…14 雛(ひぃな)
〝雛〟とは、異形の者だ。
昔から、何らかの欠陥を持って生まれてきた子が女子だった場合、そう呼ばれた。籠の中で大切に育てられて、そのまま一生を終えたという。
神が愛した娘の生まれ変わりとして……〝捕〟にされた子供だった。
「風は私を手放さない。ずっと……千久楽にいる運命かもしれないと、幼い時からずっと……恐くて仕方なかった」
俺はその時、初めて紫野の心の奥の闇を知った。紫野はずっと表に出さずに独り耐えてきた。自分の体への不安と、自分の運命に。
「雛って……あんなの迷信に決まってんだろ。なに鵜呑みにしてんだよ。来たんだろ! ならいいじゃねーか赤飯炊けば。それで十分だろ! 結婚なんか――」
遮るように、紫野は俺の腕に手を掛け、そっと引き剥がした。
「もう行かないと。家族が荷物を運んでホームで待ってる。私のために臨時の電車を出してくれるそうだ。最後にキミに会っていこうと思った。色々と、世話になった」
振り解かれた腕がその役割を失う。紫野がゆっくり頭を垂れる。なのに俺は紫野を見なかった。
「……」
「体に気をつけて……」
そう言うと、紫野はしばらく立ったまま……やがて踵を返し、そっぽを向いたままの俺から、どんどん離れていく。
「……野…」
その艶やかな黒髪も、石膏のような手も。
気付いた時には、紫野を後ろから抱きしめていた。
例え紫野が雛でも、きっと奪い取ってた。相手が神であろうと。
「……行かないでくれ、紫野」
「……那…由他?」
「くれよ、紫野の魂半分。そういう……習わしなんだろ」
普段の俺なら絶対出さないだろう情けない声。紫野は明らかに動揺してる。
心配になったのか、こわごわと俺の方に振り向こうとするその隙をついて、俺は圧倒的に優位な背丈を使い、紫野の唇を塞いだ。こうでもしなきゃ、きっとすぐ躱されていた。
「………っ……は…」
紫野の唇は想像以上に柔らかくて……心臓が跳ね上がる。俺は抵抗する紫野の腕を力ずくで押さえながら、こないだ友達とAVで見たような、貪欲なキスを――
パチン……!
いい音がした、と思った次の瞬間、頬に痛みが走る。いつの間にか平手打ちをくらっていた。
紫野の呼吸が落ち着くまで、しばらくかかった。俺はそのまんまそっぽを向いていた。鳥の群れが空を渡る。虚しい問いかけをしていた。
「あんたが俺を選んだのは……ここを出るためか?」
「違う!」
「……」
俺の冷ややかな視線に、やがて紫野は俯いた。
「……いや、そう言われても仕方ないのかもしれない」
「鋭いだろ?」
紫野は両手で額を覆った。
「キミしかいないと思った。那由他になら千久楽を委ねられる。それで形代を渡して……役目を終えて、やっと、ここを去ることが出来ると……」
「そうそう、紫野って嘘つけないタイプだよな」
俺は笑ってみせた。つもりが、多分苦笑いだ。紫野の顔から手をどける。そのまま、掴んだ腕を引き上げ、俺を見させる。
「もし、許さないって言ったらどうする?」
紫野は悲しい顔をして俺を見た。
知ってる。紫野が俺を選んだのに理由はない。意図もない。単に迷いがなかったんだ。俺を選ぶことに。それは直感に等しい。感情の入る余地は、多分無かっただろう。
先立つ感情があるとするなら、それは選ばれた俺じゃなかった。紫野を選んだやつに、紫野を籠から救い出した者にあった。
幼い頃、既にその力を発揮して、風と語らう役目を負ってきた紫野は、ずっと逃げたかったに違いない。けど逃げなかったのは……共に生きる者がいたからだ。似通う運命を生きる、自分と魂を分つ者が。
離れていてもその繋がりは紫野の心の拠り所になっていた。でも守人はもうどこにもいない。紫野が千久楽にいる理由は、何も無くなったんだ。
本心を言えばよかったのか、今でも分からない。
あの時思った。他のやつに渡すくらいなら俺が一緒に千久楽を出て紫野の側にいようと。家庭は元々崩壊してるし、学校なんかどうでもいーし、千久楽に愛着なんてなし、今の暮らしを捨てても構わないと思っていた。すぐには無理でも、あと4年もすれば俺が結婚できる歳になるし、まぁそんな法律なんか気にすることもない。背もあるから年だってごまかして働ける。あいつを支えていこう、そう本気で考えたはずだった。なのに
……
口からこぼれたのは逆の言葉だった。
「……俺じゃ紫野を女に出来ないのか?」
俺はそれで良くても、紫野にとっての俺は? 5つも下で、眼中に全くなかったというのに。そんな俺が側にいてもあいつの心に空いた穴を埋められたか分からない。
いや、あのとき俺は迷っていた。……怖かったんだ。側にいて、逆にあいつの重荷になるのが。その時を垣間見るのが。
紫野は目を伏せた。
「………済まない」
その一言が交わらない運命を決めた。手から転がり落ちた林檎は止まることなく離れていく。もう、どうにもならない。迷いのない真っ直ぐな意志。結局、俺は最後まで紫野にはかなわない。
「そう思うなら、あと少しだけくれよ」
紫野を引き寄せ、腕でがんじ絡めにした。腕の中の紫野は壊そうと思えばできそうなくらい華奢に感じる。それくらい俺はでかくなった。ガキだったから早く追いつきたくて。
給食の牛乳はいつもおかわりした。おやつはひたすら小魚&アーモンド。鉄棒にもぶら下がった。
壊してしまえ。そうすれば紫野はあきらめるかもしれない……そう耳元で囁くのは悪魔、じゃなくて風だ。さすがに歯止めが効かなくなりそうで……俺は紫野を引き剥がした。
「もらったからな、これで半分」
「……」
呆然としながら、紫野は俺に背を向けて歩き出した。一度も振り返らずに。時々フラついて、やがて線路沿いに見えなくなった。
――やっべー……半分以上吸い取っちまったかな。
放心状態の紫野を見た俺は、正直「してやったり」と思ってた。
キスをした。ここぞとばかり何度も。息が苦しくなるくらい。忘れられないほどの感触を残して(テクMAX)それが俺に出来るささやかな復讐だ。
近くに立ってたカカシを蹴り飛ばした。
「全く、つれない女だぜ。あーあ、やってらんねー……」
紫野は自分の意志で千久楽を捨てた。その中に……不本意ながらも俺も含まれる。
「意味ねぇだろうよ、こんなもの」
その辺の岩に形代を投げつけた。カツンと音がして転がる。欠けたかもしれないと思ったが、傷一つついてなかった。
「…ックショー……」
あの日、畦道で紫野と逢ったのも全部成り行き。風に導かれて紫野は俺を見つけた。いや、俺が見つかりさえしなければ、紫野を知らずに済んだ。
舞手になることも、紡ぎ唄を聴くことも、流紋に触れることも……何も知らないまま、こんな気持ちになることも、きっとなかったのに。




