王威
息をするのもためらわれるほど、広間は重く静まり返っていた。
これほど多くの人々が集まっているにもかかわらず、衣擦れの音さえ浮き上がるように聞こえる。
余計な音は、すべて削ぎ落とされたようだった。
本来、王の即位とは――時をかけ、神を招き、国の内外に示す大儀である。
だが今、この国にそれを許す余裕はなかった。
「名目ではなく、早急に、真に国を束ねる王を立てねば、国が持ちませぬ」
タヅマのその一言が、すべてを決めた。
戦の火種はまだ残り、民は各地へ流れている。
あらゆる判断と命は、一人へと集まっていた。
すでに国は、ミナギを王として動いている。
ならば――それに形を与えるしかない。
こうして、即位の儀は急ぎ整えられた。
削がれた手順。
簡略された祭祀。
それでも、ここに集う者たちは理解している。
これは仮の儀ではない。
この瞬間から、王は定まるのだと。
アサは列の後ろに控えていた。
まだ体調は万全ではない。
体の重みを柱に預けるようにして立ち、目だけはひたすら前方へ向けていた。
ミナギが一歩、ゆっくりと進み出る。
白の長衣の下には、濃い藍色の中衣が重ねられている。
袖と襟には細かな文様が巡り、腰には幅広の朱い帯が締められていた。
長く垂れた飾り紐は、歩みに合わせて静かに揺れる。
胸元には、勾玉や管玉を連ねた首飾りが幾重にも重なっていた。
ひとつひとつが、淡い光を返している。
その姿は、ただ豪華なだけではなかった。
王としての威と、祭祀を司る力そのものが、形となって現れているかのようだった。
歩みは静かだ。
しかし、その場にいる全員の視線を引き寄せるような力があった。
タヅマが一歩前へ出る。
低く澄んだ声が、広間を満たした。
「ここに、王の位を定めん」
香が焚かれる。
強すぎることのない穏やかな香りが、ゆっくりと広がっていく。
床へ静かに注がれた酒の音は小さい。
だが、不思議なほど耳に残った。
「荒ぶるもの、ここに留まれ」
その声とともに、場の空気はぴたりと止まる。
中央に、ミナギが立つ。
タヅマが問う。
「兵たちよ、王の位に従うか」
次の瞬間。
――ドン、と一度。
槍の石突が床を打った。
その音は、ただの衝撃ではない。
人々の決意そのもののように、広間へ響き渡った。
タヅマは奥へ下がり、やがて戻ってくる。
その手には、布に包まれたものがあった。
空気がわずかに震え、場の気配が変わる。
布が解かれる。
現れたのは、まっすぐではない、波打つ刃。
見てはいけないものを見ているような、不思議な迫力に、アサは思わず息を呑んだ。
「これぞ――那岐蛇」
タヅマが告げる。
その名を与えられた瞬間、それはただの剣ではなくなった。
「柄を握り、刃は神のままに」
ミナギが前へ進み出る。
一歩。
また一歩。
静かで迷いのない足取りだった。
歩みを進めるほど、剣の異様さがかえって際立っていく。
ミナギは柄だけを握り、刃を胸元へ静かに添えた。
タヅマの手が離れる。
その瞬間、空気はいっそう張り詰めた。
「――鎮める者、今ここに在り」
誰も声を上げない。
ただ息を潜め、見守る。
ミナギは剣を掲げることなく、静かに立っていた。
そのとき。
梁の隙間から差し込んだ一筋の光が、ミナギを照らした。
長衣の裾が淡く光り、胸元の勾玉が静かに輝きを返す。
しばしの沈黙のあと。
ミナギは静かに口を開いた。
「我が刃は、民の安寧のために振るわれる」
剣を胸元へ軽く押し当てる。
「――これより先、誰も恐れることはない。
共に進もう。
我等の国を守るために」
広間の空気はいっそう張り詰める。
呼吸の音さえ、はっきり聞こえるほどだった。
そして次の瞬間。
槍の柄を打つ音。
盾を叩く音。
低い声がひとつ、またひとつと重なり、広間を満たしていく。
兵も臣下も、一斉に声を上げた。
旗が大きく揺れる。
「ミナギ王、ここに在り!」
「我等が王!」
跳ね返る光が、ミナギの姿を照らす。
アサの胸は自然と高鳴った。
息を呑み、彼の背負うものの重さを感じながら、アサはただ静かに見守っていた。
その視線の先で。
王となったミナギは、揺るぎなく立っていた。
国を託される者としての威厳と、決して揺らぐことのない覚悟。
それを、この場にいる誰もが理解していた。




