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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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青鷹




 翌朝《よくあさ》――


 森《もり》の空気《くうき》は澄《す》み切《き》っていた。


 夜《よる》の湿《しめ》り気《け》はすでに消《き》え、代《か》わりに高《たか》い風《かぜ》が枝葉《えだは》を揺《ゆ》らしている。


 光《ひかり》はまだ柔《やわ》らかいが、空《そら》だけは早《はや》くも遠《とお》くまで抜《ぬ》けるように青《あお》い。



「呼《よ》ぶか」



 ミナギが、ふと空《そら》を見上《みあ》げる。


 指先《ゆびさき》を唇《くちびる》に当《あ》てる。



 次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》、短《みじか》く鋭《するど》い音《おと》が鳴《な》った。


 笛《ふえ》のようでいて、もっと乾《かわ》いている。


 森《もり》の湿《しめ》った空気《くうき》を切《き》り裂《さ》き、そのまま空《そら》へ抜《ぬ》けていく音《おと》だった。



 しばしの静寂《せいじゃく》。


 鳥《とり》の声《こえ》すら遠《とお》のいたような、奇妙《きみょう》な間《ま》。



 やがて――



 影《かげ》が、落《お》ちた。


 大《おお》きい。


 アサが見上《みあ》げるよりも早《はや》く、それは風《かぜ》を裂《さ》いて降《お》りてくる。


 羽《は》ばたきのたびに空気《くうき》が重《おも》く揺《ゆ》れ、木々(きぎ)の葉《は》が一斉《いっせい》にざわめいた。



 青《あお》――



 だが単純《たんじゅん》な色《いろ》ではない。


 鈍《にぶ》い灰色《はいいろ》の奥《おく》に、光《ひかり》を受《う》けるたび深《ふか》い青《あお》が滲《にじ》む。


 夜明《よあ》け前《まえ》の空《そら》をそのまま羽《はね》にしたような色《いろ》だった。


 それは一瞬《いっしゅん》、ミナギの瞳《ひとみ》の色《いろ》を思《おも》わせた。



 鳥《とり》は迷《まよ》いなく旋回《せんかい》し、空気《くうき》の流《なが》れを読《よ》むように滑《すべ》る。


 そして次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》、まっすぐにミナギの腕《うで》へと降《お》り立《た》った。



 衝撃《しょうげき》はない。


 風《かぜ》が遅《おく》れて頬《ほお》を打《う》つ。

 


「……!」



 アサは思《おも》わず息《いき》を呑《の》む。



 青鷹《あおたか》は微動《びどう》だにしない。


 その瞳《ひとみ》だけが、こちらを確《たし》かに捉《とら》えている。

 


「ムスビだ」



 ミナギが言《い》う。


 そっと首筋《くびすじ》を撫《な》でると、ムスビはわずかに目《め》を細《ほそ》め、喉《のど》の奥《おく》で小《ちい》さく鳴《な》いた。


 キュルル、と乾《かわ》いた柔《やわ》らかい音《おと》。



「触《さわ》ってみるか」



 ミナギがそう言《い》った。


 アサは一瞬《いっしゅん》ためらう。


 だが、恐《おそ》る恐《おそ》る手《て》を伸《の》ばした。



 指先《ゆびさき》が羽《はね》に触《ふ》れる。


 思《おも》っていたよりもずっとしなやかで、驚《おどろ》くほどあたたかい。


 生《い》きている熱《ねつ》が、羽《はね》の奥《おく》に静《しず》かに通《かよ》っている。



「……可愛《かわい》い」 



 小《ちい》さく呟《つぶや》いた、その瞬間《しゅんかん》だった。


 ムスビの眼《め》が、すっとこちらを射抜《いぬ》く。


 空気《くうき》が変《か》わる。


 動《うご》けない。


 ただ見《み》られているだけなのに、逃《に》げ道《みち》が消《き》えていくような感覚《かんかく》。



(……見《み》られてる)



 それは敵意《てきい》ではない。


 しかし、軽《かる》さもない。


 何《なに》かを測《はか》るような。


 見極《みきわ》めるような――静《しず》かな圧《あつ》。


 存在《そんざい》の重《おも》さそのものに触《ふ》れられているようだった。



「大丈夫《だいじょうぶ》だ」 



 ミナギの声《こえ》が、すぐ近《ちか》くで落《お》ちる。


 その一言《ひとこと》だけで、張《は》り詰《つ》めていたものがゆるむ。



 呼吸《こきゅう》が戻《もど》る。


 アサはそっと息《いき》を吐《は》いた。


 青灰《せいかい》の羽《はね》が、風《かぜ》にかすかに揺《ゆ》れる。



 ムスビはなおもミナギの腕《うで》に留《と》まったまま、遠《とお》くの空《そら》を一度《いちど》だけ見《み》やった。


 そこには、すでに帰《かえ》るべき場所《ばしょ》の気配《けはい》がある。


 それでも今《いま》は、ここにいる。


 ミナギの腕《うで》に在《あ》るという事実《じじつ》だけが、静《しず》かにその存在《そんざい》を支《ささ》えていた。


 アサは、その光景《こうけい》から目《め》を逸《そ》らせなかった。




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