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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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宇良




 廊下《ろうか》の淡《あわ》い篝火《かがりび》が揺《ゆ》れる中《なか》、ミナギの足音《あしおと》が静《しず》かに響《ひび》く。


 背後《はいご》から、かすかに布擦《きぬず》れの音《おと》がした。


 振《ふ》り返《かえ》ると、宇良《うら》が立《た》っていた。



「お久《ひさ》しぶりでございます、ミナギ様《さま》」



 一見《いっけん》すると美《うつく》しく、柔《やわ》らかい物腰《ものごし》。


 光《ひかり》を受《う》けて微《かす》かに揺《ゆ》れる黒髪《くろかみ》が、静《しず》かに胸元《むなもと》に落《お》ちている。


 だが、その穏《おだ》やかな微笑《びしょう》の奥《おく》に、計《はか》り知《し》れぬ深《ふか》さと冷《つめ》たさが潜《ひそ》んでいる。



「……ああ」



 ミナギは一言《ひとこと》だけ返《かえ》す。



 底知《そこし》れぬ女《おんな》だ、と改《あらた》めて感《かん》じる。



「このところはご多忙《たぼう》でいらしたようですね」



 宇良《うら》の声色《こわいろ》は柔《やわ》らかい。



 しかし。



「一年《いちねん》も旅《たび》にお出《い》でとは──」

 


 その言葉《ことば》は社交辞令《しゃこうじれい》のようで、同時《どうじ》に皮肉《ひにく》にも思《おも》える。



 表面的《ひょうめんてき》には穏《おだ》やかに振《ふ》る舞《ま》いつつも、いつも微妙《びみょう》に挑発《ちょうはつ》するような響《ひび》きがある。

 


「一年《いちねん》か……気《き》づけば、そう長《なが》くなっていたな」

 


 ミナギは軽《かる》く肩《かた》をすくめ、微《かす》かな笑《え》みを浮《う》かべる。



「外《そと》の空気《くうき》は、変《か》わらず面白《おもしろ》かった。投馬国《とうまこく》の空気《くうき》も悪《わる》くないが、少々(しょうしょう)窮屈《きゅうくつ》でな」

 


 その言《い》い回《まわ》しは、宇良《うら》の皮肉《ひにく》をそっと返《かえ》すかのようでもある。

 


「ハヤトは息災《そくさい》か」



 ハヤトとは、兄《あに》・隼比古《はやひこ》と宇良《うら》との間《あいだ》の、今年《ことし》六歳《ろくさい》になる子供《こども》だ。 


 ミナギにとっては甥《おい》にあたる。


 その小《ちい》さな存在《そんざい》は、二人《ふたり》の血《ち》を受《う》け継《つ》ぎながらも、どこか無邪気《むじゃき》で伸《の》びやかだった。


 天真爛漫《てんしんらんまん》な笑顔《えがお》と明《あか》るさは、ミナギの胸《むね》に自然《しぜん》と愛惜《あいせき》の情《じょう》を呼《よ》び起《お》こす。



 宇良《うら》は微《かす》かに笑《え》みを浮《う》かべ、答《こた》える。



「お陰様《かげさま》にございます。日々(ひび)いたずら盛《ざか》りながらも、健《すこ》やかに過《す》ごしております」



 そう言《い》って、上品《じょうひん》に手《て》を口元《くちもと》に当《あ》てて、ホホホと笑《わら》った。



「貴方様《あなたさま》のお帰《かえ》りを心待《こころま》ちにしておりましたのよ。『叔父上《おじうえ》はいつお戻《もど》りになるのか』と。そればかり」



 ミナギは、ハヤトのくるくると表情《ひょうじょう》を変《か》える愛《あい》らしい様子《ようす》を思《おも》い浮《う》かべ、思《おも》わず柔《やわ》らかな笑《え》みを零《こぼ》した。


 その微笑《びしょう》を受《う》け止《と》めるように、宇良《うら》はふと表情《ひょうじょう》を落《お》ち着《つ》かせた。



「──お義父上《ちちうえ》は、大変《たいへん》残念《ざんねん》でございました……」



 悲《かな》しみに沈《しず》むかのような声色《こわいろ》と、柔《やわ》らかく伏《ふ》せた視線《しせん》。



 だが、どこか演技《えんぎ》めいている――


 そのわずかな違和感《いわかん》が、ミナギの警戒心《けいかいしん》を鋭《するど》く刺激《しげき》した。


 微《かす》かに口元《くちもと》を引《ひ》き締《し》め、瞳《ひとみ》の奥《おく》で冷《つめ》たい光《ひかり》を走《はし》らせる。



「……嘆《なげ》かわしいことだ」



 声《こえ》は平静《へいせい》を装《よそお》いながらも、心《こころ》の奥《おく》では確《たし》かな疑念《ぎねん》が芽生《めば》えていた。



 淡《あわ》い灯火《ともしび》の下《した》で、宇良《うら》の仕草《しぐさ》のひとつひとつが、過剰《かじょう》に整《ととの》いすぎているように感《かん》じた。




 ふと、宇良《うら》の視線《しせん》が廊下《ろうか》の奥《おく》へと滑《すべ》った。


 奥《おく》の広間《ひろま》からは、まだ熱《ねつ》を帯《お》びた声《こえ》の余韻《よいん》がかすかに漏《も》れ聞《き》こえてくる。



 兵《へい》たちの足踏《あしぶ》み、鼓動《こどう》のように重《かさ》なる声《こえ》――


 隼比古《はやひこ》が振《ふ》るった檄《げき》の熱気《ねっき》が、今《いま》もなお廊下《ろうか》を揺《ゆ》らしている。



「――戦《いくさ》が、始《はじ》まるのですね」



 宇良《うら》はそっと息《いき》をつき、声《こえ》を落《お》とす。



 ミナギは揺《ゆ》らいでいた。


 父《ちち》を奪《うば》ったのは本当《ほんとう》に狗奴国《くなこく》なのか――


 戦《いくさ》を避《さ》けたいという思《おも》いが、言葉《ことば》にはならずとも微《かす》かな呼吸《こきゅう》の揺《ゆ》れや肩先《かたさき》の緊張《きんちょう》に現《あらわ》れる。



 宇良《うら》はそんなミナギを、柔《やわ》らかな微笑《びしょう》の奥《おく》に鋭《するど》い観察《かんさつ》の光《ひかり》を隠《かく》して、見《み》つめる。



「ミナギ様《さま》は、戦《いくさ》がお嫌《きら》いのようでございますね」



 その言葉《ことば》は上品《じょうひん》で、微《かす》かに挑《いど》むような響《ひび》きを帯《お》びていた。


 ミナギは視線《しせん》を細《ほそ》め、眉間《みけん》にわずかに皺《しわ》を寄《よ》せる。



「……戦《いくさ》がもたらすものの重《おも》さを案《あん》じているだけだ」



 宇良《うら》は微笑《びしょう》を崩《くず》さず、上品《じょうひん》に手《て》を胸元《むなもと》に添《そ》えたまま、静《しず》かに告《つ》げる。



「その冷静《れいせい》さは、ご立派《りっぱ》でございますわ」



 柔《やわ》らかな声音《こわね》。


 ほんのわずかに目《め》を細《ほそ》めて、彼女《かのじょ》は続《つづ》ける。



「しかし──戦《いくさ》の気配《けはい》はすでに、兵《へい》たちを熱《あつ》く染《そ》め上《あ》げておりますのよ、ミナギ様《さま》」



 それは、冷《つめ》たい現実《げんじつ》を突《つ》きつけるには十分《じゅうぶん》すぎるほど、はっきりとした響《ひび》きを持《も》っていた。


 廊下《ろうか》の奥《おく》からは、相変《あいか》わらず、兵士《へいし》たちの熱意《ねつい》の残滓《ざんし》が滲《にじ》み、鼓舞《こぶ》の声《こえ》の余韻《よいん》が微《かす》かに揺《ゆ》らめく。

 


「……心得《こころえ》ている」



 ミナギの声《こえ》は平静《へいせい》を装《よそお》うが、心中《しんちゅう》では、戦《いくさ》が不可避《ふかひ》である現実《げんじつ》が重《おも》く絡《から》み合《あ》い、胸《むね》に圧《あつ》をかけていた。



 宇良《うら》は少《すこ》し首《くび》を傾《かし》げ、余裕《よゆう》ある微笑《びしょう》を浮《う》かべる。

 


「誰《だれ》もが、抗《あらが》えぬ流《なが》れに身《み》を任《まか》せねばならぬこともありますわ」



 その言葉《ことば》の余白《よはく》には意味深《いみしん》な影《かげ》が潜《ひそ》む。


 ミナギはその微《かす》かな含《ふく》みを読《よ》み取《と》り、体《からだ》がわずかに硬《かた》くなる。



 父《ちち》の死《し》。


 戦《いくさ》の行《ゆ》く末《すえ》。


 そして――宇良《うら》の静《しず》かな視線《しせん》。


 心《こころ》の内《うち》で、それらが絡《から》み合《あ》う。


 廊下《ろうか》の淡《あわ》い灯火《ともしび》の下《した》で、互《たが》いの思惑《しわく》だけが、沈黙《ちんもく》の中《なか》に静《しず》かに浮《う》かび上《あ》がっていた。





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