流れ
火がひとつ、小さく爆ぜた。
その音に紛れて、低く柔らかい声が響く。
「それ、面白い飾りだな」
顔を上げると、いつの間にか輪から離れたミナギがアサの前に立っていた。
ミナギの視線をたどると、それとは、どうやらアサの耳飾りを指しているようだった。
「自分で作ったのか?」
アサは、こくりと頷く。
「よければ、見せてもらってもいいか?」
そのひと声に、アサの胸は小さく跳ね、手は耳飾りに触れたまま固まる。
「うん」
なんとかそう絞り出すと、ミナギは軽く笑みを浮かべ、アサの隣に自然に腰を下ろした。
身を乗り出してアサの耳飾りを覗き込む。
――距離が近すぎる。
耳元を覗き込まれる感覚が、アサの胸を高鳴らせる。
ミナギはそれを意に介さぬように、真剣に飾りを見つめている。
「細かいところまで丁寧に作ってある。器用だな」
微かに笑う吐息が耳元に届き、アサは思わず息を呑む。
「この彫りの紋様には、どういう意味がある?」
耳飾りの小さな紋様、それは――――
「村のはずれにある岩に刻まれてるんだ。意味はよく知らないけど、昔から魔よけになるって教わってる」
ミナギは黙って、耳飾りを見つめたまま少し傾く。
「――なるほど」
声は静かだが、微かに含みがあるように感じられた。
いつの間にか、宴の喧騒は遠ざかっていた。
目の前の焚き火は、小さく、低く燃えている。
煙はほとんど立たず、闇の中に溶けていた。
ミナギは背負っていた籠を下ろすと、その中からいくつかのものを取り出した。
石。
骨。
乾いた枝。
どれも形は不揃いで、何の変哲もないものであった。
だが彼は、それらをひとつひとつ、確かめるように指先でなぞった。
アサは、その手元をじっと見ていた。
「それで、何をするの?」
ミナギは答えず、まず地面をならした。
掌で土を押し、円を描くようにして、表面の凹凸を消していく。
やがてそこには、滑らかな土の面が現れた。
彼は指で、その上に線を引いた。
十字。
さらに斜めの線を重ねる。
「これは、何」
「場だ」
ミナギは短く言った。
石を三つ、円の外へ。
骨を二本、中央で交差させる。
枝を一本、十字に横たえる。
その配置には、ためらいがなかった。
アサは、その順序を見ていた。
置かれる場所が、あらかじめ決まっているかのようであった。
「明日の天気を占ってやろう」
そう言って口元を緩めた。
――挑戦的に笑うように。
アサがわずかに目を見開く。
ミナギは目を閉じた。
火の明かりがまぶたの上で揺れる。
しばらく何も起こらない。
やがて呼吸が変わる。
吸い、止め、吐く。
その間に、言葉にならぬ声が混じる。
空気が、わずかに重くなった。
ミナギは目を開き、骨を弾いた。
乾いた音を立てて回り、止まる。
石を押す。
転がり、線に触れて止まる。
枝は動かさない。
彼は、それらを見た。
長く――深く。
「何が見えるの」
アサは問うた。
「流れだ」
「流れ?」
「来るものと、去るものの道だ」
ミナギは骨をそっと手に取り、火の光にかざした。
「これは、折れるものだ」
骨の先端を指でなぞりながら、彼は静かに言った。
「折れる…?」
アサは首をかしげる。
「骨が折れるとき、流れが切れる。つまり、急に変わる。雨や風、嵐のように不安定なものだ」
アサはその言葉を胸に刻むように頷いた。
次にミナギは石を押した。
土の上で転がり、線に触れて止まる。
「これは残る。安定したものだ。日が差す時間、晴れ間、ずっと続く穏やかさ――そんなものを表す」
最後に枝を見た。
動かさず、そっと触れるだけである。
「そして枝は、呼ぶもの。流れを誘い、動きを生む。霧の立ち方や風の向き、雲の流れのように、天気を動かすものだ」
アサは火の揺らめきと森の静けさの中で、骨・石・枝が語る意味を思い描いた。
「つまり、明日の天気は――明け方には急な変化があり、昼間には安定した晴れ間が訪れる。その間に、霧や風がちょっとした変化をもたらす…」
ミナギは不敵に笑う。
「見えたものを理解し、流れを読む。それが呪いだ」
アサは目を輝かせ、思わず息を漏らした。
「すごい…」
ミナギはそんなアサを見つめ、優しく微笑んだ。
「やってみるか?」
その声は静かで、けれど誘うように響いた。
「…うん、やってみたい…」
アサは頷いた。
胸の奥がざわめき、手が震える。
ミナギは場所を譲った。
アサは、同じように地面に触れた。
だが土はうまくならなかった。
指の跡が残り、線は歪んだ。
それでも、彼女は線を引いた。
石を置いた。
骨を置いた。
枝を置いた。
順序は、覚えていた。
「目を閉じて」
言われるままに、アサは目を閉じた。
暗闇の中で、火の赤が揺れていた。
彼女は呼吸を整えようとした。
だが、うまくいかなかった。
胸の奥がざわつき、何かが動いていた。
「言葉は、外へ出さない」
ミナギの声がした。
「内に置くんだ」
アサは、声を出さずに同じ言葉を繰り返した。
内に置く。
――そのとき、何かが静まった。
骨は違う向きで止まり、石は線を越え、枝はわずかに傾いていた。
ただ、見る。
それらは静止している。
だが彼女には、そこに流れが見えた。
線に沿って、何かが通っていく。
土の上に置かれた石や骨、枝を中心に、微かな光の線が浮かび上がるように見えた。
まるで見えない糸が風に揺れるように、柔らかく、そして確かに流れている。
骨の先端からは鋭く切れるような光の矢が跳ね、石の外側では散る粉のように霧状の光が漂う。
枝の上では、淡くうねる光の渦が小さく回り、周囲の空気を震わせているようだ。
それぞれの動きが、ひとつの秩序ある流れを描き、夜の森の静寂の中で息づいていた。
「…動いてる」
思わず、そう言った。
ミナギは、アサを見た。
「見えたか」
アサは頷いた。
自分が何を見たのかは分からなかった。
これが彼の言う流れなのだろうか。




