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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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再会




 森《もり》の奥深《おくふか》く――


 泥《どろ》にまみれ、血《ち》の匂《にお》いと湿《しめ》った土《つち》の匂《にお》いが混《ま》ざる中《なか》、アサはひっそりと地面《じめん》に身《み》を伏《ふ》せていた。



 何日《なんにち》も森《もり》をさまよい、食《た》べ物《もの》も水《みず》もほとんど口《くち》にしていない。


 皮膚《ひふ》は乾《かわ》き、唇《くちびる》はひび割《わ》れている。


 髪《かみ》は泥《どろ》で固《かた》まり、衣《ころも》には血《ち》の跡《あと》があちこちに残《のこ》っていた。


 呼吸《こきゅう》は荒《あら》く、胸《むね》はかすかに上下《じょうげ》するだけだ。



 もう歩《ある》く力《ちから》もほとんど残《のこ》っていない。


 目《め》の焦点《しょうてん》はぼやけ、周《まわ》りの景色《けしき》も音《おと》も霞《かす》んでいた。


 現実《げんじつ》と夢《ゆめ》の境《さかい》が、少《すこ》しずつ分《わ》からなくなっていく。



 森《もり》のざわめきも、遠《とお》くで続《つづ》く戦《いくさ》の音《おと》も、今《いま》のアサにはほとんど届《とど》かない。



 それでも。



 生《い》きたいという小《ちい》さな力《ちから》だけは、体《からだ》の奥《おく》で消《き》えずに脈打《みゃくう》っていた。



 意識《いしき》は霧《きり》のように薄《うす》れていく。


 世界《せかい》は、今《いま》にも遠《とお》ざかってしまいそうだった。


 視界《しかい》の端《はし》には、光《ひかり》や影《かげ》、揺《ゆ》れる枝《えだ》の姿《すがた》がぼんやりと映《うつ》る。


 時間《じかん》まで重《おも》くなったように、長《なが》く、歪《ゆが》んで流《なが》れていた。



 ――その時《とき》。



 遠《とお》くから鋭《するど》い声《こえ》が響《ひび》いた。



「キィ――ッ」



 薄《うす》れゆく意識《いしき》の中《なか》で、その声《こえ》だけが妙《みょう》にはっきりと聞《き》こえた。



 アサは静《しず》かに目《め》を閉《と》じる。


 そして、そのまま深《ふか》い闇《やみ》へ沈《しず》んでいった。




 ◇




「――アサ!」



 強《つよ》く、迷《まよ》いのない声《こえ》だった。


 風《かぜ》に乗《の》って届《とど》いたその声《こえ》は、遠《とお》い記憶《きおく》のようでいて、確《たし》かに心《こころ》を揺《ゆ》らした。



 重《おも》く閉《と》ざされていた瞼《まぶた》が、かすかに震《ふる》える。


 ゆっくりと目《め》を開《ひら》く。


 視界《しかい》はぼやけていた。


 世界《せかい》の輪郭《りんかく》も曖昧《あいまい》だった。



 それでも――


 こちらへ駆《か》け寄《よ》ってくる人影《ひとかげ》だけは見《み》えた。



 槍《やり》を携《たずさ》えた戦士《せんし》の姿《すがた》。



 ミナギだった。



「しっかりしろ、アサ!」



 再《ふたた》び声《こえ》が響《ひび》く。


 鋭《するど》く、それでいて優《やさ》しい声《こえ》だった。



 ミナギはそっとアサの体《からだ》を抱《だ》き上《あ》げる。


 冷《つめ》たくなった小《ちい》さな体《からだ》を、しっかりと腕《うで》の中《なか》に包《つつ》み込《こ》んだ。



 その温《ぬく》もりに触《ふ》れた瞬間《しゅんかん》、途切《とぎ》れかけていた命《いのち》の感覚《かんかく》が、少《すこ》しずつ戻《もど》ってくる。



 心臓《しんぞう》がかすかに脈《みゃく》を打《う》つ。


 浅《あさ》いながらも、呼吸《こきゅう》が胸《むね》を満《み》たしていく。



「ミナギ……逢《あ》えた――」

 


 かすれた声《こえ》が唇《くちびる》からこぼれた。


 それは苦《くる》しみの果《は》てに、ようやくたどり着《つ》いた喜《よろこ》びの言葉《ことば》だった。


 泥《どろ》と涙《なみだ》で汚《よご》れた顔《かお》が、わずかにほころぶ。


 抱《だ》きしめられた温《ぬく》もりが、自分《じぶん》は助《たす》かったのだと教《おし》えてくれていた。



「――よく耐《た》えたな、アサ。もう大丈夫《だいじょうぶ》だ」



 低《ひく》く落《お》ち着《つ》いた声《こえ》が耳《みみ》に届《とど》く。


 その言葉《ことば》を聞《き》いた瞬間《しゅんかん》、アサの体《からだ》はようやく理解《りかい》した。



 もう戦《たたか》わなくていい。


 もう逃《に》げなくていいのだと。



 張《は》りつめていた意識《いしき》が、ゆっくりとほどけていく。



 アサはミナギの胸《むね》に顔《かお》を寄《よ》せた。


 深《ふか》く息《いき》を吐《は》く。


 そして安心《あんしん》に包《つつ》まれながら、力尽《ちからつ》きるように静《しず》かに目《め》を閉《と》じた。



 ――アサの意識《いしき》は、再《ふたた》び穏《おだ》やかな闇《やみ》の中《なか》へ沈《しず》んでいった。




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