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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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懐抱




 部屋《へや》には、静《しず》かな空気《くうき》が満《み》ちている。


 アサは、寝台《しんだい》の上《うえ》に身《み》を起《お》こしていた。


 まだ身体《からだ》は重《おも》いが、意識《いしき》ははっきりしている。



 ミナギはアサの向《む》かいに座《ざ》し、じっとその様子《ようす》を見《み》つめている。



「……少《すこ》し、聞《き》いてもいいか」



 低《ひく》く落《お》ち着《つ》いた声《こえ》。 



「無理《むり》にとは言《い》わない。ただ、知《し》っておきたい」



 アサは瞬《まばた》きをひとつして、こくりと頷《うなず》いた。 



 わずかに息《いき》を整《ととの》え、言葉《ことば》を選《えら》ぶように口《くち》を開《ひら》く。



「――あの日《ひ》」

 


 ゆっくりとした語《かた》り出《だ》し。



「……森《もり》の様子《ようす》が変《へん》だったの」



 アサの目《め》は、少《すこ》し遠《とお》くを見《み》ていた。



「風《かぜ》の音《おと》が、いつもと違《ちが》っていて、葉《は》の擦《す》れる音《おと》も、どこか落《お》ち着《つ》かなくて……」



 ミナギは口《くち》を挟《はさ》まず、ただ聞《き》く。



「それで……煙《けむり》の匂《にお》いがして」



 指先《ゆびさき》が、膝《ひざ》の上《うえ》でわずかに動《うご》く。



「嫌《いや》な感《かん》じがして、急《いそ》いで戻《もど》って……そしたら――村《むら》は、もう燃《も》えてた」



 ミナギの表情《ひょうじょう》が強張《こわば》る。



「家《いえ》も、道《みち》も……見《み》えるものは、ほとんど全部《ぜんぶ》」



 言葉《ことば》を選《えら》びながら、淡々(たんたん)と続《つづ》ける。

 


「真《ま》っ赤《か》で、煙《けむり》が立《た》ち込《こ》めていて……」



 ほんの一瞬《いっしゅん》、声《こえ》が細《ほそ》くなる。


 だが、すぐに戻《もど》る。



「狗奴国《くなこく》の人《ひと》たちが来《き》ていたの」



 視線《しせん》がわずかに下《さ》がる。



「盾《たて》と槍《やり》を持《も》って、村《むら》の中《なか》を進《すす》んでた――」



 言葉《ことば》が止《と》まりかける。


 だが、アサは続《つづ》けた。



「途中《とちゅう》で、見《み》つかって……」



 息《いき》が浅《あさ》くなる。



「倒《たお》された」



 簡潔《かんけつ》に。


 それ以上《いじょう》は語《かた》らない。


 だが、それで十分《じゅうぶん》だった。 


 ミナギの指《ゆび》が、わずかに力《ちから》を帯《お》びる。



「そのとき、母様《かあさま》が来《き》てくれたの」



 アサの声《こえ》は、わずかに柔《やわ》らぐ。



「短刀《たんとう》で、その人《ひと》を刺《さ》して……でもすぐに、槍《やり》で刺《さ》されて――」



 静《しず》かに落《お》ちる言葉《ことば》。

 


「……その場《ば》で、倒《たお》れた」



 沈黙《ちんもく》。


 アサは自分《じぶん》の胸元《むなもと》に触《ふ》れる。



「これを、渡《わた》されたの」



 指先《ゆびさき》に触《ふ》れる赤《あか》い瑪瑙《めのう》。



「最後《さいご》に……『生《い》きて』って」



 その言葉《ことば》だけは、少《すこ》しだけ強《つよ》く響《ひび》いた。



 ミナギは何《なに》も言《い》わない。


 言《い》えない。


 アサは続《つづ》ける。



「だから、逃《に》げたの」



 視線《しせん》は、もう過去《かこ》ではなく前《まえ》を見《み》ている。



「森《もり》を抜《ぬ》けて……どこに行《い》けばいいかも分《わ》からなかったけど」



 小《ちい》さく息《いき》を吐《は》く。



「止《と》まったらいけない気《き》がして」



 わずかに目《め》を伏《ふ》せる。



「――気《き》づいたときには、ミナギがいた」




 語《かた》り終《お》える。


 部屋《へや》に静寂《せいじゃく》が戻《もど》る。

 


 ミナギは目《め》を閉《と》じた。



 ――わかっていた。



 あの時《とき》、森《もり》で倒《たお》れていたアサを見《み》つけた時点《じてん》で、彼女《かのじょ》の身《み》に何《なに》が起《お》きたのかは、ある程度《ていど》察《さっ》しがついていた。


 だが、言葉《ことば》として聞《き》かされると、重《おも》みが違《ちが》う。



 ミナギはゆっくりと息《いき》を吸《す》い、目《め》を開《あ》ける。


 そして言《い》った。



「……俺《おれ》のせいだ」



 アサが顔《かお》を上《あ》げる。



「戦《いくさ》を仕掛《しか》けたのは、こちらだ」



 低《ひく》く、確《たし》かな声《こえ》。



「狗奴国《くなこく》が動《うご》いたのも、その応酬《おうしゅう》だ」



 一瞬《いっしゅん》の間《ま》。



「……引《ひ》き金《がね》を引《ひ》いたのは――投馬国《とうまこく》だ」



 空気《くうき》が張《は》り詰《つ》める。 


 アサは黙《だま》って、その言葉《ことば》を受《う》け止《と》めた。



「謝《あやま》って済《す》む話《はなし》ではない、だが――」



 言葉《ことば》の合間《あいま》に、かすかに顔《かお》が歪《ゆが》む。



「それでも言《い》わせてくれ」



 低《ひく》く、押《お》し出《だ》すような声《こえ》。 

 


「――すまない」



 そう言《い》って、ミナギは、そのまま深《ふか》く頭《あたま》を下《さ》げた。



 それは、王《おう》としての謝罪《しゃざい》ではなかった。


 ただの、一人《ひとり》の人間《にんげん》としての言葉《ことば》だった。  


 重《おも》く、逃《に》げのない言葉《ことば》。

 


 再《ふたた》び、静寂《せいじゃく》。



 顔《かお》を上《あ》げると、アサは、きょとんとした顔《かお》をしていた。


 ミナギの眉《まゆ》が、わずかに寄《よ》る。



「違《ちが》うよ」



 はっきりと、しかし穏《おだ》やかな声《こえ》だった。

 


「村《むら》が焼《や》かれたことも、母様《かあさま》が殺《ころ》されたことも――」



 言葉《ことば》を選《えら》ぶように、丁寧《ていねい》に続《つづ》ける。



「ミナギのせいじゃないよ」



「……なぜ――」



 思《おも》わず言《い》いかけて、ミナギは言葉《ことば》を止《と》める。


 アサの目《め》が、あまりにもまっすぐだったからだ。



「だって」



 アサは、ごく自然《しぜん》に続《つづ》ける。



「ミナギは、守《まも》る人《ひと》でしょ?」



 その言葉《ことば》に、ミナギの呼吸《こきゅう》が止《と》まる。



「全部《ぜんぶ》を守《まも》ろうとする人《ひと》が、壊《こわ》す人《ひと》になるわけないよ」



 根拠《こんきょ》はない。


 ただ、信《しん》じている。


 それだけだった。



 ミナギは言葉《ことば》を失《うしな》う。


 反論《はんろん》はいくらでも思《おも》いつく。 


 守《まも》れなかった現実《げんじつ》も、失《うしな》われた命《いのち》も、すべて並《なら》べ立《た》てることができる。



 しかし。


 目《め》の前《まえ》の少女《しょうじょ》は、それを問題《もんだい》にしていない。



 責《せ》められるでもなく、赦《ゆる》されるでもなく――


 ただ、信《しん》じられている。


 それだけが、重《おも》い。



 ミナギはわずかに視線《しせん》を逸《そ》らし、息《いき》を吐《は》いた。



(……参《まい》ったな)



 やがて、苦《にが》く笑《わら》う。


 喉《のど》の奥《おく》に引《ひ》っかかっていた言葉《ことば》が、形《かたち》にならない。


 責任《せきにん》を引《ひ》き受《う》ける覚悟《かくご》はあった。


 責《せ》めを受《う》ける覚悟《かくご》もあった。



 だが――


 信《しん》じられる覚悟《かくご》は、なかった。


 

 ゆっくりと顔《かお》を上《あ》げる。


 アサは、変《か》わらずこちらを見《み》ている。


 静《しず》かで、まっすぐな目《め》。


 その奥《おく》にあるものは、哀《あわ》れみでも同情《どうじょう》でもない。



 ただの、信頼《しんらい》。



 それが、何《なに》よりも重《おも》い。



「――困《こま》るな」



 ぽつりと、零《こぼ》す。


 アサが、わずかに首《くび》を傾《かし》げる。



「そんな風《ふう》に言《い》われると」 



 ミナギは目《め》を細《ほそ》めた。


 アサは、不思議《ふしぎ》そうに瞬《まばた》きをする。


 その様子《ようす》に、ミナギはさらに苦笑《くしょう》を深《ふか》めた。



(本当《ほんとう》に……)



 この少女《しょうじょ》は、自分《じぶん》が何《なに》をしているのか分《わ》かっていない。



 責《せ》めるでもなく。


 赦《ゆる》すでもなく。


 ただ、ありのままを見《み》て、決《き》めつける。



 ――お前《まえ》は、そういう人間《にんげん》だと。



 その無垢《むく》さが、逃《に》げ道《みち》を奪《うば》う。


 ミナギは、ゆっくりと手《て》を伸《の》ばし――


 そっと、アサの頭《あたま》に手《て》を置《お》いた。


 柔《やわ》らかな髪《かみ》の感触《かんしょく》が、掌《てのひら》に伝《つた》わる。



「……なら、せめて――」



 低《ひく》く、静《しず》かな声《こえ》。



「お前《まえ》の見《み》ている俺《おれ》に、近《ちか》づけるようにはする」



 アサは、その言葉《ことば》を聞《き》いて、満足《まんぞく》したように笑《わら》う。



「うん」 



 肯定《こうてい》でも、励《はげ》ましでもない。


 ただの受容《じゅよう》。



 ミナギは静《しず》かに目《め》を伏《ふ》せた。


 逃《に》げられない。


 もう、逃《に》げる気《き》も起《お》きない。


 この少女《しょうじょ》の瞳《ひとみ》に刻《きざ》まれた己《おのれ》からも。



 そして――



 己《おのれ》という存在《そんざい》の在《あ》り様《さま》からも。





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