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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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王威




 息《いき》をするのもためらわれるほど、広間《ひろま》は重《おも》く静《しず》まり返《かえ》っていた。



 これほど多《おお》くの人々(ひとびと)が集《あつ》まっているにもかかわらず、衣擦《きぬず》れの音《おと》さえ浮《う》き上《あ》がるように聞《き》こえる。


 余計《よけい》な音《おと》は、すべて削《そ》ぎ落《お》とされたようだった。




 本来《ほんらい》、王《おう》の即位《そくい》とは――時《とき》をかけ、神《かみ》を招《まね》き、国《くに》の内外《ないがい》に示《しめ》す大儀《たいぎ》である。


 だが今《いま》、この国《くに》にそれを許《ゆる》す余裕《よゆう》はなかった。



「名目《めいもく》ではなく、早急《そうきゅう》に、真《まこと》に国《くに》を束《たば》ねる王《おう》を立《た》てねば、国《くに》が持《も》ちませぬ」



 タヅマのその一言《ひとこと》が、すべてを決《き》めた。



 戦《いくさ》の火種《ひだね》はまだ残《のこ》り、民《たみ》は各地《かくち》へ流《なが》れている。


 あらゆる判断《はんだん》と命《めい》は、一人《ひとり》へと集《あつ》まっていた。


 すでに国《くに》は、ミナギを王《おう》として動《うご》いている。



 ならば――それに形《かたち》を与《あた》えるしかない。


 こうして、即位《そくい》の儀《ぎ》は急《いそ》ぎ整《ととの》えられた。



 削《そ》がれた手順《てじゅん》。


 簡略《かんりゃく》された祭祀《さいし》。



 それでも、ここに集《つど》う者《もの》たちは理解《りかい》している。



 これは仮《かり》の儀《ぎ》ではない。


 この瞬間《しゅんかん》から、王《おう》は定《さだ》まるのだと。





 アサは列《れつ》の後《うし》ろに控《ひか》えていた。


 まだ体調《たいちょう》は万全《ばんぜん》ではない。


 体《からだ》の重《おも》みを柱《はしら》に預《あず》けるようにして立《た》ち、目《め》だけはひたすら前方《ぜんぽう》へ向《む》けていた。



 ミナギが一歩《いっぽ》、ゆっくりと進《すす》み出《で》る。


 白《しろ》の長衣《ながぎぬ》の下《した》には、濃《こ》い藍色《あいいろ》の中衣《なかぎぬ》が重《かさ》ねられている。


 袖《そで》と襟《えり》には細《こま》かな文様《もんよう》が巡《めぐ》り、腰《こし》には幅広《はばひろ》の朱《あか》い帯《おび》が締《し》められていた。


 長《なが》く垂《た》れた飾《かざ》り紐《ひも》は、歩《あゆ》みに合《あ》わせて静《しず》かに揺《ゆ》れる。


 胸元《むなもと》には、勾玉《まがたま》や管玉《くだたま》を連《つら》ねた首飾《くびかざ》りが幾重《いくえ》にも重《かさ》なっていた。


 ひとつひとつが、淡《あわ》い光《ひかり》を返《かえ》している。



 その姿《すがた》は、ただ豪華《ごうか》なだけではなかった。


 王《おう》としての威《い》と、祭祀《さいし》を司《つかさど》る力《ちから》そのものが、形《かたち》となって現《あらわ》れているかのようだった。



 歩《あゆ》みは静《しず》かだ。


 しかし、その場《ば》にいる全員《ぜんいん》の視線《しせん》を引《ひ》き寄《よ》せるような力《ちから》があった。




 タヅマが一歩《いっぽ》前《まえ》へ出《で》る。


 低《ひく》く澄《す》んだ声《こえ》が、広間《ひろま》を満《み》たした。



「ここに、王《おう》の位《くらい》を定《さだ》めん」



 香《こう》が焚《た》かれる。


 強《つよ》すぎることのない穏《おだ》やかな香《かお》りが、ゆっくりと広《ひろ》がっていく。


 床《ゆか》へ静《しず》かに注《そそ》がれた酒《さけ》の音《おと》は小《ちい》さい。


 だが、不思議《ふしぎ》なほど耳《みみ》に残《のこ》った。



「荒《あら》ぶるもの、ここに留《とど》まれ」



 その声《こえ》とともに、場《ば》の空気《くうき》はぴたりと止《と》まる。


 中央《ちゅうおう》に、ミナギが立《た》つ。



 タヅマが問《と》う。



「兵《へい》たちよ、王《おう》の位《くらい》に従《したが》うか」



 次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》。



 ――ドン、と一度《いちど》。


 槍《やり》の石突《いしづき》が床《ゆか》を打《う》った。


 その音《おと》は、ただの衝撃《しょうげき》ではない。


 人々(ひとびと)の決意《けつい》そのもののように、広間《ひろま》へ響《ひび》き渡《わた》った。



 タヅマは奥《おく》へ下《さ》がり、やがて戻《もど》ってくる。


 その手《て》には、布《ぬの》に包《つつ》まれたものがあった。


 空気《くうき》がわずかに震《ふる》え、場《ば》の気配《けはい》が変《か》わる。



 布《ぬの》が解《ほど》かれる。


 現《あらわ》れたのは、まっすぐではない、波打《なみう》つ刃《やいば》。


 見《み》てはいけないものを見《み》ているような、不思議《ふしぎ》な迫力《はくりょく》に、アサは思《おも》わず息《いき》を呑《の》んだ。



「これぞ――那岐蛇《なぎのおろち》」



 タヅマが告《つ》げる。


 その名《な》を与《あた》えられた瞬間《しゅんかん》、それはただの剣《けん》ではなくなった。



「柄《え》を握《にぎ》り、刃《やいば》は神《かみ》のままに」



 ミナギが前《まえ》へ進《すす》み出《で》る。


 一歩《いっぽ》。


 また一歩《いっぽ》。


 静《しず》かで迷《まよ》いのない足取《あしど》りだった。


 歩《あゆ》みを進《すす》めるほど、剣《けん》の異様《いよう》さがかえって際立《きわだ》っていく。



 ミナギは柄《え》だけを握《にぎ》り、刃《やいば》を胸元《むなもと》へ静《しず》かに添《そ》えた。


 タヅマの手《て》が離《はな》れる。


 その瞬間《しゅんかん》、空気《くうき》はいっそう張《は》り詰《つ》めた。



「――鎮《しず》める者《もの》、今《いま》ここに在《あ》り」



 誰《だれ》も声《こえ》を上《あ》げない。


 ただ息《いき》を潜《ひそ》め、見守《みまも》る。

 


 ミナギは剣《けん》を掲《かか》げることなく、静《しず》かに立《た》っていた。



 そのとき――


 梁《はり》の隙間《すきま》から差《さ》し込《こ》んだ一筋《ひとすじ》の光《ひかり》が、ミナギを照《て》らした。


 長衣《ながぎぬ》の裾《すそ》が淡《あわ》く光《ひか》り、胸元《むなもと》の勾玉《まがたま》が静《しず》かに輝《かがや》きを返《かえ》す。



 しばしの沈黙《ちんもく》のあと。


 ミナギは静《しず》かに口《くち》を開《ひら》いた。



「我《わ》が刃《やいば》は、民《たみ》の安寧《あんねい》のために振《ふ》るわれる」



 剣《けん》を胸元《むなもと》へ軽《かる》く押《お》し当《あ》てる。



「――これより先《さき》、誰《だれ》も恐《おそ》れることはない。共《とも》に進《すす》もう。我等《われら》の国《くに》を守《まも》るために」



 広間《ひろま》の空気《くうき》はいっそう張《は》り詰《つ》める。


 呼吸《こきゅう》の音《おと》さえ、はっきり聞《き》こえるほどだった。



 そして次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》。


 槍《やり》の柄《え》を打《う》つ音《おと》。


 盾《たて》を叩《たた》く音《おと》。


 低《ひく》い声《こえ》がひとつ、またひとつと重《かさ》なり、広間《ひろま》を満《み》たしていく。


 兵《へい》も臣下《しんか》も、一斉《いっせい》に声《こえ》を上《あ》げた。


 旗《はた》が大《おお》きく揺《ゆ》れる。



「ミナギ王《おう》、ここに在《あ》り!」



「我等《われら》が王《おう》!」



 跳《は》ね返《かえ》る光《ひかり》が、ミナギの姿《すがた》を照《て》らす。




 アサの胸《むね》は自然《しぜん》と高鳴《たかな》った。


 息《いき》を呑《の》み、彼《かれ》の背負《せお》うものの重《おも》さを感《かん》じながら、アサはただ静《しず》かに見守《みまも》っていた。



 その視線《しせん》の先《さき》で。


 王《おう》となったミナギは、揺《ゆ》るぎなく立《た》っていた。


 国《くに》を託《たく》される者《もの》としての威厳《いげん》と、決《けっ》して揺《ゆ》らぐことのない覚悟《かくご》。


 それを、この場《ば》にいる誰《だれ》もが理解《りかい》していた。




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