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アマガタリ  作者: ひよりの
第三章
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水の旅路




 輿(こし)は、まだ()れていた。


 投馬国(とうまこく)(みや)()てから、どれほどの(とき)()ったのか――アサには、もうわからない。


 朝方(あさがた)(はだ)()すような冷気(れいき)は、いつの()にか(やわ)らかなものへ()わっていた。


 輿(こし)(つつ)荒織(あらお)りの白布(しらぬの)隙間(すきま)から()()陽光(ようこう)も、出発(しゅっぱつ)した(ころ)とは(ちが)う。


 夜明(よあ)けの青白(あおじろ)さは()え、()(すこ)しずつ(たか)くなっている。


 白布(しらぬの)()れるたび、(そと)景色(けしき)(ほそ)()()られて()えた。



 (みどり)


 (つち)(みち)


 (とお)くに(つら)なる(やま)


 けれど、それらはすぐに(うし)ろへ(なが)れていく。


 規則正(きそくただ)しい足音(あしおと)


 輿(こし)(かつ)(もの)たちの、(みじか)()(ごえ)


 木々(きぎ)()(かぜ)(こす)れる(おと)


 それらが(かさ)なり()い、ひとつの(なが)れとなって(みみ)(とど)いていた。



 アサは両手(りょうて)口元(くちもと)()さえていた。


 (なみだ)は、もう(なが)れていない。


 けれど。


 指先(ゆびさき)には、まだ(のこ)っている。



 (くちびる)にも。


 (むね)(おく)にも。


 (さき)ほどまでの出来事(できごと)が、()えずに(のこ)っていた。


 ()()じれば、すぐに(おも)()してしまう。


 だからアサは、()()けていた。



 ()れる白布(しらぬの)を。


 (なが)れていく景色(けしき)を。


 ただ、()つめていた。

 



 ◇




 しばらくして、(みち)様子(ようす)()わった。


 (かわ)いた(つち)(みち)から、湿(しめ)()()びた(つち)へ。


 (くさ)(にお)いに、かすかな(みず)(にお)いが()じり(はじ)める。


 (とり)(こえ)()えていた。


 (とお)くから、甲高(かんだか)()(ごえ)()こえる。


 水辺(みずべ)(ちか)づいている。


 そんなことを、アサは()らず()らずのうちに(かん)()っていた。



 やがて。


 輿(こし)が、ゆっくりと()まった。


 (そと)(こえ)()わされる。



「――中継(ちゅうけい)(むら)到着(とうちゃく)(いた)しました」



 幕布(まくぬの)(ひら)く。


 (まぶ)しい(ひかり)が、()()んできた。


 アサは()(ほそ)める。


 浮羽(うきは)が、(かお)(のぞ)かせた。

  


(つか)れたか?」



 (かる)()げてよこす口調(くちょう)とは裏腹(うらはら)に、その視線(しせん)(むら)のあちこちへ(するど)(くば)られている。


 アサは(ちい)さく(くび)(よこ)()った。



大丈夫(だいじょうぶ)です」



 (こえ)は、もう()れていない。


 浮羽(うきは)は、それ以上(いじょう)(なに)()わなかった。


 ()わりに、顎先(あごさき)木立(こだち)(さき)(うなが)した。



「じゃあ、()くぞ。こっちだ」



 アサは輿(こし)から()りた。


 そこは、(ちい)さな集落(しゅうらく)だった。


 (いえ)川沿(かわぞ)いに()()うように()(なら)び、屋根(やね)()こうには青々(あおあお)とした木々(きぎ)()える。


 (すこ)(はな)れたところでは、畑仕事(はたけしごと)をしている(もの)たちの姿(すがた)があった。


 (つち)(たがや)(くわ)(おと)


 見知(みし)らぬ高貴(こうき)一行(いっこう)物陰(ものかげ)からじっと()つめる()どもたちの、(にご)りのない(ひとみ)


 浮羽(うきは)()()って雑木林(ぞうきばやし)()けると、視界(しかい)一気(いっき)にひらけた。


 ()(まえ)(はし)大河(たいが)が、正午(しょうご)(ひかり)()びて無数(むすう)銀鱗(ぎんりん)のように波打(なみう)っている。


 (かぜ)(ざわ)めく(あし)(しげ)みの()こう――岸辺(きしべ)(くい)には、丸太(まるた)()()いた細長(ほそなが)(ふね)や、厚板(あついた)()()わせた頑丈(がんじょう)荷舟(にぶね)幾艘(いくそう)()らめいていた。

 


「……(ふね)



 (おも)わず、アサの(くち)から(こえ)()れた。


 浮羽(うきは)()(かえ)った。



(ふね)(はじ)めてか?」



 アサは(ちい)さく(うなず)いた。


 (ふね)岸辺(きしべ)(つな)がれている。


 細長(ほそなが)いものもあれば、()()むためなのか、(すこ)(はば)(ひろ)いものもある。


 (おとこ)たちが()(はこ)()んでいる。



 (かご)


 木箱(きばこ)


 (たば)ねた(ぬの)

 


 (だれ)かが(こえ)()ける。


 (べつ)(だれ)かが(おう)じる。


 そのたびに、(ふね)(ちい)さく()れた。



 アサは、しばらく(うご)かなかった。


 (かわ)は、ただ(なが)れている。


 けれど、その(なが)れの(うえ)(ひと)(いとな)みがある。


 (りく)とは(ちが)世界(せかい)が、そこにはあった。




 ◇




 (ひる)(すこ)()ぎる(ころ)


 ()()()えが()わった。


 アサが(ふね)(ちか)づく。


 舟着(ふなつ)()簡素(かんそ)なものだった。


 岸辺(きしべ)(くい)()たれ、何本(なんぼん)かの木材(もくざい)(わた)されている。


 (あし)()せると、()(ちい)さく(きし)んだ。


 (おも)ったよりも(ほそ)い。


 (した)()れば、木材(もくざい)隙間(すきま)から(みず)()える。


 ゆっくりと(なが)れる水面(みなも)


 (ひかり)


 その(した)を、(かげ)(なが)れていく。



()をつけろ」



 浮羽(うきは)()った。


 アサは慎重(しんちょう)(あし)(すす)めた。


 (ふね)(ふち)()をかける。


 (てのひら)に、(つめ)たく湿(しめ)った()感触(かんしょく)(ひろ)がった。


 浮羽(うきは)(さき)()()む。


 身体(からだ)(ひく)くし、(ふね)安定(あんてい)させる。

 


「ほら」



 ()()された()


 アサは、一瞬(いっしゅん)だけそれを()た。


 そして、そっと()(かさ)ねる。


 (ふね)(あし)()せた瞬間(しゅんかん)――


 世界(せかい)が、わずかに(かたむ)いた。


 身体(からだ)()れる。



「……わわっ」



 反射的(はんしゃてき)に、浮羽(うきは)()(つよ)(にぎ)った。



大丈夫(だいじょうぶ)だ」

  


「……すみません」



 けれど、(こえ)とは裏腹(うらはら)に、(むね)(はや)鼓動(こどう)している。



 (みず)(うえ)にいる。


 そのことが、身体(からだ)(とお)して(つた)わってくる。


 アサが(こし)()ろすと、舟底(ふなぞこ)(かた)さが身体(からだ)(つた)わった。


 その(した)では、(みず)()えず(ふね)()している。


 かすかな振動(しんどう)


 ()(きし)(おと)


 (みず)船腹(せんぷく)()でる(おと)


 (りく)とは、(おと)まで(ちが)っていた。



 やがて(かい)(みず)(はい)る。


 ぱしゃり、と(みず)()ねた。


 (つぎ)瞬間(しゅんかん)(ふね)がゆっくりと(うご)(はじ)める。



 (きし)(とお)ざかっていく。


 さっきまで(あし)()いていた木材(もくざい)


 川辺(かわべ)(くさ)


 集落(しゅうらく)家々(いえいえ)


 (ひと)姿(すがた)


 すべてが、(すこ)しずつ(ちい)さくなっていく。



 アサは()(かえ)った。


 投馬国(とうまこく)()てから、まだ一日(いちにち)()っていない。


 けれど。


 もう、自分(じぶん)がいた場所(ばしょ)(とお)くなっている。



 (ふね)(なが)れに沿()って(すす)んでいく。


 (あさ)支流(しりゅう)(はい)ると、川幅(かわはば)(すこ)(せま)くなった。


 両岸(りょうがん)から木々(きぎ)(せま)り、枝葉(えだは)水面(みなも)(かげ)()としている。


 時折(ときおり)(とり)(えだ)から()()つ。


 水面(みなも)すれすれを(すべ)るように()び、()こう(ぎし)(しげ)みへ()えていく。



 アサは、(なに)()わずにそれを()ていた。


 (かぜ)(ほお)()でる。


 (あさ)(みち)(かん)じた(かぜ)とは(ちが)う。


 (みず)(にお)いを(ふく)んでいた。


 (くさ)(あお)(にお)い。


 湿(しめ)った(つち)(にお)い。


 (とお)くで()かれている()(けむり)


 それらが()ざり()って、()らない土地(とち)(にお)いになっている。 



 やがて、(そら)(いろ)()わり(はじ)めた。


 (ひる)(しろ)(ひかり)が、(すこ)しずつ金色(きんいろ)()びていく。


 川面(かわも)にも、夕日(ゆうひ)(いろ)()びていた。


 (かい)(みず)()くたび、金色(きんいろ)(ひかり)(くず)れる。


 アサは、その(ひかり)()つめた。



 (うつく)しい。



 (むね)(おく)には、まだ(いた)みがある。


 この(さき)に、(なに)()っているのか。


 不安(ふあん)()えてはいない。


 それでも。


 ()(まえ)景色(けしき)は、(うつく)しかった。



 (たび)は、(はじ)まったばかりだった。

   








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