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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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因果




 森《もり》を駆《か》け抜《ぬ》ける足音《あしおと》は、もはや自分《じぶん》のものだという実感《じっかん》さえなかった。


 泥《どろ》を踏《ふ》みしめ、根《ね》を飛《と》び越《こ》え、枝《えだ》の間《あいだ》を縫《ぬ》う。


 そのたびに視界《しかい》が細《こま》かく揺《ゆ》れた。



 それでもミナギは、すべてを押《お》し分《わ》けるようにして、前《まえ》へ進《すす》んでいた。



 矢《や》が空《そら》を裂《さ》く音《おと》。


 盾《たて》が受《う》け止《と》める鈍《にぶ》い衝撃《しょうげき》。


 誰《だれ》かの叫《さけ》びが、途中《とちゅう》で途切《とぎ》れる。



 いくつもの音《おと》が重《かさ》なり、森《もり》そのものが痛《いた》みを上《あ》げているようだった。




 やがて、その先《さき》で視界《しかい》が開《ひら》けた。



 そして――見《み》えた。



 最初《さいしょ》は、それが何《なん》なのか分《わ》からなかった。



 泥《どろ》にまみれた身体《からだ》。


 折《お》れた枝《えだ》。


 踏《ふ》み荒《あ》らされた草《くさ》。

 


 戦《いくさ》の中《なか》では、どれも珍《めずら》しいものではない。

 


 けれど。


 その身体《からだ》だけが、妙《みょう》に動《うご》かなかった。


 ミナギの足《あし》が止《と》まる。


 遅《おく》れて、その顔《かお》が見《み》えた。



 ――隼比古《はやひこ》。



 胸《むね》の奥《おく》が、わずかに沈《しず》んだ。


 泥《どろ》の上《うえ》に崩《くず》れた身体《からだ》は、もう起《お》き上《あ》がることがない。


 甲冑《かっちゅう》は大《おお》きく歪《ゆが》んでいた。


 肩《かた》から胸《むね》にかけて、泥《どろ》と血《ち》が黒《くろ》く重《かさ》なっている。


 あれほど大《おお》きく見《み》えていた身体《からだ》が、今《いま》は地面《じめん》に沈《しず》んでいた。



 そして――


 首筋《くびすじ》には、一本《いっぽん》の矢《や》が突《つ》き立《た》っている。



 ミナギは、そこから目《め》を離《はな》せなかった。


 矢《や》は深《ふか》く入り込《こ》み、逃《に》げる余地《よち》など、どこにも残《のこ》していない。


 ただ矢羽根《やばね》だけが、風《かぜ》に揺《ゆ》れていた。



 ほんの少《すこ》し。


 かすかに。


 まるで、生《い》きているもののように。



 けれど、その下《した》にある隼比古《はやひこ》は、もう動《うご》かない。



 声《こえ》を上《あ》げていた男《おとこ》。


 自分《じぶん》の強《つよ》さを誇《ほこ》り、周《まわ》りを押《お》しのけるように前《まえ》へ進《すす》んでいた男《おとこ》。



 その姿《すがた》は、もうどこにもなかった。




「……隼比古《はやひこ》」



 声《こえ》が、自分《じぶん》の喉《のど》から出《で》たものなのか分《わ》からなかった。


 呼《よ》んだというより、名前《なまえ》の形《かたち》だけが、口《くち》からこぼれたようだった。



 風《かぜ》が吹《ふ》く。


 その声《こえ》をさらっていく。


 遠《とお》くで矢《や》が飛《と》び、盾《たて》が鳴《な》る。


 戦《いくさ》は、何事《なにごと》もなかったかのように続《つづ》いていた。



 ミナギは、しばらく動《うご》かなかった。


 隼比古《はやひこ》との間《あいだ》には、深《ふか》い溝《みぞ》があった。



 兄《あに》と弟《おとうと》。



 ただそれだけで結《むす》ばれているには、二人《ふたり》の間《あいだ》には、あまりにも多《おお》くのものがありすぎた。



 だからといって――


 胸《むね》がすくこともない。


 憎《にく》しみが消《き》えることもない。


 ただ、そこに死《し》がある。


 それを見《み》ている。


 それだけだった。



 けれど。


 心《こころ》の奥《おく》には、ひとつだけ、冷《つめ》たい確信《かくしん》が残《のこ》った。



 ――因果《いんが》は、偶然《ぐうぜん》ではない。



 父《ちち》を殺《ころ》したこと。


 王《おう》の座《ざ》を奪《うば》ったこと。


 国《くに》を乱《みだ》したこと。


 そして、この戦《いくさ》を生《う》んだこと。



 そのすべての先《さき》に、今《いま》の隼比古《はやひこ》がいる。

 


 しばらくして、ミナギは隼比古《はやひこ》から目《め》を離《はな》した。


 その瞬間《しゅんかん》。


 胸《むね》の奥《おく》に沈《しず》んでいた重《おも》さが、少《すこ》しだけ形《かたち》を変《か》えた。

  


 隼比古《はやひこ》の死《し》。


 それは、もう変《か》わらない。



 ならば――


 次《つぎ》を考《かんが》えなければならない。



 ミナギは顔《かお》を上《あ》げた。


 木々(きぎ)の向《む》こうでは、兵《へい》たちがぶつかり合《あ》っている。


 誰《だれ》かが倒《たお》れた。


 別《べつ》の誰《だれ》かが、その横《よこ》を駆《か》け抜《ぬ》けていく。



 矢《や》が飛《と》ぶ。


 土《つち》が跳《は》ねる。


 怒号《どごう》が森《もり》を揺《ゆ》らす。



 戦《いくさ》は、まだ終《お》わっていない。


 森《もり》の向《む》こうでは、戦場《せんじょう》がなお動《うご》き続《つづ》けている。



 むしろ――


 崩《くず》れは、これから広《ひろ》がる。


 まだ、選《えら》ばなければならない。


 ミナギは、再《ふたた》び戦場《せんじょう》へと目《め》を向《む》けた。







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