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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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祭りの準備


 


 朝《あさ》の光《ひかり》はまだ柔《やわ》らかく、森《もり》の霧《きり》が大岩《おおいわ》の周囲《しゅうい》をゆるやかに包《つつ》んでいた。


 岩肌《いわはだ》は湿《しめ》り気《け》を帯《お》び、そこに刻《きざ》まれた古《ふる》い傷《きず》や苔《こけ》の筋《すじ》が、うっすらと浮《う》かび上《あ》がっている。 

 


 普段《ふだん》は静《しず》まり返《かえ》るこの場所《ばしょ》も、今日《きょう》は違《ちが》った。



 一年《いちねん》に一度《いちど》の祭《まつ》り。



 その準備《じゅんび》のために、村《むら》の空気《くうき》そのものが少《すこ》しだけ浮《う》き立《た》っている。 



 枝《えだ》が擦《こす》れる音《おと》。  


 藁《わら》を束《たば》ねる乾《かわ》いた響《ひび》き。  


 籠《かご》を置《お》く鈍《にぶ》い音《おと》。


 そこに人《ひと》の声《こえ》が重《かさ》なり、霧《きり》の中《なか》で輪郭《りんかく》を失《うしな》いながらも確《たし》かに『生《い》きた気配《けはい》』として満《み》ちていた。



「松明《たいまつ》は大岩《おおいわ》の周《まわ》りに立《た》てるんだ」



 村人《むらびと》の一人《ひとり》が、手慣《てな》れた様子《ようす》で松《まつ》の枝《えだ》を示《しめ》す。


 細《ほそ》く削《けず》られたそれに藁《わら》が丁寧《ていねい》に巻《ま》かれ、火《ひ》を含《ふく》むための準備《じゅんび》が整《ととの》えられていく。


 油気《あぶらけ》を含《ふく》んだ藁《わら》の匂《にお》いが、湿《しめ》った土《つち》の匂《にお》いと混《ま》ざり、わずかに鼻《はな》をくすぐった。

 


 アサとミナギもその作業《さぎょう》に加《くわ》わっていた。


 松明《たいまつ》を一本《いっぽん》ずつ手《て》に取《と》り、岩《いわ》の周囲《しゅうい》へと慎重《しんちょう》に立《た》てていく。


 等間隔《とうかんかく》に並《なら》べられたそれは、まだ火《ひ》を持《も》たないにもかかわらず、すでに輪《わ》の形《かたち》を描《えが》き始《はじ》めているようだった。



 夜《よる》になれば、ここに赤《あか》い炎《ほのお》が連《つら》なり、大岩《おおいわ》を囲《かこ》む光《ひかり》の環《わ》が浮《う》かび上《あ》がる。


 想像《そうぞう》しただけで、空気《くうき》の温度《おんど》が少《すこ》しだけ変《か》わる気《き》がした。



「供物《くもつ》はこっちだよ」



 ミナギはアサと並《なら》んで籠《かご》を運《はこ》ぶ。


 中《なか》には青菜《あおな》や穀物《こくもつ》、山菜《さんさい》、焼《や》いた魚《さかな》が整然《せいぜん》と収《おさ》められていた。


 まだ硬《かた》い蕾《つぼみ》や芽《め》をつけた草《くさ》もあり、春《はる》が無理《むり》やり形《かたち》を持《も》たされたような、ぎこちない瑞々(みずみず)しさがあった。



 村人《むらびと》たちは地面《じめん》を掃《は》き、石《いし》を拾《ひろ》い、土《つち》をならしていく。


 大岩《おおいわ》の周囲《しゅうい》は、舞《まい》のための「場《ば》」へと少《すこ》しずつ作《つく》り替《か》えられていった。


 踏《ふ》み固《かた》められた土《つち》の色《いろ》が均《なら》され、余計《よけい》な凹凸《おうとつ》が消《き》えていく。



 アサはその様子《ようす》を横目《よこめ》に見《み》ながら、小《ちい》さな縄飾《なわかざ》りを編《あ》んでいた。


 指先《ゆびさき》は慣《な》れていないが、真剣《しんけん》さだけは確《たし》かだった。


 ふと、少《すこ》し誇《ほこ》らしげに口《くち》を開《ひら》く。



「母様《かあさま》は赤《あか》い石《いし》を身《み》につけて踊《おど》るんだ」



 その言葉《ことば》が落《お》ちた瞬間《しゅんかん》、空気《くうき》がわずかに変《か》わった。


 ミナギの心《こころ》は静《しず》かに引《ひ》き締《し》まる。



 以前《いぜん》アサが、ぽつりと語《かた》った話《はなし》が思《おも》い出《だ》される。


 火《ひ》の神子《みこ》だけが許《ゆる》されるという、赤《あか》き瑪瑙《めのう》。


 村人《むらびと》にとっては、ただの装飾《そうしょく》に見《み》えるかもしれない。  


 だが、そうではないものとして語《かた》られている気配《けはい》があった。



「赤《あか》い石《いし》、母様《かあさま》が舞《ま》う時《とき》だけ光《ひか》るんだ」



 アサの声《こえ》は小《ちい》さく、霧《きり》に溶《と》けるようだった。


 ミナギは短《みじか》く頷《うなず》く。


 そして、少《すこ》しだけ声《こえ》を落《お》とした。



「ただの石《いし》じゃない。大岩《おおいわ》の力《ちから》と呼応《こおう》し、村《むら》の命《いのち》を守《まも》るものだ」



 ミナギは籠《かご》の供物《くもつ》を整《ととの》えながら、視線《しせん》を大岩《おおいわ》へと向《む》ける。


 霧《きり》の向《む》こうにそびえるそれは、ただの岩《いわ》ではない。


 長《なが》い時間《じかん》の積《つ》み重《かさ》ねが沈殿《ちんでん》したような存在感《そんざいかん》を持《も》っている。


 その力《ちから》は、確《たし》かに祝福《しゅくふく》として働《はたら》くのかもしれない。


 季節《きせつ》を呼《よ》び、作物《さくもつ》を育《そだ》て、村《むら》を繋《つな》ぐ。

 


 だが同時《どうじ》に――


 別《べつ》の側面《そくめん》も、容易《ようい》に想像《そうぞう》できてしまう。


 欲《よく》を持《も》つ者《もの》の手《て》に渡《わた》れば、祝福《しゅくふく》は歪《ゆが》む。


 守《まも》りは、制御《せいぎょ》へと変《か》わる。


 火《ひ》は、祈《いの》りにもなるが、武器《ぶき》にもなるように。


 胸《むね》の奥《おく》に、かすかな寒気《さむけ》が走《はし》る。


 ミナギは無意識《むいしき》に指先《ゆびさき》をすり合《あ》わせた。

 


 大岩《おおいわ》の前《まえ》に立《た》つ母《はは》の舞《まい》が、今《いま》はただ美《うつく》しく、穏《おだ》やかであっても。


 いつかその光《ひかり》が、予期《よき》せぬ嵐《あらし》を呼《よ》ぶこともある。


 霧《きり》の中《なか》で、松明《たいまつ》の骨組《ほねぐ》みが静《しず》かに並《なら》び続《つづ》ける。



 ミナギは息《いき》を静《しず》かに整《ととの》えた。


 籠《かご》を抱《かか》えた指先《ゆびさき》に、わずかな力《ちから》が入《はい》る。


 霧《きり》の中《なか》で、誰《だれ》も気《き》づかないほど小《ちい》さく。


 それでも確《たし》かに、警戒《けいかい》の輪郭《りんかく》だけが心《こころ》の奥《おく》に残《のこ》っていた。




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