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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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舞




 ――日《ひ》が落《お》ちる。


 西《にし》の空《そら》に残《のこ》っていた淡《あわ》い光《ひかり》が、ゆるやかに森《もり》へと溶《と》け込《こ》み、やがてすべてを夜《よる》の色《いろ》へと沈《しず》めていく。


 大岩《おおいわ》の周囲《しゅうい》には、いつしか人々(ひとびと)が輪《わ》を成《な》していた。


 地《ち》に突《つ》き立《た》てられた松明《たいまつ》の炎《ほのお》が、風《かぜ》にあおられて揺《ゆ》らぎ、橙《だいだい》の光《ひかり》を波《なみ》のように広《ひろ》げる。


 その明滅《めいめつ》は、地面《じめん》を、樹皮《じゅひ》を、人《ひと》の顔《かお》を不規則《ふきそく》に照《て》らす。


 まるで森《もり》そのものが、呼吸《こきゅう》しているかのようだった。



 湿《しめ》った土《つち》の匂《にお》いに、焚《た》かれた香《こう》の甘《あま》く重《おも》い煙《けむり》が混《ま》ざる。


 空気《くうき》はぬるく、肌《はだ》にまとわりつくような熱《ねつ》を帯《お》びていた。



 ドォ――ン



 腹《はら》の奥《おく》を震《ふる》わせる低《ひく》い響《ひび》きが、闇《やみ》を裂《さ》く。


 太鼓《たいこ》の一打《いちだ》は単《たん》なる合図《あいず》ではなく、この場《ば》に集《つど》うすべての意識《いしき》をひとつに束《たば》ねる楔《くさび》のようだった。



 その音《おと》の余韻《よいん》が消《き》えぬうちに――


 カヤが、静《しず》かに前《まえ》へと進《すす》み出《で》る。


 まだ花開《はなひら》かぬ忍冬《すいかずら》を編《あ》み込《こ》んだ頭飾《あたまかざ》り。


 白《しろ》い蕾《つぼみ》は固《かた》く閉《と》じたまま、内《うち》に秘《ひ》めた春《はる》の気配《けはい》をわずかに膨《ふく》らませている。


 身《み》に纏《まと》う質《しつ》の良《よ》い衣《ころも》が夜気《やき》を受《う》けて柔《やわ》らかく揺《ゆ》れ、彼女《かのじょ》の輪郭《りんかく》を曖昧《あいまい》に溶《と》かしていた。


 胸元《むなもと》には、ひとつの赤《あか》き瑪瑙《めのう》。


 松明《たいまつ》の火《ひ》を受《う》け、その奥《おく》で燻《くすぶ》るように光《ひか》り、まるで血《ち》の記憶《きおく》を宿《やど》した石《いし》のように鈍《にぶ》く輝《かがや》く。



 カヤは大岩《おおいわ》の前《まえ》に立《た》ち、息《いき》を整《ととの》える。



 そして――



 ゆっくりと、手《て》を広《ひろ》げた。



 指先《ゆびさき》が空気《くうき》に触《ふ》れる。


 それは撫《な》でるというより、見《み》えぬ何《なに》かを確《たし》かめるような、慎重《しんちょう》で柔《やわ》らかな動《うご》きだった。



 舞《まい》が、始《はじ》まる。



 最初《さいしょ》はわずかな揺《ゆ》らぎ。


 水面《みなも》に落《お》ちた一滴《いってき》のように、小《ちい》さく、静《しず》かに広《ひろ》がる。


 だが、その所作《しょさ》はやがて変質《へんしつ》していく。


 風《かぜ》に呼応《こおう》し、火《ひ》に応《おう》じ、地《ち》の脈動《みゃくどう》を掬《すく》い上《あ》げるかのように――


 動《うご》きは次第《しだい》に力《ちから》を帯《お》び、空間《くうかん》そのものを巻《ま》き込《こ》み始《はじ》めた。


 腕《うで》が弧《こ》を描《えが》くたび、炎《ほのお》が呼応《こおう》するように揺《ゆ》れ。


 足《あし》が地《ち》を踏《ふ》むたび、見《み》えぬ波紋《はもん》が広《ひろ》がる。



 肩《かた》。  


 腰《こし》。  


 背《せ》。  



 そして――指《ゆび》の先《さき》に至《いた》るまで。


 そのすべてが、統一《とういつ》されたひとつの流《なが》れとなり、炎《ほのお》の奔流《ほんりゅう》のごとく連《つら》なっていく。



 ドン――ドォン――



 太鼓《たいこ》の律動《りつどう》が深《ふか》まり、どこからともなく上《あ》がる低《ひく》い詠唱《えいしょう》のような声《こえ》が、森《もり》に染《し》み込《こ》んでいく。


 それは言葉《ことば》でありながら意味《いみ》を持《も》たず、ただ古《ふる》い祈《いの》りの形《かたち》だけを残《のこ》した響《ひび》きだった。


 音《おと》と動《うご》きが絡《から》み合《あ》い、空間《くうかん》は濃密《のうみつ》な層《そう》を成《な》す。



 ミナギは、ただ立《た》ち尽《つ》くしていた。


 視界《しかい》が、揺《ゆ》れる。  


 聴覚《ちょうかく》が、引《ひ》きずられる。


 肌《はだ》に触《ふ》れる空気《くうき》さえも、舞《まい》の一部《いちぶ》として脈打《みゃくう》っている。


 逃《のが》れようのない感覚《かんかく》の渦《うず》。



 カヤは、もはや人《ひと》ではない。


 炎《ほのお》を纏《まと》い、影《かげ》を従《したが》え、この場《ば》に満《み》ちるあらゆる気配《けはい》を束《たば》ねる――

 


 精霊《せいれい》そのもの。



 その身体《しんたい》の揺《ゆ》らぎは、ただの動《うご》きではない。


 燃《も》え盛《さか》る流《なが》れとなって森《もり》を満《み》たし、塗《ぬ》り替《か》えていく。


 夜《よる》の色《いろ》が、変《か》わる。


 空気《くうき》が、熱《ねつ》を帯《お》びてうねる。


 すべてが彼女《かのじょ》を中心《ちゅうしん》に再構成《さいこうせい》されていくかのようだった。



 ――やがて。



 不意《ふい》に、すべてが途切《とぎ》れる。


 音《おと》が消《き》え、炎《ほのお》の揺《ゆ》らぎだけが残《のこ》る。


 森《もり》は、一瞬《いっしゅん》で静寂《せいじゃく》に沈《しず》んだ。



 誰《だれ》も声《こえ》を発《はっ》しない。


 いや、発《はっ》することができない。


 余韻《よいん》が、あまりにも濃《こ》い。



 カヤは振《ふ》り向《む》かない。


 ただ、大岩《おおいわ》の前《まえ》に静《しず》かに立《た》つ。



 その背《せ》は小《ちい》さい。


 だが――


 ミナギには、その姿《すがた》が揺《ゆ》るぎようのないものとして映《うつ》っていた。



 火《ひ》を宿《やど》し。  


 場《ば》を支配《しはい》し。  


 この森《もり》そのものと繋《つな》がる存在《そんざい》。



 ――火《ひ》の神子《みこ》。 



 その確信《かくしん》だけが、静《しず》かに胸《むね》の奥《おく》へと沈《しず》んでいった。




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