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短刀
藪が、鳴った。
低い唸り。
振り向いた時には、もう遅い。
狼が、すぐそこにいた。
距離は、三歩。
アサの足は、動かない。
喉が、閉じる。
声が出ない――その瞬間。
視界が、遮られた。
ミナギの背。
一歩。
踏み出しが、異様に速い。
短刀が、抜かれる。
光が走る。
――一閃。
ギャン!
鋭く短い悲鳴を上げ、狼はその場に崩れ落ちた。
それだけだった。
余計な動きは一切ない。
呼吸すら乱れていない。
ミナギは、血を払うでもなく、ただ刃を収めた。
「怪我はないか」
振り返る声は、いつも通りだった。
――だが。
アサは、言葉を返せなかった。
さっきのミナギの動きが、脳裏に焼き付いて離れない。
迷いがない。
ためらいもない。
そして何より――美しかった。
まるで洗練された武人のような。
幾度も命をやり取りしてきた者だけが持つ、完成された動き――
胸の奥で、何かが大きくずれる。
この人は、ただの行商ではない。
アサはようやく息を吸い込み、目の前のミナギを見つめた。




