青鷹
翌朝――
森の空気は澄み切っていた。
夜の湿り気はすでに消え、代わりに高い風が枝葉を揺らしている。
光はまだ柔らかいが、空だけは早くも遠くまで抜けるように青い。
「呼ぶか」
ミナギが、ふと空を見上げる。
指先を唇に当てる。
次の瞬間、短く鋭い音が鳴った。
笛のようでいて、もっと乾いている。
森の湿った空気を切り裂き、そのまま空へ抜けていく音だった。
しばしの静寂。
鳥の声すら遠のいたような、奇妙な間。
やがて――
影が、落ちた。
大きい。
アサが見上げるよりも早く、それは風を裂いて降りてくる。
羽ばたきのたびに空気が重く揺れ、木々の葉が一斉にざわめいた。
青――
だが単純な色ではない。
鈍い灰色の奥に、光を受けるたび深い青が滲む。
夜明け前の空をそのまま羽にしたような色だった。
それは一瞬、ミナギの瞳の色を思わせた。
鳥は迷いなく旋回し、空気の流れを読むように滑る。
そして次の瞬間、まっすぐにミナギの腕へと降り立った。
衝撃はない。
風が遅れて頬を打つ。
「……!」
アサは思わず息を呑む。
青鷹は微動だにしない。
その瞳だけが、こちらを確かに捉えている。
「ムスビだ」
ミナギが言う。
そっと首筋を撫でると、ムスビはわずかに目を細め、喉の奥で小さく鳴いた。
キュルル、と乾いた柔らかい音。
「触ってみるか」
ミナギがそう言った。
アサは一瞬ためらう。
だが、恐る恐る手を伸ばした。
指先が羽に触れる。
思っていたよりもずっとしなやかで、驚くほどあたたかい。
生きている熱が、羽の奥に静かに通っている。
「……可愛い」
小さく呟いた、その瞬間だった。
ムスビの眼が、すっとこちらを射抜く。
空気が変わる。
動けない。
ただ見られているだけなのに、逃げ道が消えていくような感覚。
(……見られてる)
それは敵意ではない。
しかし、軽さもない。
何かを測るような。
見極めるような――静かな圧。
存在の重さそのものに触れられているようだった。
「大丈夫だ」
ミナギの声が、すぐ近くで落ちる。
その一言だけで、張り詰めていたものがゆるむ。
呼吸が戻る。
アサはそっと息を吐いた。
青灰の羽が、風にかすかに揺れる。
ムスビはなおもミナギの腕に留まったまま、遠くの空を一度だけ見やった。
そこには、すでに帰るべき場所の気配がある。
それでも今は、ここにいる。
ミナギの腕に在るという事実だけが、静かにその存在を支えていた。
アサは、その光景から目を逸らせなかった。




