揺《ゆ》れ続《つづ》け、夜空《よぞら》には細《こま》かな星々《ほしぼし》が滲《にじ》んでいた。



 戦《いくさ》は終《お》わった。


 けれど、本当《ほんとう》の意味《いみ》で国《くに》を立《た》て直《なお》す道《みち》は、きっとここから始《はじ》まるのだろう。


 遠《とお》く聞《き》こえる笑《わら》い声《ごえ》を耳《みみ》にしながら、アサはそっと胸元《むなもと》を押《お》さえた。



「……私《わたし》も、いつか――」



 小《ちい》さな願《ねが》いが、胸《むね》の奥《おく》で灯《とも》る。



「いつか、ミナギの役《やく》に立《た》てたら……」



 まだ夢《ゆめ》のように遠《とお》い想《おも》いだった。


 それでも今宵《こよい》、篝火《かがりび》に照《て》らされた王《おう》の背《せ》を見《み》た瞬間《しゅんかん》、その願《ねが》いは確《たし》かな熱《ねつ》を持《も》って胸《むね》に刻《きざ》まれていた。



 夜《よる》の闇《やみ》は深《ふか》い。


 だが、その闇《やみ》の中《なか》で揺《ゆ》れる火《ひ》は、確《たし》かに人々《ひとびと》を照《て》らしていた。





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