↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アマガタリ  作者: ひよりの
第二章
PR
104/144

想いを残して



 出立《しゅったつ》を目前《もくぜん》にした祝宴《しゅくえん》――


 その前日《ぜんじつ》のことだった。



 アサは部屋《へや》の隅《すみ》に座《すわ》り、耶馬台国《やまたいこく》へ持《も》っていく荷物《にもつ》をまとめていた。


 とはいえ――


 目《め》の前《まえ》に広《ひろ》げられたものは、あまりにも慎《つつ》ましい。


 手入《てい》れされた替《か》えの麻衣《あさごろも》と、細《こま》かな日用品《にちようひん》、そして手《て》のひらに収《おさ》まるほどの小《ちい》さな巾着《きんちゃく》。


 それだけだった。



 その時《とき》。


「アサ、いるか?」


 戸口《とぐち》から声《こえ》がした。


 顔《かお》を覗《のぞ》かせたのは、浮羽《うきは》だった。


「浮羽《うきは》さん?」


 アサが顔《かお》を上《あ》げる。


 返事《へんじ》を待《ま》つ間《ま》もなく、浮羽《うきは》はずかずかと中《なか》へ入《はい》ってきた。


 そして――


 ぴたり、と足《あし》を止《と》める。


「……」


 浮羽《うきは》は、無言《むごん》のまま部屋《へや》を見回《みまわ》した。



 小《ちい》さな寝床《ねどこ》。


 衣《ころも》をしまう籠《かご》。


 水《みず》を入《い》れる器《うつわ》。


 それだけだった。


 壁《かべ》に飾《かざ》りがあるわけでもない。


 女《おんな》の部屋《へや》らしい装飾《そうしょく》も、ほとんどない。


 あまりにも、物《もの》が少《すく》ない。


「……なんだ、ここ」


「え?」


「こざっぱりしすぎだろ」


 浮羽《うきは》が呆《あき》れたように言《い》う。


「お前《まえ》、物《もの》を持《も》たなすぎじゃないか?」


「必要《ひつよう》なものだけあれば、十分《じゅうぶん》なので」


 アサは困《こま》ったように笑《わら》った。


 浮羽《うきは》は肩《かた》をすくめる。


「まあ……お前《まえ》らしいけどな」


 そう言《い》いながら、もう一度《いちど》部屋《へや》の中《なか》を眺《なが》める。


 その視線《しせん》が――


 ふと、アサの膝元《ひざもと》で止《と》まった。


「それ、何《なん》だ?」


「あ……」


 アサの手《て》が、わずかに止《と》まる。


 そこにあったのは、小《ちい》さな布《ぬの》の包《つつ》みだった。


「これは……」


 アサは包《つつ》みを膝《ひざ》の上《うえ》へ置《お》き、そっと布《ぬの》を開《ひら》いた。


 中《なか》から現《あらわ》れたのは――


 二《ふた》つの品《しな》だった。

 


 ひとつは、簪《かんざし》。


 細《ほそ》い軸《じく》の先《さき》に、深《ふか》い緑《みどり》の翡翠《ひすい》が飾《かざ》られている。


 昼《ひる》の光《ひかり》を受《う》けるたび、石《いし》の奥《おく》に眠《ねむ》るような色《いろ》が、静《しず》かに浮《う》かび上《あ》がった。


 この部屋《へや》にある他《ほか》の持《も》ち物《もの》とは、明《あき》らかに格《かく》が違《ちが》う。


 もうひとつは――


 木《き》で作《つく》られた、素朴《そぼく》な櫛《くし》だった。


「これ……」


 浮羽《うきは》が目《め》を細《ほそ》める。


「ミナギからか?」


「はい」


「どっちも?」


 アサは小《ちい》さく頷《うなず》いた。


「櫛《くし》は、ミナギが作《つく》ってくれたんですよ」


「作《つく》った?」


 浮羽《うきは》は櫛《くし》を覗《のぞ》き込《こ》んだ。


 素朴《そぼく》な木《き》の櫛《くし》。


 飾《かざ》りはほとんどない。


 けれど、歯《は》の根元《ねもと》には、二羽《にわ》の鳥《とり》が寄《よ》り添《そ》うように彫《ほ》られていた。


「……あいつ、こんなの彫《ほ》るのか?」


「ふふ……」


 アサが小《ちい》さく笑《わら》いながら、櫛《くし》を指先《ゆびさき》でそっと撫《な》でた。


 その手《て》つきが、あまりにも優《やさ》しい。


 まるで櫛《くし》そのものを愛《いと》おしむように。


 浮羽《うきは》は、黙《だま》ってその様子《ようす》を見《み》ていた。


 そして――


 ふっと、息《いき》を吐《は》く。


「……ミナギも、相当《そうとう》だな」


「え?」


「いや。なんでもない」


 男《おとこ》が女《おんな》へ、髪《かみ》に触《ふ》れるものを贈《おく》る。


 いつも身《み》につけていてほしいものを贈《おく》る。


 それが、どんな意味《いみ》を持《も》つのか。


 ただの贈《おく》り物《もの》ではない。


 言葉《ことば》にせずとも、想《おも》いを伝《つた》えるものだ。


 それも――


 並《なみ》の想《おも》いではない。


 そこまで考《かんが》えて、浮羽《うきは》は小《ちい》さく苦笑《くしょう》した。


 ――あいつ。


 思《おも》ってる以上《いじょう》に、惚《ほ》れてるな。


 浮羽《うきは》はアサを見《み》る。


 けれど、当《とう》の本人《ほんにん》は、そんなことには気《き》づいていなさそうだった。



 浮羽《うきは》は、しばらく何《なに》も言《い》わなかった。


 ふっと目《め》を伏《ふ》せる。



 数日後《すうじつご》には――


 アサは耶馬台国《やまたいこく》へ向《む》かう。


 ミナギは投馬国《とうまこく》に残《のこ》る。


 それぞれが、それぞれの国《くに》で生《い》きなければならない。


 次《つぎ》に会《あ》えるのが、いつになるのか。


 そもそも――


 また会《あ》えるのか。



 アサの耶馬台国《やまたいこく》行《い》きの表向《おもてむ》きの理由《りゆう》は、巫女《みこ》としての修行《しゅぎょう》。


 だが――


 それだけではない。


 日神呼《ひみこ》はすでに齢《よわい》を重《かさ》ね、その御身《おんみ》には、老《お》いの影《かげ》が静《しず》かに差《さ》し始《はじ》めている。


 そして今《いま》――


 各地《かくち》から、巫女《みこ》の素養《そよう》を持《も》つ娘《むすめ》たちを集《あつ》め、次《つぎ》なる後継者《こうけいしゃ》の選定《せんてい》が、水面下《すいめんか》で進《すす》められている。



 その数多《あまた》の娘《むすめ》たちの中《なか》でも。


 アサは異質《いしつ》だった。


 日神呼《ひみこ》自《みずか》らが、直々(じきじき)に指名《しめい》した娘《むすめ》――


 そのことを、アサはまだ深《ふか》く理解《りかい》していない。


 自分《じぶん》の身《み》に課《か》せられたものの重《おも》さを、彼女《かのじょ》はまだ、本当《ほんとう》には知《し》らない。


 ただ――


 与《あた》えられた運命《うんめい》に従《したが》い、務《つと》めを果《は》たすため。


 そう思《おも》って、耶馬台国《やまたいこく》へ向《む》かおうとしている。



 けれど。


 もしアサが真《しん》に日神呼《ひみこ》の名《な》を継《つ》ぐ者《もの》として選《えら》ばれてしまえば――


 その先《さき》に待《ま》っているのは、祭殿《さいでん》の奥深《おくふか》くに籠《こ》もり、世俗《せぞく》から切《き》り離《はな》された生《い》き方《かた》だった。


 そうなれば――


 彼女《かのじょ》が、この投馬国《とうまこく》の土《つち》を踏《ふ》むことはない。


 ミナギとの再会《さいかい》も――


 二度《にど》と、叶《かな》わない。



 そしてミナギは、ただの一人《ひとり》の男《おとこ》ではない。


 投馬国《とうまこく》の王《おう》だ。


 王《おう》には、王《おう》としての務《つと》めがある。


 国《くに》を繋《つな》ぐため。


 血《ち》を残《のこ》すため。


 同盟《どうめい》を結《むす》ぶため。


 いつか、アサではない女《おんな》を后《きさき》として迎《むか》えることも――


 きっと、避《さ》けられない。



 そう考《かんが》えた瞬間《しゅんかん》、


 浮羽《うきは》の胸《むね》に、重《おも》いものが沈《しず》んだ。


 ――こんなにも、想《おも》い合《あ》っているのにな。


 それでも。


 二人《ふたり》には、それぞれの立場《たちば》がある。


 だから、離《はな》れなければならない。


 浮羽《うきは》には、それが分《わ》かっていた。


 分《わ》かっているからこそ――


 やるせなかった。



 ただ、ひとつだけ浮羽《うきは》には分《わ》かっていることがあった。


 この二人《ふたり》は、きっと簡単《かんたん》には忘《わす》れられない。


 離《はな》れても。


 何年《なんねん》経《た》っても。


 たとえ、それぞれ別《べつ》の誰《だれ》かと人生《じんせい》を歩《あゆ》むことになったとしても。


 心《こころ》のどこかに残《のこ》り続《つづ》けるだろう。



 浮羽《うきは》は、アサの手元《てもと》に視線《しせん》を落《お》とした。


 翡翠《ひすい》の簪《かんざし》。


 ミナギが贈《おく》ったもの。


 そして――


 ミナギが、自《みずか》ら作《つく》った木《き》の櫛《くし》。


「……持《も》っていくんだろ」


「え?」


「それ」


 浮羽《うきは》は顎《あご》で櫛《くし》を指《さ》した。


「忘《わす》れるな」


「……はい」


 アサは櫛《くし》を大切《たいせつ》そうに布《ぬの》へ戻《もど》した。


 その横顔《よこがお》を見《み》ながら、浮羽《うきは》は小《ちい》さく息《いき》を吐《は》く。


「……まったく」


「?」


「お前《まえ》らも……難儀《なんぎ》な運命《うんめい》を背負《せお》ったもんだな」


 アサは意味《いみ》が分《わ》からず、首《くび》を傾《かし》げた。



 浮羽《うきは》は、それ以上《いじょう》何《なに》も言《い》わなかった。


 ただ、心《こころ》の中《なか》で思《おも》う。


 ――せめて。


 もう一度《いちど》くらい。


 二人《ふたり》が、何《なん》の立場《たちば》も背負《せお》わずに。


 ただ互《たが》いを想《おも》える日《ひ》が来《く》ればいい。


 ただの男《おとこ》と女《おんな》として。


 そんな願《ねが》いが叶《かな》う保証《ほしょう》など、どこにもない。


 それでも――


 浮羽《うきは》は、そう願《ねが》わずにはいられなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。