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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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渦巻く




 ミナギは妾腹《しょうふく》の子であった。



 母《はは》は海《うみ》の民《たみ》の出《で》であった。


 潮《しお》の匂《にお》いをまとい、宮中《きゅうちゅう》のしきたりに縛《しば》られない気質《きしつ》は、王《おう》に強《つよ》く愛《あい》された。



 しかし、運命《うんめい》は残酷《ざんこく》であった。


 母《はは》はミナギを産《う》むや否《いな》や、この世《よ》を去《さ》った。



 遺《のこ》された幼子《おさなご》は病弱《びょうじゃく》で、呼吸《こきゅう》すらも戦《たたか》いのような日々(ひび)を送《おく》ることとなる。


 熱病《ねつびょう》に倒《たお》れるたび、祈《いの》りが捧《ささ》げられ、文字通《もじどお》り命《いのち》をつなぐ儀式《ぎしき》が繰《く》り返《かえ》される。




 やがて五歳《ごさい》を迎《むか》えた頃《ころ》――ミナギは耶馬台国《やまたいこく》の日神呼《ひみこ》の庇護《ひご》のもとに預《あず》けられた。


 幼《おさな》く病弱《びょうじゃく》な彼《かれ》にとって、そこまでの道程《みちのり》は過酷《かこく》を極《きわ》めた。


 護衛《ごえい》や世話役《せわやく》が何人《なんにん》も付き従《つきしたが》い、輿《こし》や背負《せお》いで村《むら》や山道《やまみち》を何日《なんにち》も越《こ》える。



 風《かぜ》の匂《にお》い。


 土《つち》の湿《しめ》り。



 山間《さんかん》の冷気《れいき》が体《からだ》を刺《さ》すように肌《はだ》に触《ふ》れ、疲弊《ひへい》した小《ちい》さな体《からだ》は揺《ゆ》らぎながらも、目的地《もくてきち》に向《む》かって進《すす》んだ。



 ――そうしてたどり着いた耶馬台国《やまたいこく》は、朝日《あさひ》を含《ふく》んだ金色《こんじき》の霧《きり》が山間《さんかん》に漂《ただよ》い、高天《たかま》の原《はら》と呼《よ》ぶに相応《ふさわ》しい荘厳《そうごん》さであった。




 耶馬台国《やまたいこく》での生活《せいかつ》で、彼《かれ》の体《からだ》は少《すこ》しずつ光《ひかり》を取《と》り戻《もど》し、投馬国《とうまこく》の者《もの》たちも驚《おどろ》くほど、以前《いぜん》の虚弱《きょじゃく》な姿《すがた》を忘《わす》れさせるほどに成長《せいちょう》した。


 そして、知識《ちしき》と才覚《さいかく》はみるみる磨《みが》かれ、学《まな》ぶ力《ちから》は尋常《じんじょう》ならざるものとなった。



 教《おし》えられることを瞬時《しゅんじ》に理解《りかい》し、血肉《ちにく》として取《と》り込《こ》む。


 さらに人心《じんしん》を掌握《しょうあく》する天賦《てんぷ》の才《さい》も備《そな》わり、その冷静《れいせい》な視線《しせん》には、未来《みらい》の王《おう》としての器《うつわ》が宿《やど》っていた。




 兄《あに》・隼比古《はやひこ》は本妻《ほんさい》の子《こ》として生《う》まれ、容貌端正《ようぼうたんせい》、武術《ぶじゅつ》の才《さい》もあった。


 しかし内面《ないめん》は高慢《こうまん》で浅慮《せんりょ》、臆病《おくびょう》さを抱《かか》え、他者《たしゃ》への嫉妬《しっと》に支配《しはい》されていた。


 周囲《しゅうい》がミナギの才《さい》を称《たた》えるたび、彼《かれ》の心《こころ》は荒《あ》れ、酒《さけ》と女《おんな》に溺《おぼ》れ、己《おのれ》の存在価値《そんざいかち》を慰《なぐさ》めるしかなかった。


 臣下《しんか》の信頼《しんらい》は薄《うす》く、父《ちち》の寵愛《ちょうあい》は自然《しぜん》とミナギへ傾《かたむ》いていく。


 隼比古《はやひこ》の心《こころ》の中《なか》には、黒々(くろぐろ)とした嫉妬《しっと》と焦燥《しょうそう》が渦巻《うずま》くばかりであった。



 ――ある日《ひ》のこと、隼比古《はやひこ》は父《ちち》の声《こえ》を耳《みみ》にした。


 次《つぎ》の跡目《あとめ》はミナギに譲《ゆず》る、と臣下《しんか》に告《つ》げている。


 胸《むね》の奥《おく》で、彼《かれ》の理性《りせい》は冷《つめ》たく崩《くず》れた。



 その様子《ようす》を見《み》る、后《きさき》・宇良《うら》の影《かげ》があった。


 隼比古《はやひこ》にとって宇良《うら》は愛《あい》する女《おんな》ではなかった。


 自身《じしん》の子《こ》を産《う》み、手駒《てごま》として使《つか》える女《おんな》――


 その価値《かち》だけが、彼女《かのじょ》を見《み》つめる眼差《まなざ》しの理由《りゆう》であった。



 しかし宇良《うら》は、ただ黙《だま》って後《うし》ろに立《た》っているだけの女《おんな》ではなかった。


 そっと隼比古《はやひこ》に近《ちか》づき、囁《ささや》くように言《い》う。



「――時《とき》には、見《み》ているだけでは道《みち》は開《ひら》けぬこともございます」



 柔《やわ》らかな響《ひび》きの裏《うら》に、冷《つめ》たい計算《けいさん》が隠《かく》されているのが、隼比古《はやひこ》には薄々(うすうす)分《わ》かる。


 隼比古《はやひこ》の胸中《きょうちゅう》で黒々(くろぐろ)と渦巻《うずま》くもの。


 その渦《うず》に、宇良《うら》の言葉《ことば》が微《かす》かな熱《ねつ》を注《そそ》ぎ込《こ》む。



「誰《だれ》も気《き》づかぬうちに、流《なが》れを変《か》えられる方《かた》がおられます――まさに、貴方様《あなたさま》のように」



 ――この者《もの》の言《い》う通《とお》りかもしれぬ。



 己《おのれ》ならば、誰《だれ》も気《き》づかぬうちに、流《なが》れを変《か》えることができるのだ。


 背後《はいご》で冷《つめ》たく微笑《ほほえ》む宇良《うら》の視線《しせん》を感《かん》じながら、隼比古《はやひこ》の黒《くろ》い野心《やしん》が、一際《ひときわ》鮮明《せんめい》に膨《ふく》らんでいく。



 そして、暗殺《あんさつ》の計画《けいかく》は瞬《またた》く間《ま》に形《かたち》を得《え》る。


 鹿狩《しかが》りの際《さい》、毒矢《どくや》を射《い》て父《ちち》を討《う》つ――


 鏃《やじり》は狗奴国《くなこく》のものに見《み》せかけ、長年《ながねん》の拮抗関係《きっこうかんけい》にある狗奴国《くなこく》への攻撃《こうげき》を正当化《せいとうか》する。


 隼比古《はやひこ》の心《こころ》は、暗《くら》い昂《たかぶ》りに包《つつ》まれた。




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