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アマガタリ  作者: ひよりの
第三章
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余白の時間




 投馬国(とうまこく)()て、(ふね)()()えてからの記憶(きおく)は、ほとんど(さだ)かではない。


 ただ、()れていた。


 水面(みなも)(すべ)るような()れ。


 (かい)(みず)()くたびに(つた)わってくる、身体(からだ)(しん)まで(ひび)(こま)かな振動(しんどう)


 初日(しょにち)のうちは、(なが)れていく景色(けしき)(なが)める余裕(よゆう)もあった。



 だが、(いま)――


 アサは(ひざ)(かか)え、(ふね)(ふち)(ひたい)()()てたまま、丸一日(まるいちにち)ちかくを()えていた。


 (のど)(おく)まで(にが)いものがせり()がっては、何度(なんど)(つめ)たい(つば)()()む。


 (かお)土気色(つちけいろ)になり、口元(くちもと)()さえる指先(ゆびさき)にも、もう(ちから)(はい)らない。


 ()()じても、(みみ)(おく)(みず)()れている。


 ()()ければ、天地(てんち)不意(ふい)(かたむ)く。

 


 もう、(そら)(いろ)も。


 川面(かわも)にきらめく(ひかり)も、心底(しんそこ)どうでもよくなっていた。



「おい、大丈夫(だいじょうぶ)か」



 時折(ときおり)かけられる浮羽(うきは)(こえ)にも、かぼそ(いき)()らすことしかできなかった。



 自分(じぶん)は、(ふね)苦手(にがて)なのだ。



 身動(みうご)きの()れない(せま)(いた)(うえ)で、世界(せかい)そのものが(たよ)りなく()(つづ)ける。


 それが、これほどまでに()(けず)るものだとは(おも)わなかった。


 (りく)のように()みしめる場所(ばしょ)がない。


 その(たよ)りなさが、()()をじわじわと雑巾(ぞうきん)のように(しぼ)()げていた。



(みず)だ。(すこ)(くち)(ふく)め」



 ()()された竹筒(たけづつ)(みず)を、アサは(のど)()らして、わずかに()()むのがやっとだった。




 ◇




 そんな限界(げんかい)(なか)で、(すく)いは唐突(とうとつ)(おとず)れた。


 (ふね)底板(そこいた)(たた)く、(にぶ)(おと)


 (つづ)いて、()()たちの(あわ)ただしい(こえ)()()う。


 (ふね)(すす)()きを(おお)きく()え、(ちい)さな(みなと)砂利浜(じゃりはま)へと舳先(へさき)()()げた。



 (ふね)亀裂(きれつ)(はい)ったらしい。


 修理(しゅうり)には半日(はんにち)はかかるという。


 (おも)いがけない足止(あしど)めだった。



 (おか)()がった瞬間(しゅんかん)――アサは、()みしめた大地(だいち)(かた)さに(なみだ)()そうになった。


 ふらつく(あし)川沿(かわぞ)いの(おお)きな(えのき)木陰(こかげ)()かい、そのまま(くず)れるように(こし)()ろす。


 (あたま)(しん)では、まだ水面(みなも)(かたむ)(つづ)けている。


 青白(あおじろ)(かお)(ひざ)(かか)えるアサを見下(みお)ろしながら、浮羽(うきは)(こし)()()いた。



(くち)()けろ」



 浮羽(うきは)(なが)指先(ゆびさき)からつまみ()されたのは、麻布(あさぬの)(つつ)まれた小豆粒(あずきつぶ)ほどの(かわ)いた(くろ)丸薬(がんやく)だった。



「これ……なに……?」



気付(きつ)(ぐすり)だ。()(くだ)け。()()がるほど(にが)いぞ」



 警告(けいこく)すら(みみ)(はい)らないほど、アサは()()められていた。


 この()()から(のが)れられるなら、(どろ)でも()()む。


 そんな気持(きも)ちで、(ふる)える(ゆび)丸薬(がんやく)()()り、(くち)()れ、()んだ。



「――……う……ッ!」



 その瞬間(しゅんかん)――


 (あたま)(しん)(なぐ)られたような猛烈(もうれつ)青臭(あおくさ)さと苦味(にがみ)が、(くち)いっぱいに(ひろ)がった。


 あまりの強烈(きょうれつ)さに、アサの顔中(かおじゅう)筋肉(きんにく)中央(ちゅうおう)へ、ぎゅっと()る。


 (なみだ)が、ぼろぼろとこぼれた。



「ぶ……っ!」



 それを()浮羽(うきは)が、()()した。



「はは、すごいブスだぞ、お(まえ)



「ひ、ひどい……っ」



 涙目(なみだめ)愕然(がくぜん)とするアサに、浮羽(うきは)(わる)びれもせず、(のど)()らして(たの)しそうに(わら)った。



「ミナギには()せられん(かお)だな」



「……どうせ、浮羽(うきは)さんみたいな、美人(びじん)じゃないもん……っ」



 月光(げっこう)()びた薄氷(うすらい)のように()(とお)完璧(かんぺき)美貌(びぼう)で、さらりと(どく)()浮羽(うきは)(まえ)に、アサは湿(しめ)った(こえ)抗議(こうぎ)する。


 (のど)(おく)居座(いすわ)圧倒的(あっとうてき)苦味(にがみ)悶絶(もんぜつ)しそうになりながらも。


 (のど)(ほそ)()らし。


 喉頭(こうとう)(ふる)わせながら。


 どうにかその固形物(こけいぶつ)を、ゴクリと(おも)(おと)()てて()(くだ)した。



 瞬間(しゅんかん)、アサは(ちから)()きたように(ひざ)から(くず)()ち、(あら)(いき)()()しながら地面(じめん)()()したのだった。



 しばらくして――


 ふと呼吸(こきゅう)(すこ)(らく)になっていることに()づいた。


「あれ……?」


 すうっと(つめ)たい感覚(かんかく)胸元(むなもと)(ひろ)がっていく。


 あれほどしつこく()(しぼ)()げていた()()が、(しお)()くように(すこ)しずつ()えていった。



「なんか(きゅう)に……(らく)になってきました」



「だろ?」



 アサの(おどろ)いた(かお)()て、浮羽(うきは)得意(とくい)げに(まゆ)()げる。



「こういう調合(ちょうごう)得意(とくい)(やつ)がいてな。この(ふた)(さき)(むら)()()手筈(てはず)なんだが――」



 そう()って浮羽(うきは)は、川岸(かわぎし)()()げられた(ふね)視線(しせん)()けた。


 (ふね)(まわ)りでは、(おとこ)たちが(あたま)(かか)えている。


 木槌(きづち)()るう(おと)も、まばらだった。


 浮羽(うきは)(ちい)さく(かた)をすくめ、(いき)()いた。



「……こりゃ、今日中(きょうじゅう)無理(むり)だな」



 川風(かわかぜ)木陰(こかげ)()()け、(こずえ)をさらさらと()らす。


 ふとアサへ視線(しせん)(もど)した浮羽(うきは)が、(あき)れたように()(ほそ)めた。



「お(まえ)(かみ)もぐちゃぐちゃじゃないか」



「えっ」



 (あわ)てて(かみ)()れる。


 丸一日(まるいちにち)(ふね)(ふち)(あたま)(こす)りつけていたせいで、(むす)()はすっかり()けていた。


 あちこちが()ねて、まるで(とり)()のようになっている。


 ()ずかしさに(かお)(あか)らめるアサの背後(はいご)へ、浮羽(うきは)がすっと(まわ)()んだ。



「じっとしてろ」



 そう()うと、浮羽(うきは)(ほそ)くしなやかな指先(ゆびさき)が、(やさ)しくアサの(かみ)()きほぐし(はじ)めた。


 意外(いがい)なほど、その()つきは(やわ)らかい。


 (くし)(すべ)らせるように(ゆび)(とお)し、もつれをひとつずつ()いていく。


 木漏(こも)()が、二人(ふたり)頭上(ずじょう)(やわ)らかな斑模様(まだらもよう)()としていた。



 (かわ)のせせらぎ。


 時折(ときおり)木々(きぎ)(あいだ)()けていく(かぜ)


 そのどれもが、(ふね)(うえ)では(かん)じられなかったほど心地(ここち)よかった。



 浮羽(うきは)指先(ゆびさき)は、まるで(はた)()るように(まよ)いなく(うご)いていく。


 (かみ)幾筋(いくすじ)かに()け、手際(てぎわ)よく交差(こうさ)させる。


 側頭部(そくとうぶ)から後頭部(こうとうぶ)へ、(こま)かな()()みが(かたち)(つく)っていった。


 (よど)みのない、洗練(せんれん)された()さばきだった。



「はい、できた」



 (かる)(かた)(たた)かれ、アサは()()がった。


 そして(かわ)浅瀬(あさせ)()()る。


 ()んだ水面(みなも)に、おずおずと自分(じぶん)姿(すがた)(うつ)してみた。



「……わぁ!」



 そこに(うつ)っていたのは、さっきまでの青白(あおじろ)(かお)をした悲壮(ひそう)自分(じぶん)ではなかった。


 (みだ)れていた(かみ)はきれいに()()まれ、(かお)まわりをすっきりと()せている。


 それでいて、どこか(はな)やかで(あい)らしい。



「すごい、浮羽(うきは)さん! こんなの、自分(じぶん)じゃ絶対(ぜったい)にできません」



 水面(みなも)(のぞ)()んだまま、アサは何度(なんど)角度(かくど)()え、(うれ)しそうに(あたま)()でる。


 その満面(まんめん)()みを、木陰(こかげ)(すわ)(なお)した浮羽(うきは)(なが)めていた。


 からかうような()


 けれど、その(おく)にはどこか満足(まんぞく)そうな(いろ)()かんでいる。



 (おも)いがけない(ふね)損壊(そんかい)がもたらした、半日(はんにち)足止(あしど)め。


 それは、過酷(かこく)逃避行(とうひこう)途中(とちゅう)にふと()ちてきた、(かぜ)(とお)木陰(こかげ)のような時間(じかん)だった。



 (しず)かで。


 (やわ)らかく。


 二人(ふたり)にとって、ほんの(すこ)しだけ(かた)(ちから)()ける余白(よはく)時間(じかん)だった。




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