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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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13/141

別離




 くるくると、村《むら》の上空《じょうくう》を大《おお》きな鳥《とり》が旋回《せんかい》していた。


 最初《さいしょ》に気《き》づいたのはアサだった。



「――ムスビだ」



 アサが呟《つぶや》く頃《ころ》には、ほとんどの村人《むらびと》たちも空《そら》を仰《あお》いでいた。



 ムスビは、何《なに》かを確《たし》かめるように何度《なんど》も円《えん》を描《えが》き、やがて、ひときわ低《ひく》く降下《こうか》すると、迷《まよ》うことなくミナギの元《もと》へと静《しず》かに舞《ま》い降《お》りた。


 ミナギがわずかに腕《うで》を傾《かたむ》け、ムスビを受《う》け止《と》める。


 誰《だれ》かが、



「おぉ」



 と声《こえ》を上《あ》げた。


 ムスビは、キッ、キッ、キッ、と鋭《するど》く鳴《な》いた。


 何《なに》かを警告《けいこく》するような音《おと》だった。



 その足《あし》には、細《ほそ》く巻《ま》かれたものがあった。


 ミナギの指《ゆび》が、それに触《ふ》れる。



 解《と》く。


 広《ひろ》げる。



 ――その瞬間《しゅんかん》だった。


 空気《くうき》が、変《か》わった。


 ミナギの視線《しせん》が細布《ほそぬの》の上《うえ》で止《と》まり――息《いき》が途切《とぎ》れた。


 目《め》の奥《おく》に揺《ゆ》れる影《かげ》。


 わずかに震《ふる》える唇《くちびる》。


 一瞬《いっしゅん》、世界《せかい》から切《き》り離《はな》されたかのように、立《た》ち尽《つ》くしている。


 言葉《ことば》も動《うご》きも、まるで凍《こお》りついたかのようだ。



 アサは、その様子《ようす》をじっと見《み》つめていた。


 そんな姿《すがた》のミナギを見《み》るのは初《はじ》めてだった。



「……どうしたの?」



 問《と》いかける声《こえ》は、思《おも》った以上《いじょう》に小《ちい》さく、頼《たよ》りなかった。



 ミナギはすぐには答《こた》えない。


 確《たし》かめるようにゆっくりと息《いき》を吐《は》く。



 やがて、ミナギは顔《かお》を上《あ》げた。



「――国《くに》に、戻《もど》らなければならない」



 ミナギの言葉《ことば》にアサは一瞬《いっしゅん》、世界《せかい》の音《おと》が遠《とお》のいたかのように感《かん》じた。



 鳥《とり》の声《こえ》も。


 風《かぜ》の音《おと》も。


 森《もり》のざわめきも。



 すべてが遠《とお》くなり、鼓動《こどう》だけが耳《みみ》の奥《おく》で高鳴《たかな》る。



 え、と小《ちい》さな声《こえ》が、喉《のど》に引《ひ》っかかる。


 言葉《ことば》は出《で》ず、全身《ぜんしん》の血《ち》が冷《つめ》たく固《かた》まってしまったかのようだった。



 アサは立《た》ちすくみ、呆然《ぼうぜん》と目《め》の前《まえ》のミナギを見《み》つめていた。



 ミナギは、細布《ほそぬの》に何《なに》かを書《か》き込《こ》み、ムスビの足《あし》にそっと結《ゆ》いつけた。


 ムスビは、静《しず》かに羽《はね》を広《ひろ》げ、ひと声《こえ》、キィーッと鳴《な》くと、空《そら》へと舞《ま》い上《あ》がった。


 アサはその動《うご》きを見守《みまも》り、村人《むらびと》たちも思《おも》わず息《いき》を飲《の》む。


 風《かぜ》に乗《の》ったムスビは、確《たし》かに何《なに》かを伝《つた》えるために飛《と》び立《た》ったのだと、誰《だれ》もが感《かん》じていた。




 ◇




 ムスビを見送《みおく》ると、ミナギは、すぐに動《うご》き出《だ》した。


 持《も》ち物《もの》をまとめ、必要《ひつよう》なものを選《えら》び取《と》る手《て》つきに、一切《いっさい》の迷《まよ》いがない。


 その速《はや》さは、準備《じゅんび》というより、すでに決《き》まっていたことをなぞっているようにも見《み》えた。



「おい、どうしたんだ急《きゅう》に」



「――あの鳥《とり》は何《なん》だ」



「何《なに》が書《か》いてあったんだ」



 村人《むらびと》たちの声《こえ》が次々《つぎつぎ》に飛《と》ぶ。


 戸惑《とまど》いが混《ま》じったざわめきが広《ひろ》がる。



 だが――


 ミナギは答《こた》えない。


 誰《だれ》の問《と》いにも振《ふ》り向《む》かず、ただ黙々《もくもく》と手《て》を動《うご》かし続《つづ》ける。


 その横顔《よこがお》は、固《かた》く強張《こわば》っていた。


 何《なに》かを押《お》し殺《ころ》すように。


 あるいは、すべてを切《き》り離《はな》すように。


 その沈黙《ちんもく》が、かえって場《ば》を張《は》り詰《つ》めさせる。




 アサは、その様子《ようす》を少《すこ》し離《はな》れた場所《ばしょ》から見《み》ていた。


 声《こえ》をかけることもできず、ただ、立《た》ち尽《つ》くしている。


 胸《むね》の奥《おく》が、じわじわと冷《ひ》えていく。


 さっきまで、同《おな》じ場所《ばしょ》にいたはずなのに。



 もう――



 ミナギの心《こころ》はどこか遠《とお》くへ行《い》ってしまっているような気《き》がした。



「ミナギ」



 ざわめきの中《なか》で、その一言《ひとこと》だけがまっすぐ届《とど》く。


 ミナギの手《て》が、わずかに止《と》まった。


 アサは一歩《いっぽ》、踏《ふ》み出《だ》す。


 足《あし》が重《おも》い。


 それでも止《と》まれなかった。


 ミナギはこちらを振《ふ》り向《む》かない。


 アサは、たまらず手《て》を伸《の》ばす。


 その腕《うで》を、掴《つか》んだ。



「ミナギ」



 初《はじ》めてだった。


 ――こんな風《ふう》に、強《つよ》く触《ふ》れるのは。



「また――戻《もど》ってくる?」



 なんとか絞《しぼ》り出《だ》した言葉《ことば》は、ひどく震《ふる》えていた。


 


 一年《いちねん》――



 ミナギがこの村《むら》に来《き》てから、それだけの時《とき》が流《なが》れていた。


 最初《さいしょ》は、よそ者《もの》として警戒《けいかい》されていたはずの男《おとこ》は、いつの間《ま》にか、ここにいるのが当《あ》たり前《まえ》になっていた。



 だからこそ――


 誰《だれ》も、この突然《とつぜん》の別《わか》れに追《お》いつけていないようだった。




 ――また戻《もど》ってくる?



 アサのその問《と》いに、ようやくこちらを振《ふ》り向《む》いたミナギは、困《こま》ったような、どこか遠《とお》くを見《み》るような笑《え》みを浮《う》かべた。


 その表情《ひょうじょう》を見《み》た瞬間《しゅんかん》、アサの胸《むね》の奥《おく》で、何《なに》かが静《しず》かに沈《しず》んだ。



 ――ああ。



 この人《ひと》は、戻《もど》らない。


 言葉《ことば》を聞《き》くまでもなく、そう分《わ》かってしまった。



「――今《いま》まで」



 震《ふる》えを押《お》し殺《ころ》しながら、アサは言《い》う。



「今《いま》までありがとう。色々《いろいろ》、教《おし》えてくれて」



 ミナギはわずかに目《め》を細《ほそ》めた。


 それから、手《て》を伸《の》ばし――屈《かが》んでアサの目線《めせん》に合《あ》わせると、その肩《かた》にそっと触《ふ》れた。



「……お前《まえ》なら、大丈夫《だいじょうぶ》だ」



 短《みじか》く、それだけを告《つ》げる。


 温《ぬく》もりは、確《たし》かにそこにあるのになぜかもう――届《とど》かないもののように感《かん》じられた。




 ◇




 村《むら》の出口《でぐち》まで来《く》ると、ミナギは足《あし》を止《と》め、村《むら》の者《もの》たちに向《む》かって深《ふか》く頭《あたま》を下《さ》げた。


 言葉《ことば》は添《そ》えず、ただ静《しず》かに。


 ――しかし、心《こころ》からの感謝《かんしゃ》を示《しめ》す所作《しょさ》。



 そのまま背《せ》を向《む》け、振《ふ》り返《かえ》ることなく歩《ある》き出《だ》す。



 そして―― 


 ミナギは村《むら》を旅立《たびだ》った。





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